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『神様のメモ帳』についてあれこれ

『神様のメモ帳』1巻の発売年を藤島鳴海高校一年生の年だとすると、今日は彼の30歳の誕生日ということになる。ついでにアニメ放映からちょうど10年が経ったし、なんとなく節目の年だ。なにか書いておこうかな、と思い立ち、(おそらく最後の)短編一本と、備忘録の意味も込めてそれぞれの巻を書いたときのあれこれを思い出せる限りここに書き記した。

短編の方はカクヨムにアップしてある

以下、全巻解説。当然だがネタバレの嵐であり、『神様のメモ帳』未読の方は絶対に読んではいけない。

第1巻

すべてのはじまり、エンジェル・フィックス事件。

デビューシリーズが3冊で打ち切りとなった後、今後作家としてやっていけるのかどうかもわからず五里霧中で立てまくった企画のうちのひとつに編集さんがGOを出し、手探りで書き始めたのが《ニート探偵》だった。

もともと《ニート探偵》というのは、2chの文芸板に僕が常駐していた頃にネタで書き込んだ、二十代後半ひきこもりモラトリアム男がネットの情報だけで推理する、というキャラクターである。そのままでは売り物にならないので性別を女にし、超人的なクラッキング能力を与え、特徴を出すために不健康そうなロリにした。完全にキャラ先行の企画で、話の筋は後付けで考えていった。
(入稿後、はじめて岸田メル氏のキャラデザラフをもらったときの衝撃は今でも忘れられない。たくさんのモニタの光だけが照らす薄暗い部屋でベッドの上から動かずネットを通じて世界を検索する幼女――というビジュアルイメージは完璧にそのまま形になっていた。ただし、僕が提案した「パジャマの上だけを着ていて下はまったくなにも着けていないかのように裾から素脚が見えている」という服装はさらっと無視され、めでたくアリスにはホットパンツとニーハイソックスが与えられていた。当たり前である)

作家・杉井光にとってはデビュー4冊目である。まだまだ不慣れで、1章書いては編集さんに送って読んでもらっていた。企画書段階ではラーメン屋の店主はミンさんではなくむさくるしい熊親父だった、という話はたしか6巻のあとがきに書いたが、ボクサーとミリオタに続くニート探偵団3人目がインテリ系の暗い文学青年だった、という話はどこにも出していないはずだ。当時の企画書も手元に残っておらず、おそらくは編集さんの記憶にも残っていないだろう。

あまりにも華がないため編集さんは難色を示し、探偵団の3人のうちどれかを女性に変えないかと言ってきたが、デビュー4冊目のぺーぺーの新人としてはあり得ないくらいきっぱりと断った。代わりにラーメン屋の店主を25歳巨乳美女に変更し、ついでに探偵団3人目の冴えない上に少佐やナルミとも微妙にキャラがかぶっていたやつをクビにして超美形のヒモを導入した。我ながら英断だったというか最初からそうしておけよ馬鹿じゃないのかとしか思えない。

執筆段階でも難航し、特に彩夏との序盤のエピソードはまるまる1章分ほど無駄な描写を重ねてしまいすっぱり削った記憶がある。誕生日に花を贈り合ったりとか花言葉がどうとかそんな感じのどうしようもないエピソードだったっけ……。

それでもなんとか書き切れたのは、核となるアイディアにそれなりの自信があったからだろう。

『神様のメモ帳1』はワイダニット・ミステリだ。

なぜ彩夏が"あの校舎の屋上から"飛び降りたのかを解明するという軸に、他のすべての要素がくっついでてきている。プロットも、軸を突き詰めた後に他の要素を考えた。渋谷、麻薬、ストリートギャング……という『池袋ウエストゲートパーク』から拝借した要素はすべて、メインのロジックが固まった後で導入したものだ。『池袋ウエストゲートパーク』のキングに該当する四代目というキャラは、だから、初期構想段階では存在しなかった。もし別のロジックを思いついていたとしたら、物語の舞台も出てくる登場人物もまったく別物で、ひいては続くシリーズもまるで違うものになっていただろう。

これはまた僕にワイダニット・ミステリの呪いをかけた作品でもある。続くシリーズすべてワイダニットだし、その後ミステリを書こうとしてもワイダニットしか書けなくなった。
……というと語弊がある。正確には僕にまっとうなフーダニット・ミステリを書く能力はないがワイダニットならなんとか書けるということを思い知らせてくれた作品なのである。

ワイダニットは楽なのだ。核になるロジックが人間の意志と感情によっているので、堂々と書きさえすれば筋が通るのである。そしてもうひとつ、ワイダニットは泣かせる演出とむちゃくちゃ相性が良い。だから9冊も書けた。

泣かせる話のつもりで書いたため、初稿では彩夏が飛び降りてそのまま死んでいた。安易である。編集さんは初稿を読んで言った。

「殺すなら百万人泣かせろ。殺さなくても同じ話が書けるなら殺すな」

キャラを死なせるかどうかというのは、ニート探偵団の一人を女性に変えるかどうか以上に作家としてのアイデンティティに関わる点であるように思える。しかし僕はこの編集さんの指摘について二週間ほどじっくり考えた末に、彩夏を死なせない改稿を施した。

それでちゃんと話は成り立ったのである。
ところどころ、ほとんど彩夏が死んでいるような描写が見られるかもしれないが、なんのことはない、死んでいた頃の名残である(《死者の代弁者》とまで言っているのがいい証拠だ)。彩夏が死んだ展開で書き上げた初稿を後から書き直したからこそ、あの独特の《死の匂い》が出せたのかもしれない、と今振り返ってみて思う。

編集さんの指摘は彩夏を生かし、シリーズも生かし、ひいては作家・杉井光をも生かした。今でも忘れられない言葉だ。

物語全体としては『池袋ウエストゲートパーク』の「西口ミッドサマー狂乱」をかなり参考にしており、また麻薬に関しての描写はフィリップ・K・ディックの『暗闇のスキャナー』から大量に拝借している。墓見坂が最期に口走る「戸口の向こうにギリシャの浜辺が云々」というせりふは完全にディックからの借用イメージである。
SFネタとしては他にジェイムズ・ティプトリーJr.成分が大量に入っており、アリスという名前や『たったひとつの冴えたやりかた』は作中でも解説があるが、それ以外にもぬいぐるみの名前が『愛はさだめ、さだめは死』に登場する異星生物夫婦のものだし、まったくだれにも気づかれなかったところでは《エンジェル・フィックス》というのがそのまま短編のタイトルである(『星ぼしの荒野から』収録の第1編、邦題は『天国の門』)。

物語の主な舞台となる街を渋谷に設定したのは、非常に消極的な理由による。まず、ストリートに麻薬がはびこるという筋立てをスタイリッシュに描くためには東京の大繁華街、しかも若者が多そうな場所でなければいけない。となると新宿、渋谷、池袋の三択になる。このうち池袋は偉大な先達に使われてしまっている。新宿は若者も多いが『新宿鮫』などの影響もあってか年齢層が高めのイメージが拭えない。ということで消去法で渋谷になったのである。
そして、ここからが重要なのだが、作中では舞台が渋谷だと一度も明言していない――どころか、そもそも9巻すべて通して「渋谷」という地名がただの一度も文中に出てこない。
なぜかというと、これは説明がものすごく難しいのだが、渋谷という名前を出してしまうと、「若々しく瑞々しい感性でヤングのストリートライフを活写してやるぜ!」的な気負いを見せびらかしているようで恥ずかしい、と感じたからなのだ。自意識過剰と言われればその通りなのだが自意識が分相応な小説家なぞこの世に存在しないのである。
もちろん、渋谷だとさっさと書いてしまった方が楽な箇所には執筆中何度も何度も遭遇した。そのたびに、石田衣良の「池袋」という選択の的確さに震えた。池袋なら全然恥ずかしくない。なんというか、適度な泥のにおいがある。かっこつけて選んだだけではないという佇まいがあるのだ。

まあ、アニメではどこからどう見ても渋谷だし、ビジュアルには圧倒的な説得力があるので原作者のこんなつまらない自意識なぞ吹き飛んでしまうのだが。

第2巻

2億円ボストンバッグ事件。

シリーズ2作目ということで、おそらく最もプロットに悪戦苦闘した巻。まず、女の子が2億円を担いで探偵事務所にやってくる……という冒頭のインパクトだけ先に考えてその後の展開を組んでいった。

最初期のプロットはほんとうにろくでもなく、暴力団の組長が新興宗教の教祖でもあり、お布施を貯め込んでいて密室で殺されて……みたいな展開が含まれていたが、意味不明だったので全削除した。この新興宗教どうのこうのという要素は、出稼ぎ女性たちの勤める「ハロー・コーポレーション」という社名と居住の「ハロー・パレス」というマンション名にわずかに残されている。これ、"HELLO"ではなく"HALO"つまり「後光」のことで、もともと教団の名前にしようとしていたのである。

冷静になってプロットを最初から見直し、『池袋ウエストゲートパーク』の「キミドリの神様」を参考に、マネーロンダリングをメインに据えたシンプルなサスペンスに変更。

アジア圏からの出稼ぎ女性が住む集合住宅、というアイディアを投入したのは、第1巻でああしてプロットの必然性から『池袋ウエストゲートパーク』路線をとってしまった以上、現代都市型ミステリとしてのなんかそれっぽい題材を扱わねばかっこうがつくまい、という気負いによるもので、こちらは作劇上の必然性はあまりない。マネーロンダリングの仕組み自体が重要ではないので、ちがう要素でも書けた。……が、メオというキャラを生み出せたので結果オーライというところだろう。メオがナルミに本名を教えるシーンは、タイ人が魔除けのために変な通名で呼び合うという文化を知ったときにふと思いついたものだが、とても気に入っている。

『ベン・ハー』は中学生の頃に観て好きになった映画で、冒頭の二人の杯を交わす場面はいつかなにかで使ってやりたいと思っていたもの。映画では後に訣別して敵対することになるので、実はあまり縁起がよくない乾杯の作法でもある。平坂の話が書けるかどうかはこの2巻執筆時にはまったくわからなかったが、とりあえず話に出しておいた。4巻で無事に伏線として回収できてほっとしている。

全9巻中最もミステリ要素が薄く、シンプルな筋立てにしてもなおわかりにくい箇所が残っており、反省点の多い巻である。

一方で編集さんは「この巻がエンタテインメントとしてちゃんと成立していたので、メモ帳の方向を決定づけた」と、けっこう高く評価してくれている。実際的な力をまったく持たない高校生のナルミにどう主人公として活躍させるかを考えたとき、「詐欺」という明確な答えにたどり着いたのがこの巻なわけで、たしかに「シリーズとしての」メモ帳はここから始まったと言っても過言ではない。

四代目のビジュアルはこの巻が初出。1巻の段階ではまだデザインもされていなかった。実は四代目のデザインに関しては僕しか知り得ない重大な齟齬がラフの段階で発生していた。本文中に四代目の服装として「中華風の派手な刺繍を施した深紅のジャケット」という描写が出てくるのだが、僕はこれを「刺繍が中華風」という意味で書いた。田舎のヤンキーが着ているみたいな、普通のジャケットに龍とかの刺繍が入ったやつ、というイメージだ。しかし岸田メル氏はこれを「ジャケット自体が中華風」だと読んで(そうとも読めてしまうのだからこれは悪文である)、みなさんもご存じのあの立て襟の真っ赤なロングコートをデザインした。
あがってきたラフを見て、僕は素知らぬ顔で「ばっちりです!」と編集さんに返信した。どう考えても岸田メル氏の解釈の方がかっこよかったからだ。この幸運な誤読がなければ四代目は真剣に田舎ヤンキーに堕していたかもしれない、と思うと空恐ろしい。

第3巻

園芸部廃部騒動。

彩夏は2巻の最後で目を醒ましたが、そのまますんなり元通りの生活に戻れました、で済むはずもない。一冊まるまる費やして、彼女がなにがしかのものを取り戻す過程を描かねばなるまい、と考えたため、全体としてみると「彩夏復帰回」になった。しかしやはり「テツ回」の色が濃い印象になるだろう。
これ以降各巻で主要登場人物たちが順繰りにメインを張っていくことになるのだが、この3巻の段階ではそもそもシリーズが続くとすら考えていなかったため、「テツ回」であるかのように読めるのはただの偶然である。彩夏が戻ってきたし学校の話もやらなきゃな、となれば高校関連の既存キャラであるテツと黒川先生を出さねばなるまい、一体なぜテツはボクサーの道を捨てて高校を中退したのか、といったあたりから構想を編み始めたので結果的に「テツ回」になっただけだ。

廃部になりそうな部活動を守るために生徒会と渡り合う、という展開は一度やってみたかったので、園芸部を守る理由をあれこれ考えていったところ、3巻のおおまかな構想がまとまった。たいへん個人的な話になってしまうが、生徒会長の《薫子》という名前は実際に僕の高校時代の生徒会長の名前である。同期の監査委員長はだれあろう僕だ。全然仕事しなかったが。すみません薫子さん。
余談のさらに余談ながら、監査委員長の香坂もキャラデザだけはしてあった。イラストとしては世に出ないままとなったが。

テツとのボクシング勝負を入れた理由ははっきりしていて、『悪魔のミカタ5 グレイテストオリオン』のボクシングシーンがかっこよかったから自分でもやってみたくなったのだ。

様々なフィクション作品において、「メインで扱っているわけでもないのに唐突に行われるスポーツ勝負」として、最もよく持ち出されるのがボクシングだ(双璧となるのは野球だろう)。これには理由がいくつかある。実際に自分で書いてみたのでよくわかる。

第一に、ボクシングはルールが非常にわかりやすく、ほとんど専門的な説明を必要としない。殴り倒せば勝ちである。

第二に、器具や会場を用意する手間がほとんどないため話の展開を窮屈にしない。グローブくらいだ。場合によっては素手でもべつにいい。リングも特に必要ない。

第三に、優勢・劣勢の描写がしやすい。殴り合い、痛みを感じ、流血し、倒れる。とてもわかりやすい。

第四に、一発逆転があり得る。どれだけ劣勢でも一発いいのが顎に入ってノックダウンすれば勝てる。

ということで色んな作家がボクシングをまことに都合良く利用しているし、自分でもやった。普通に考えて勝てないはずの勝負に勝つロジックに、事件と関係する真相を組み込めたため、我ながらこのボクシング勝負は良く書けたのではないかと思っている。他にも、温室に裏口の抜け道があった理由など、過去になんの気なしに書いた内容をさも伏線だったかのように回収している箇所が多く、後の巻でも多用するこの技術を3巻執筆中に大いに学んだ。

一方で、クライマックスで明かされる死亡事件の真相は、まあ筋は通っているが死因となるからくりをもうちょっとスマートにできなかったものか……と反省が残る。

編集さんはこの巻が一番気に入っている、と言ってくれた。

はだけたパジャマの前からインナーが見えているうえに苺を口元に持っていっているというカバーイラストは、このシリーズにロリを求める読者からは非常に人気が高い。これは狙ってやったもので、岸田メル氏からあがってきたカバーラフの隅には「ガチロリ」と注釈(?)が書かれていた。

3巻時点でシリーズはあまり売れておらず(たしか重版もまだだった)、自分としてはここで完結かな、というつもりだった。メモ帳はライトノベルとしては非常に珍しく、じんわりじんわり売れていってアニメにまでなったケースなのである。2巻から5巻まではほぼ年1冊の超スローペース。よく続いたものだと振り返って思う。関係各位に感謝しかない。

第4巻

平坂組抗争。

第3巻からまたも1年開いての刊行で、構想にかなりの時間を要した労作。自分で読み返してみても、よくこんなに面倒な話を書けたな、と思う。

この4巻が一番良いと言ってくれる人が多く、自分でも完成度はシリーズ中かなり上位ではないかと思う。余談ながら岸田メル氏はメモ帳のカバーイラストではこの4巻が最も気に入っていると語っており、僕もほぼ同意である(僅差の2位が5巻、それからカバーイラストに限定しなければ6巻の雑誌掲載時のメインビジュアルが同率首位。これは6巻カラー扉ページに収録されている)。

明確な「四代目回」であり、最初からそのつもりで書いた。平坂を出すのだから四代目メインにしないわけにはいかない。そして袂を分かったからには昔いざこざがあったに決まっており、わざわざ戻ってくるのだから四代目と敵対した方が面白いにきまっている……と、ある程度のところまでは必然の理詰めで固まっていった。

ストリートギャングのボスが手芸を趣味にしていると面白いな、とギャップのためだけに考えたキャラ設定を、この巻ではかなり使い倒せた。作中でメイントリックに関係して登場するチャリッスという韓国の刺繍技法については、図書館で調べたがそれでも不安だったため、韓国語版の出版でお世話になったノ・スルギ氏にわざわざメールで確認した(あとがきで翻訳者と書いてしまったが出版・編集の担当者であり翻訳は別の方でした。たいへん申し訳ない)。

作中にいきなり既出情報であるかのように登場する『エラン・ガバ』という古着屋は、同時発売のドラマCDに出てくる店。この頃、詐欺に関する資料本を何冊か読んでおり、割とストレートに反映させたエピソードとなっている。このドラマCDは今では入手困難だろうが、貴重な寿美菜子さんのアリスである。興味があれば探してみていただきたい。

キーキャラクターであるヨシキについては、おそらく読者のだれも気づけないであろう大きな苦労点があった。せりふに一人称が出せないのである。「俺」や「僕」では違和感がありまくるし、かといって「私」「わたし」を使うと真相がバレてしまう気がしたため、一人称を完全封印するしかなかった。それでいて会話が不自然にならないようにと気を配らねばならず、かなりの手間がかかった。

そんな苦労を重ねたところで、ミステリ慣れしている知り合いによると「真相はバレバレ、なぜなら他に該当者がいない」だそうで、いやはやミステリというのは難しいものである。ミステリ慣れしていない編集さんはきれいにだまされてくれた。

アニメ版でのヨシキのキャスティングについては、編集さんにほとんど笑い話のつもりで「この役できるの石田彰さんぐらいじゃないですかねえ」と言っていたらほんとうに石田彰氏に決まって仰天した憶えがある。

この巻の影の主役ともいえる平坂錬次は、とても書きやすい個人的なお気に入りキャラであった。えせ関西弁を喋る関東人という設定なので関西弁が間違っていたり過剰だったりしても問題ないのがいい。
キャラのモデルはhideだ、とはっきり指定したところ、ほとんどイメージそのままの絵ができあがってきて大変嬉しかった。エピグラフに本編と一見なんの関係もなさそうな"ROCKET DIVE"の歌詞が引用されているのはそのためである(正確にはこれはhideの書いた歌詞ではなく、トリビュートアルバムで布袋寅泰がカヴァーしたときにエンディングに付け加えた一節だ)。

第5巻

短編集。
とびとびで雑誌掲載された短編3本に書き下ろしの1本を加えて1冊にまとめたもの。

第1編「はなまるスープ顛末」

今はなき電撃文庫MAGAZINEに、たしか2巻発売ちょっと前くらいに掲載した短編。最初の短編ということもあって軽い下ネタを入れて初読の人を食いつかせようとか真相を二重構造にして厚みを出そうとか様々な意図が透けて見える。今読むとあちこち粗が目につくが、なにも考えずに出した様々な要素が後に第6巻で回収されるので、位置づけとしてはかなり大切な一編である。
作中のラーメン描写は僕が実際にラーメン作りを始める前のものなので、読み返すとリアリティがなく、密かに恥ずかしい。
神の目を持つ天才(変態)ランジェリーデザイナー木村富雄氏は、どうにかしてあと一度くらい出してやりたかったが、残念ながらどこにも出しどころがなかった。

第2編「探偵の愛した博士」

これもかなり初期に雑誌に載せた一編。2巻と3巻の間くらいだったか。読み返してみて最も違和感のある話だ。ナルミが「アリスに思い人がいるかもしれない」と勘違いしておたおたする話だからである。後々固まっていったキャラ造形から考えれば、絶対にこれはあり得ない。おたおたするのはアリスの方の役割で、ナルミは一貫してぽやんとしているべき。シリーズ初期だからこそ書いてしまった異端の一編といえるだろう。
作中に登場する夫婦シーサーの泡盛は酒造も含めて実在のもの。この話のネタに使うために検索しまくって見つけた。実際に通販で買うこともできる。
タイトルはもちろん『博士の愛した数式』のもじりで、ドクターペッパーのことなのだがミスディレクションしようとして友造に「飲み博士」なんてあだ名をつけていたりと、ちょっと恥ずかしい点も目につく。

第3編「大バカ任侠入門編」

これは上記2編からだいぶ後、たしか4巻発売後あたりで雑誌掲載された一編。キャラも固まってきているし書きっぷりにも慣れが見られて比較が面白い。
平坂組事務所のビルの他のフロアってどうなってるの? という点はこれまでまったく触れてこなかった。もちろん考えていなかったからだ。この話で唐突に登場するし、以降一切触れられない。この一編のためだけに設定を考えたというわかりやすい証拠である。
平坂組の黒Tシャツたちをメインに据えた、と言えなくもない回で、書いていて非常に楽しかった。
作中にトリックとして登場する携帯電話の番号登録の仕様は、実際に僕が使っていたauのガラケーの仕様である。だから堂々と社名まで書けた。

第4編「あの夏の二十一球」

書き下ろし。タイトルは『江夏の21球』のもじりだが、内容は野球であるという点以外特に関連性はない。
自信作である。自分で言うのもなんだが良く書けたと思う。
もともと、短編集のための書き下ろしとしては全然別のエピソードを考え、プロットまで編集さんに提出していたのだが、どうにも面白くなる感触がなくてまるで書き進められず、逃げ出すように京都に旅した。普段僕はあとがきに嘘八百を書くことがほとんどなのだが、5巻あとがきの伏見稲荷のエピソードは本当である。ただし奉納年表記は2006年ではなく平成16年だったのではないか……と今は記憶違いを疑っている。平成16年だとしたらバファローズ消滅のまさにその年であり、そっちの方が自然だ。もし伏見稲荷に行くことがあったら確認してみていただきたい。
作中でアリスが仕掛けた「振り逃げ打点」は実際の野球の試合でも何度も起きているプレイで、僕が実際に知ったのは2007年夏の高校野球の神奈川大会。東海大相模高校vs横浜高校という名門対決の準決勝で、振り逃げを決めたのは後に巨人軍でエースとなる菅野智之である。
それから作中に出てくる野球ゲームの「エンブレム描画機能が貧弱なので結果的に著作権アウトの画像が少ない一方でとんでもない手間をかけた職人芸が存在する」という話は、実際になにかのゲームで(カーレースゲームだった気がする)似たような話を読んで流用したものだが、もはや元ネタを思い出せない。

第6巻

ミンさん結婚騒動+吾郎先生登場回。

電撃文庫MAGAZINEに4回に分けて掲載した長編を収録し、書き下ろしの短編をくっつけた、たいへん消費カロリーの高い1冊。

連載開始前は、長編をばーっと1冊分書き、4回に良い感じに分けて載せればいいな、原稿料いただけて後に単行本にもなって美味しい仕事だな、などと軽く考えていたが、ばーっと1冊分なぞ書けるわけもなく、2ヶ月ごとに襲ってくる締め切りと戦いながらおよそ1年かけて書いた。

最後に明かされる真相に到るまでの軸は最初から考えてあったが、それ以外はかなり泥縄式で、結果としてイベントは多いが話の流れとしてはかなりストレートな長編となった。筋はちょっと詰め切れていない感があり、花田勝が要所要所でメッセージを残してナルミたちを誘導した、とアリスは発言しているのだがよくよく読むと大して誘導しておらずメッセージがなくても恐らくニート探偵団はほぼ同じ行動をとって同じ情報を得ていたのではないかと思われる。シナリオの弱さを語りで隠蔽している部分であり、幸いにして(?)目論みは成功し、これまでのところシナリオの弱さを指摘されたことはない。

花田勝の物語である――と本編でもあとがきでもいけしゃあしゃあと書いているがこれはもちろんレトリック。どこをどう見ても「ミン&ヒロ回」だ。この二人がくっつくだろうな、というのは、先のことをあまり考えない僕としては異例なことに2巻のあたりからすでにぼんやりと決めており、ミンさんに関してのヒロの反応の端々にそれっぽい要素が仕込んである。気になる方は読み返して探してみるのも一興。

一方でミンさんの出自に関してはまったく考えておらず、この巻の執筆時にひねり出した。「ミン」という名前も1巻時点では「なんとなくつけただけ」だったのだ。なんでミンなんだろう……中国語っぽいし中国人なのかな、それじゃマフィアのボスの親類ってことにしたら面白くない? というきわめて軽い感じで構想を進めていった。
チャイナマフィアなんていう馳星周ばりの題材を果たして扱いきれるだろうかと途中で不安になり、黒社会関連の資料本を何冊か買ったが、ほとんど読まずに死蔵する羽目になった(作家あるある)。作中にちらっとだけ登場する「崩牙会(ブロークン・トゥース)」というのは資料本に出てきた実在するチャイナマフィアの組織名である。あまりにもかっこいいのでそのまま使わせていただいた。他にも「龍頭(ロントウ)」「香主(シャンジウ)」といった役職名をいただいている。どれもかっこいい。

また、僕はキャラの誕生日も設定しないことが多い(後々使いたくなったときにすでに日付が決まっていると困ることがあるからだ)のだが、ナルミは例外的に10月31日と既出だった。これは2巻でネモさんが星占いをするときのオヤジギャグで使ったためである。しかたないので、せっかくハロウィンなのだしこの巻で使うことにした。誕生日ネタとしては有効利用できたとは言いがたいが、このシーンでの「おやすみ、ぼくのワトスン」というせりふはアリスのせりふの中で一番気に入ってるひとつなので、怪我の功名といったところだろうか。

書き下ろしの「ジゴロ先生、最後の授業」が、これまた単行本化のための書き下ろし分にしてはかなりのボリュームで、仕込みも多く手間がかかった。吾郎先生のキャラやご高説は、大昔にラーメン屋で読んだ週刊漫画ゴラクに載っていたジゴロ漫画のぼんやりした記憶を参考にしている。主人公は若いジゴロで、吾郎先生みたいな高齢のジゴロ師匠が登場する話があったのだ。女を三人以上囲ってこそジゴロ、という主張はこの漫画で読んだものである。しかし「ゴラク ジゴロ」で検索しても「どす恋ジゴロ」と「大江戸ジゴロ」ばかりヒットしてしまい、あの頃僕が読んだのがなんだったのか調べがつかない。相撲取りの話ではなかったはずなので……どす恋ジゴロではないと思うのだが……。ひょっとするとゴラクですらなかったかもしれない。漫画サンデーあたりの、似たテイストのおっさん向け漫画誌だった可能性もある。

期せずしてこの6巻は、長編と短編とでどんでん返しの構図が「実は死んでいた」「実は生きていた」とちょうど対照形となった。偶然であるがちょっと気に入っている。

第7巻

公園ホームレス殺人事件。

首切り殺人という、これまでにないほど本格ミステリ色の強い題材を扱っているが、本質的にはいつものワイダニット・ミステリであり、書いている当人としても執筆の感覚はとくに変わらなかった。

殺人現場となる公園のモデルはもちろん宮下公園だ。構想を練っている段階では、ナイキによるネーミングライツ取得及びスポーツ公園への改装に対してまだ反対運動が続いていて、着工していなかった。だからタイムリーなネタを扱えるとほくそえんだものだが、あれよあれよと話が進んでけっきょく執筆開始時にはもう公園は生まれ変わってしまった後だった。
現実に追い越されてしまって悔しい反面、実際にどう改装されたのかを確認できたので便利ではあった。
ナイキにあたる架空のスポーツ用品メーカーとして、ナイキの社名の由来となったギリシャ神話の勝利の女神ニケのローマ神話版である「ヴィクトリア」という社名を考え、なかなか洒落ているじゃないかと悦に入っていたのだが、知り合いに「実際その名前のスポーツ用品店あるよ」と指摘されて仰天した。というか我が家のすぐそばにも一軒あった。けっこうな大手であった。もちろんネーミングは再考を余儀なくさせられた。スポーツ関連に疎すぎるゆえの隠れ失敗エピソードである。
(本編で採用した「ハーキュリーズ」という社名は、ミサイルの「ナイキ・ハーキュリーズ」からとっている)

ホームレスを題材にした話であり、ホームレス関連の資料本も何冊か買いそろえたが、深くは踏み込まず、フラットかつ冷淡に触れるように心がけた。社会問題を提起したかったわけではないので。

また、主要登場人物でメイン回を書いていないのはもうアリスと少佐だけになってしまっていたし、アリス回は最終巻と決めていたので、この7巻が「少佐回」となることも半ば決定済みだった。「ミリオタ+ホームレス公園」となればもう自動的に題材は「エアガンによるホームレス襲撃」に固まる。そこから事件を逆算して組み立て、なぜ被害者の男は公園を去ろうとしなかったのか、という謎を核に据えたところ、娘がアイドルという設定が導き出された。夏月ユイというキャラは、だからほとんど理詰めで物語の要請によって誕生したキャラである。その割には妙に人気が高い。自分では上手く描けたかどうかちょっと自信がないのだが。

この巻の282pに出てくるシリアス顔の見返り少佐は岸田メル氏渾身の作で、入稿前に編集さんがわざわざ「すごいイラストできあがってきましたよ」と送ってきてくれたくらいだ。美形過ぎて震える。
思えば第1巻でのキャラクターデザイン初案では少佐は若い頃の佐野史郎みたいなひょろっとした眼鏡青年だったので、「もっとかわいくしてください」と注文をつけてリテイクを頼んだものだ。そうして出てきたのが今の少佐である。おかげで一定の人気を確保できた。感謝しきりである。

首切りの真相、ギンジが公園に居座った理由、どちらもいわゆる「物理トリック」に分類されるもので、前者はまあまあだと思うが後者はちょっと無理があったかもしれないと反省している。

この巻も編集さんのお気に入りである。

第8巻

エンジェル・フィックス事件再燃を軸にした連作短編。

第1章の麻雀回は、独立した短編として電撃文庫MAGAZINEに発表したもの。いつか麻雀勝負を書きたいと思っていたので、ついでに四代目の両親まで出せてかなり満足な一編だ。雛村三代目こと玄一郎とその妻・理佳子はなかなかよく書けたキャラだと思うが、ネイティヴ関西人の設定なので、関西弁が不自然ではないかどうかが気にかかる。

麻雀勝負でアリスが持ち出す「全局国士無双狙い」という戦術は、実際に僕が雀荘勤務時代に先輩メンバーから聞かされたもの。そうとうな眉唾ものだったが面白い上に話の展開に合っているので堂々と採用した。実際に試すときは自己責任でお願いしたい。
雀卓回しは昔の麻雀漫画ではよく出てきたネタで、ともすればギャグになってしまうので、その下準備、イカサマの確定証拠を残さないためのルール設定と、雀卓買い占めの作戦を徹底的に練り込んだ。「全員が親扱い」という特殊ルールを雀卓回しの下準備として使いつつ最後に親子ネタにからめるという力業のロジックは自分で読んでもよく考えついたもんだなあと感心してしまうが、麻雀を知らない人にはなにがなんだかよくわからなかったかもしれない。

雑誌掲載時は完全に独立した短編だったが、まったく解決していない「雀荘に出没して荒稼ぎする奇妙に強い連中」の謎を残してあり、文庫収録の際にトイレでの発見シーンを加筆してエンジェル・フィックス事件につなげた。

第2章のラブホテル回は、あとがきにも書いた通りアニメ初回オリジナルエピソードのために書いたプロット(没)を流用したもの。カーチェイスをやったら派手で面白いんじゃないか? という発想が最初にあった……気がする。実際のアニメシナリオでラブホテルの窓から女子高生が落っこちてくるという場面だけが、おそらく没プロットの名残である。
この巻はアニメ放映期間合わせで7巻から二ヶ月という間隔で出さねばならず、メモ帳シリーズ執筆中最もしめきりがやばい時期だったので、当時どういうことを考えていたのかいまいち思い出せない。読み返してみるとサスペンス・ミステリとして異様な緊迫感があり、当時の追い詰められていた僕の心理状況が反映されていたのかもしれない。

第3章、第4章はエンジェル・フィックス事件の決着編。1巻・3巻に続いて三度目の「彩夏回」と呼ぶこともできるだろうか。シュシュリというのは第1巻の解説のところで触れているエンジェル・フィックスの名前の由来となったティプトリーの短編『天国の門』に出てくるエイリアンの名前だ。異名で呼ばれている謎の首謀者の正体を探る――という展開が僕は大好きで、どんでん返しが二度も仕込んである。
墓見坂が自前のプラントを持っていながらなぜわざわざ彩夏に温室で芥子を育てさせていたのか? 組織外の人間を栽培に関わらせたら露見するリスクが高まるだろうに――という疑問は、自分で読んでもなるほどなあ変だよなあとうなずいてしまうが、このエピソードを書いているときに思いついたものであり、完全な後付けである。この話で回収しなければ設定の詰めの甘さで終わっていた箇所なのだ。自分の迂闊さと小ずるさに震える。
麻薬植物を他の植物で同心円状に囲んで栽培する、という小ネタは、フィリップ・K・ディックの『暗闇のスキャナー』から再びの借用。さりげなくこのエピソードが1巻とつながっていることを象徴しているわけだが、さすがにだれも気づかないだろう。
たいへんお気に入りのラストシーンもまた、もともとはアニメの最終回オリジナルエピソードの案として提出したプロット(没)を流用したもの。アリスの口上はBON JOVIの"Undivided"という曲だ。

第9巻

最終巻、紫苑寺家事件。

年単位でお待たせしてしまった。申し訳ない。このシリーズは完結せずに8巻で止まっていると思っている読者も少なからずいるようで、いやはやほんとうに申し訳ない。もしそういう人がお近くにおられたら9巻が出ていることを教えてあげてください。
全9巻の中から1冊だけ選べと言われたら、僕はやはりこの完結巻を選ぶ。完結させるというのは格別なものだ。特にだれもねぎらってくれないので自分で自分をねぎらいたい。

この巻は、とにかくアリスをそのまま大人にしたようなそっくりのお姉さんが出てきたら面白いだろうなあ……という発想からスタートして、その「そっくり」という点をとことん掘り下げていって構想したものだ。だから紫苑寺家の血統や因習がどろどろなのはプロットの要請によるものであり、ちがう方向に掘り下げていたらもっとまともな一族だった可能性もある。

メモ帳シリーズの集大成的な一冊になっており、これまでやってきたことが高濃度で投入してある。
まずは詐欺師としてのナルミ。シリーズ中最もコストをかけたこの巻の大仕掛けは、弁護の余地のまったくない、パスワードクラックのためのソーシャルエンジニアリング。まごうかたなき犯罪である。
ミステリ面から見てもシリーズ中最も典型的な躱し手ミステリ。メモ帳は解明すべき謎を読者の目からずらすというやり方でずっと書いてきた。真正面から提示した謎を徹底して調べてしまうと真相がすぐ看破されてしまう、という自信のなさゆえのひねくれ技法である。だから事件そのものの真相はとてもわかりやすく、たとえば1巻で彩夏がなぜ自殺を試みたのかはだいたいの読者が読んでいてすぐにわかるだろうし、7巻でもだれがギンジを殺したのかは話の途中段階でほぼ判明する。そういった点とは別に、暴いても特になんの意味もない場所――死者の心の中――に謎を用意し、最後にアリスがひょいっと解明する。
9巻でも、だれがアリスの父親を殺したのかはだいたい読んでいてすぐわかるだろう。謎はそこからずらされたところに置かれ、最後にひょいっと解明される……のだが、この9巻に限って、探偵役がアリスからナルミに交代している。犯人がアリスだからだ。ミステリシリーズで一回だけ、しかも最終巻でしか使えない手法を、堂々と使わせていただいた。

ナルミが作家になるという未来は、数え切れないくらいの示唆を各巻に蒔いてきたので、おおかたの読者には予想がついた結末だろう。その他のキャラの行く末もだいたい落ち着くところに落ち着きましたという感じにした。テツの《殴られ屋》という職名はちょっと気に入っていて、他でも使えないかなと思っているのだが、今のところ機会がない。
完結後、「少佐は彩夏とくっつくのかと思っていた」と言われたことがあり、なかなか鋭い、とうなずいてしまった。実は少佐が彩夏に惹かれているように読める描写を1巻の段階からいくつか埋め込んできた。普段ほとんど怒らない少佐が彩夏がらみでだけガチギレするのである。これは「後からそういう話をやりたくなったときに使うための布石」であって実際に惹かれていたのかどうかは作者の中でも不確定だ。最後に彩夏が少佐と同じ大学に進学するのもこの布石の一環だった(あとがきに書いた通り、9巻の最終章は5巻執筆後あたりに書いていたので)。
でもけっきょくこの二人はなにも起こさずに終わった。少佐が恋愛をしているところがまったく想像できなかったし、彩夏のファンもおそらくナルミ以外とくっついているところはあまり見たくないだろうなと思ったからだ。
だいたい僕は、大長編の少女漫画によくある、終盤でババ抜きみたいにして男女がぱたぱたときれいに一組ずつカップル成立させて「卒業」していく展開があまり好きではないのだ。
そもそも彩夏とナルミ、アリスとナルミという最も注目の集まるカップリングさえ、恋愛関係にはならないように書いてきた。これはもう、「そういう話ではないから」としか理由を説明できない。

 * * *

インタビューなどで何度か語ったことがあるが、『神様のメモ帳』には直接の源泉となった三つの先行作品がある。

一つ目は言うまでもなく、『池袋ウエストゲートパーク』。若者たちのドライな絆を描くスタイリッシュな都市型ミステリとして、舞台からキャラから題材に至るまで真似させてもらった。

二つ目は京極夏彦の京極堂シリーズ。事件を解決するのではなく語り直して解体してしまう、という中禅寺秋彦の推理スタンスは「泣かせのワイダニット・ミステリ」にとって最適な手法だった。

そして三つ目がオーソン・スコット・カードの『死者の代弁者』。葬式に立ち会って故人が生前どんな人物でどういったことを考えていたのかを代弁することによって生者たちになにがしかの変革をもたらすという職で、これが中禅寺秋彦の《憑き物落とし》によく似ている――と気づいたとき、探偵アリスのスタイルが生まれた。

最終巻で満を持してエピグラフにこの『死者の代弁者』のラストシーンを引き、締めくくれたので、作者としてはたいへん満足している。

きれいに完結させたので心残りというわけではないのだが、やろうかな、とぼんやり考えていてけっきょくやらなかったことがある。
「ナルミ回」だ。
5巻執筆時あたりにうっすらとシリーズ全体を構想していたときには、最終巻のひとつ前で「ナルミ回」、最終巻で「アリス回」、という流れを思い浮かべていた。「ナルミ回」とはつまり藤島家の話だ。母親が事故死して父親が精神的に壊れているという話のネタの宝庫みたいな家庭なので、その気になれば一冊書けたのである。母親の事故に不審な点があり、姉もなにやら秘密を抱えており……という感じで過去を探るミステリを書こうかと考えていた時期もあった。姉の名前がまったく出てきていないのを利用して叙述トリックを仕掛けようか、などと考えてもみた。
が、やめた。
言ってみればメモ帳は全巻が「ナルミ回」であり、もう毎回毎回成長しまくってタフになりすぎている。エンジェル・フィックス事件も克服して義兄との仲も修復した後で、今さら自分の個人的な事件が浮かび上がってきて凹むような展開なぞを書くのもどうかと思ったのだ。ここまで強くなってしまったナルミを打ちのめすのはもう自分の家庭の事情などでは不十分、アリスの問題をぶつけるしかないだろう、という結論に至ったわけなのである。いま振り返っても正解だったと思う。

最後に、タイトルについて。
この作品はタイトル難産型で、脱稿してからもまだタイトルが決まっていなかった。いや、自分の中では決めていたのだ。『NEET TEEN』という。回文であり内容にも合致しており我ながら見事な題名だとそのときは思っていたのだが、編集さんの反応は冷ややかだった。なんかもう原稿の冒頭に表記されている8文字のアルファベットはまったく見えていないかのようなそぶりで「ところでタイトルどうしましょうか?」なんて訊いてくる。そうなるとこっちも頭が冷えてきて、書店にこのタイトルで並んでいるのを想像したとき、なるほど、自分でも手を出さんわ、と考え直すようになった。そこで作中に出てきた印象的な言葉である『神様のメモ帳』をタイトルに持ってきたわけだ。
NEET TEENの方は悔しいのでその後、自サイトの名前に使った。

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gifアニメのバナーまで作った。我ながらよくできている。
編集さんに全否定されたNEET TEENだが、その後作品のキャッチコピーである「ニートティーン・ストーリー」というフレーズに使ってもらえることになった。浮かばれたというもの。

それで神様のメモ帳って一体なんなんですか? ……という質問を、それはもう大量にいただいた。
神様のメモ帳というのは、新約聖書《ヨハネの黙示録》に登場する"小羊(イエス・キリスト)の命の書"のことで、これに名前が記されている者だけが最後の審判後に現れる神の王国に入ることがゆるされ、記されていない者は血の池に投げ込まれる――というもの。
有り体に言ってしまえば「運命」のことで、しかし「メモ帳」という表現にはアリスが神様に対して敬意も畏れもまったく抱いていないことが含意されている。運命はどこぞに記されているのだろうが、どうせてきとうに書かれたもので、書いたやつは我々を愛したり我々に怒ったりなどしていない。神様は我々にはまるで興味がない。天罰も救済もありはしない。だから我々は勝手にそれぞれの運命をなんとか生きていくしかないのだ、というアリスの人生観が反映された言葉だ。
僕もそうありたい、と常々思っている。

さて、これでもうナルミやアリスたちについて語り残したことはないはずだ。あとは彼らの行く先に幸あれと祈るばかり。二人が絶対に恋愛関係に発展しないようにと注意深く書いてきたので、同棲しようが同衾しようがなにも起きないのだが、とはいっても物語が終わった後に続く未来はどうなっているかわからない。そこはもはや作者の手を離れた、彼らの人生だ。

自分にとっても、大切なシリーズとなった。読者のあなたにとってもそうであることを願っている。
お読みいただきありがとうございました。

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