その後: neo genesis
大学
大阪の某外語大学に入学した。いろいろあったけれど何やかんや楽しい。
恋人
振られた。理由はカクカクシカジカ
母
大学1年の頃、きっかけは忘れたけど僕自身の何かの線が切れて母さんを無理やり助手席に乗せ、隣の市の役所まで車を飛ばした事があった。離婚届を貰いに行くためだった。母さんは地元の市の役所で働いているから、その隣の市まであえて車を飛ばした。
車内で何の会話をしたのかも覚えていない。
横目に悲しそうな顔が目に映った。
土曜だったけど、離婚届けを受け取りたい旨を伝えると事務局のおじさんが慌てて重い腰を上げてくれた。
自分が結婚する前に実物の離婚届を手にするのは妙な感じだった。
離婚はしなかった。
今は祖母と暮らしていると思う。詳しくは知らない。
父
大学に入ってからは2度ほどまともに話したことがある。
1度目は車内で母さんとどうやって出会ったか話してくれた。(極真空手の道場)
2度目はフィンランドに行く前、地元の回転寿司へ2人で行った。家業のことを話してくれた。
その時初めて家訓を知った。
「絶対に人に金を貸すな」だった。
また必ず会いに行く。何年後になるかは分からないけれど。
その後
長くなりましたが、僕はこれらの出来事をあまり悲観していないんだ。悲しい事は沢山あったけどね。
今でも7歳の頃と嫌いなものは変わってない。自分でも大きな声を出せない。大きな声で人に怒ったこともない。自分の声に驚くから。物にも当たらない。壊れる音が怖いから。僕は父さんがうまく使えなかった言葉を武器したい。金にならなくて良いからずっと書き続けたい。
大学2年の頃に読んだ岡本氏のこのパンチラインが好きなんだ。正直、そこまでの覚悟はない。人間少なからず今までの経験の積み重ねで構築されていると思う。特に僕は。でもこのライン、本当に好き。
ちなみにこの本を友達に貸してから一年帰ってきてない。
大学を卒業すれば関東に身を移そうと思う。新しい環境が人を成長させてくれると思ってる。知らんけど。
岡本太郎みたく生きる事はできないけれど、母さんからもらった命、ボロ雑巾みたく使い込んで返す。
読んでくれてありがとう。
強い自意識がこの文章を書かせたんだと思う。
僕のことをよく知る貴女へ。
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