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ドラマ「スター・ウォーズ:アソーカ」第3話感想~「自分自身でいてほしい」とは~

前回までの…

 ドラマ「スター・ウォーズ:アソーカ」(以下ドラマ「アソーカ」とか本作とか)の感想を毎週書いてみようということで、新鮮な気持ちと疑問を書いていきます。前回の記事はこちらです。

 今回はまず、3話を見てから読んだ記事の話をして、その後3話感想を述べていく。

1400万回再生は多いのか問題

 3話を見てから読んだ記事について忘備録も兼ねて貼っておく。

 スターウォーズのドラマ「アソーカ」の1話はどうも1400万回再生されたらしい。(私は英語で数字が数えられなかったので1 million という数字をわざわざ検索した)世界の名だたるコンテンツってもう規模から違うのでもはや多いのか少ないのか分からないのだが、私の見た情報だと、多くもないが少なくもない…という評価なのだろうか…?
 このレビューも読みながら、結局のところドラマ「アソーカ」って新規には敬遠されやすいという弱点を抱えてしまっているのかなあと感じている。

 あれだけ私も1・2話感想の回では決して新規をとりこぼさないという強い気持ちを製作陣から感じたと熱く書いたものの、やはり「反乱者たち」ファンとしては「ドラマ「アソーカ」は実質の「反乱者たち シーズン5」だ!!」と主張を譲れはしない。隙あらば「Rebels Season 5」と言いたいのだ。本作の主人公である「アソーカ・タノ」を知るには「反乱者たち」(全74話)だけでなく「スターウォーズ/クローン・ウォーズ」(劇場版1作+133話)を見てほしいといったら布教の壁は上がりまくるわけで、これは一体どうすればよいのか。アソーカは非常に魅力のあるキャラクターなのだが、驚くべきことに映画だけを見ている人からすると「あなたは誰?」になってしまうという恐ろしい事態を引き起こす。
 ドラマ「アソーカ」を私はとても楽しく見ている。見ているのだが、結局アニメを見ていない人がこのドラマを見たのか?楽しく見れているのか?ということが勝手に気になってしまったのである。特に3話はそれが顕著だと思う。自分が心配しなくていいということが分かっているのだが、ここまで出来のいいドラマであるからこそ、もっと広がれと願ってしまうオタクの強欲な気持ちをしたためおく。1・2話感想は何とも熱い気持ちを持っていたのだが、なぜか3話は後述するように「チルアウト」な回だと思ったので文章も比較的ローテンションな文章になっていると思う。

第3話感想

総評

 第3話について、初見はなぜか「チルアウトな回」だという感想がぱっと頭についた。1・2話は話の始まりだとすると、3話は4話以降の本筋をつないでいくつなぎのような回として機能するのではないかと感じたからだと思う。
 他にも理由として、物語後半は宇宙での戦闘シーンもあり、激しいシーンであるはずなのだが、メタ的にここで何か決着がつくわけでもないでしょうと思ってしまったからなのかもしれない。それとも、謎の巨大ハイパースペース装置やパーギルなど、本作の謎要素を散らしていく構成がチルアウトな気持ちを感じさせたからなのか。良くも悪くも安心して楽しく見れた。

ヘラ・シンドゥーラと新共和国と…

 ヘラ・シンドゥーラが新共和国の議員の面々と話すシーンは見ていてニクいなあと感じるシーンだった。発足したての新共和国というのは、「マンダロリアン」でも描かれていたように、やることも山積しており、国としても未熟なんだろうなと思う。そのあたりの独特な気持ち悪さは「マンダロリアン」シーズン3のチャプター19「改心」で非常にうまく描かれていると思う。
 ただ、見えない脅威に対して、これから起こりうる戦争を防ぎたいから力を貸してほしいと懇願するヘラの言葉が新共和国の議員の面々にはいささか証拠が弱すぎるのも事実である。証拠が弱いながらにも、違和感を感じる面々がおり、行動しようにも組織的に動けるほどの決定打にも欠ける状況なのも敵の思うつぼなのだろうか。スローン大提督が糸を引いてるとしたら、スローン提督っぽい策の練り方を見せられているようで、やはり大提督には「敵ながらあっぱれ」という言葉がふさわしい。
 議員に指摘されていたように「エズラを探したいからでは?個人的な動機に新共和国の資産を動かすのはどうなのか?」という指摘はヘラの痛いところをついてくる。どんな英雄であれ、新共和国という機関の中の一員として行動するには上に承認をもらわなければ行動できない、という毎日どこかで見ているようなまごうことなき官僚制を見せられてしまって、こういう見せ方でヘラと新共和国を見せるのは小憎らしい。
 ヘラのシーンで、息子のジェイセン・シンドゥーラが出てきたのは「反乱者たち」ファンとしては嬉しかった。(こんなことばかりあるので、アニメを見てないみんなが楽しめているのか心配している)「サビーヌおばさん」とサビーヌを呼ぶのもスペクターズに思いをはせてしまうし、「僕もジェダイになれる?」と聞かれるともう…。ヘラ・シンドゥーラの人生…!!ジェイセンは健やかに育ってほしい。それにしてもジェイセンはチョッパーに何を教えられているのか。爆弾の作り方でも教わってんじゃねーのか。

「自分自身でいてほしい」とはどういうことなのか

 前半部分でサビーヌは訓練している。戦いばかりの物語において、訓練するシーンというのは貴重である。私はキーレイ、ガイキー、キーレイ…が頭から離れなくなってしまった。
 訓練の後、アソーカとサビーヌはフォースについて話をしている。サビーヌの問いで示唆的であると感じた問いは、「なぜフォースは万物に宿るのに、皆が使えるわけではないのか?」という問いだ。確かに。言われてみれば。また、サビーヌはフォースを使えないようである。ここは予告でアソーカとの師弟関係が明示された頃から「サビーヌってフォース使える設定じゃなかったよね?」と私は疑問に思っていたので、明らかになって少しすっきりした。フォースが使えないパダワンとは、なかなか面白い物をぶちこんでくる。
 アソーカとヒュイヤンの会話では、アソーカはサビーヌにジェダイにしたいのではなく、「自分自身でいてほしい」と話している。私はこれは極めてアソーカらしい言葉だと感じた。私はアソーカというのはパダワンとしてジェダイの教えを受けてきた過去も、ジェダイ評議会を離れた事実も、いろんな彼女の人生をすべて含めた上でアソーカであるという選択を選んだ人間であると思っている。そんな彼女がサビーヌに対して「自分自身でいてほしい」と話すのは、とことん彼女らしいと私には思える。ただ、「自分自身でいてほしい」とはどういうことなのか?何をアソーカは教えようとしているのか?は今の時点だとこちらにははっきりとは見えてこない。今後どう関わってくるのか気になる。

個人的に一番好きなのは宇宙の戦闘シーンでした

 第三話の宇宙の戦闘シーンは面白かった。
 モーガンからの攻撃を受け、アソーカたちの乗っている宇宙船は機能停止し絶体絶命の状態。このまま攻撃を受ければ壊滅すること間違いなしの状態。さあ、どうする!?
 答え:宇宙に出て敵の注意をそらしライトセーバーで来る弾をはじき返す
 いや、「外に出る」ってなんだよ。型破りってどうなってんだよ。いいぞもっとやれ。外に出たとしても敵は船を狙えばいいのに何で狙わないのかとかいろいろとツッコミどころもあるが、一瞬がとにかく大事な状況下で外に出始める敵なんていう意味不明な情報を得たら敵を狙ってしまうかもしれない。敵を狙ってしまったんでしょう。
 やっぱりライトセーバーで弾をはじき返すの最高だよなあ…。「スターウォーズ/クローン・ウォーズ」で鍛えられてしまった私は大喜びせざるを得ない。デイブ・フィローニただこれがやりたかっただけなのでは?だとしても見ててめちゃくちゃ楽しいから私なんかは「最高」の札をあげてしまう。
 ちなみに、この一週間は、これ「クローン・ウォーズ」で見たシーンを思い出すなあと思い、ひたすらどのシーンか探していた。もしかしたら幻覚かと自信をなくしていたが、なんとか見つけることができた。シーズン2の2話「破壊の積荷」である。敵の船に向かいたいのだが、味方の船は強襲用の船を持ち合わせていなかった。向かう手段がない。どうする、アナキン・スカイウォーカー!?
答え:陸上用のウォーカーを使って強襲して敵の船に乗り込む
 いや、なんで陸上用を使うって発想になるんだよ。これだから型破りなジェダイは…。ちなみにこの時アソーカもちゃっかり宇宙服を着てライトセーバーで弾もはじき返している。そもそも弾をライトセーバーではじき返すのを当たり前のようにやっているが、あんな細い棒を盾のかわりにしているジェダイはやっぱりおかしいと思う。
 宇宙での戦闘シーンで好きなところといえば、アソーカとサビーヌの連携プレイが見れたところだ。サビーヌの「私の設定変えた?」という些細な会話から、自分たちの知らない間の二人の関係を感じることもできる。アソーカがサビーヌに「どうしたい?」と聞いているところも、サビーヌをちゃんと頼りにしていることが伝わってきて、私はよかったと思う。サビーヌはサビーヌで彼女の持つ戦闘センスを遺憾なく発揮している。こういうところがハマりあう瞬間というのはやはり見ていて楽しい。

サビーヌにとっての「エズラ」

 パーギルの群れを抜け、なんとか惑星に不時着できたアソーカたち。パーギルの群れに対してサビーヌが「あのクジラみたのエズラが消えて以来」と話す。それに対してアソーカは何も言わない。いや、何か言ってあげて…。
 サビーヌにとってのエズラへの思いとそれに対するアソーカの考えって今後絶対どこかでひっぱられてくるんだろうなあと私は感じている。
 サビーヌにとってエズラはスペクターズという疑似家族集団のかけがえのない仲間である。一方で伝統的なジェダイは家族という集団と最も縁のない存在である。そしてアソーカというのは、型破りなジェダイの系譜を受け継ぎながらも、どこか本人の中に「ジェダイの標準プロトコル」が残り続けているような人間である。アソーカの目にはスペクターズの絆というのはどのように映っているのだろうか?考えてみると、「反乱者たち」のアソーカというのは本当に先輩ジェダイの立場として、「フルクラム」として参加していたのでそのあたりどう考えていたのか、いるのかというのは分からない。「世界の狭間の世界」でアソーカがエズラとした約束がアソーカの中にどの程度残り続けているのか?というのも微妙なところである。そもそもあの約束(というか会話)は今も機能していると考えていいのか?
 一方サビーヌはエズラから託された願いを今もなお持ち続けているのであろう。さらにいうと、サビーヌとしてはエズラの決断に納得がいっていないのでは?エズラが選びたくなかったけど選んだ選択は、確かにこの選択しかあの状況ではなかったと思うのだが、残された人間からすると、どんなに正しい選択だとしても悲しいという気持ちは残ってしまうのではないか?きわめて「ジェダイ的」なエズラの選択を、サビーヌはどう感じているのか?もし、サビーヌがエズラのように選択を迫られた時、彼女はどのような選択をするのか?新たな師弟関係を舞台に多様な視点で「ジェダイとは」を考えさせてくる本作であるからこそ、ここは肝になってくるのではないか。次回にも引き継がれる問いだと思う。

8話で終わるのか

 「マンダロリアン」の時にも感じていたが、これは本当に8話で終わるのだろうか?
 私は本作にアナキン・スカイウォーカーが出るという情報だけ知っているのだが、話も進めて、アナキンも出して、本当にできるのだろうか?正直な話、もっとこのドラマがみたいので、12話くらいやってくれないだろうか?10月初旬に最終回を迎える本作だが、その時私はどんな気持ちで最終回を迎えているのか、勝手にやきもきしている。気が早い。
 では、水曜日を楽しみにしています。待っていろよ第四話!




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