見出し画像

ガールズ&パンツァー最終章第4話を観たらいつもの定食の味だった(ネタバレなし)

※この記事は、ガールズ&パンツァー公開時の書きかけに加筆したものです。公開から時が経っていますが、温かい目で見守ってください。

 むしゃくしゃしたので、ガールズ&パンツァー最終章第4話を公開日に観に行った。

 今回は第4話のネタバレは全くしない。
 話の筋には触れないけれども、「いつもの定食の味」くらいの評価は書く。

例えで言うと

 私にとってガルパン最終章というのは、数年振りに開くめちゃくちゃうまい定食屋みたいなものだ。
 ふらっと入ったお店で食べた味が忘れられない。とっても美味しくて、美味しくて、おかわりが欲しい!と強く願う。
 そしたら定食屋のご主人が、「あと6回だけだけど、この完成度の高い定食を作りたい」って言ってくれる。嬉しさのあまりに胸の高鳴りが抑えられない。思わず、「絶対食べにいきます!」と私は口にした。

 それが全ての始まりだった。この口約束がこんなにも長く続くことを当時理解していただろうか?いや、分かっていた。分かっていて私は見に行くことを誓ったのだ。なお、口約束はれっきとした約束である。

 数年ぶりにしか開かない幻の定食屋がガールズ&パンツァー最終章。どんなに人生が変わっても何があってもたどり着いてあの味を食べに行かないといけない。それがガルパン。

「次は何年後かなぁ〜??」

 映画終わった時の正直な気持ちがこれ。「次は何年後かなあ~??」である。
 第4話は本当に面白かった。どんなにハマっているジャンルが変わろうと、ガールズ&パンツァーを見せられたら自分がガールズ&パンツァーが好きだったことを理解させられてしまう。良い作品だと思う。
 いや、だから次は何年後なんだこれ…。
 最終章の頃は私も大学生だったのに、今や社会の片隅で給与所得を得る人間になっていて、人生が移り変わっていくことを実感している。それなのに、西住みほは相変わらずそこにいるし、みんな年は取らないし、センター試験が共通テストになっても桃ちゃんは大学進学してないし、彼女たちが変わらずそこにいる。

 変わらない定食の味。変わらないキャラたち。変わっていく私。

いや……人生……………。

 改めて戦車道の試合を見ていると、みんなしっかりとチームで連携してて、こんな風に仕事ができたら全然違うんだろうなぁと思ってしまう。みんながそれぞれの役割を担って、意見を出し合いながら勝利を目指す。

 大学の頃は体育会系なんて嫌いだ!って思ってたけど、今じゃすっかり体育会系的な要素も人間には必要なんだな〜と思うようになった。世俗にまみれてしまった。
 こうやって爽やかスポーツ連携プレイを見せられると、仕事に必要なものって、本当にこういうことだよねと思い、ため息をついてしまう。自分にはない……。身に着くことのない社会性を嘆いても仕方ない。頑張ろう。な?

定食の味は本当に変わっていないのか

 変わってない定食の味といいつつも、ここまで自分の環境が変動していく中で、ガルパンを「変わらない」と言えるのは、ガルパンもゆっくりと「変えた」部分があるからなのでは?とも感じている。
 「ああ、いつものあの味ね」「そうそう、こんな味だったなぁ〜」と思えるのはガルパンのあの味を真摯に製作陣が作り続けているからなのだろう。
 ガルパン最終章第4話を見るまでには、いろんなことがあった。私は、ガルパンが自分の一番のメインコンテンツとは今は言い難い。同じ状況の人は少なからずいるのではないだろうか。第3話の話なんかもう忘れてて、なんだっけと思いながらあやふやの状態になってないか。
 でも、どんなに自分がガルパンへの思いを忘れてたとしても、変わらない熱でガルパンはそこにいてくれる。

 ガルパンが好きだったかあやふやの人間でも、映画を見れば面白さをちゃんと感じ取れるというのは本当にすごい。同じ定食の味を出すということは、私が感じ取れないようなところで変化させて随所に工夫が散りばめられているのだと思う。

 ガールズ&パンツァーの良さは色々あると思う。圧倒的にこだわられた音。疾走感を感じる戦車道の戦闘。ズレたキャラクターたちのコミュニケーションを真面目に見せてきてこちらを混乱させてくること。これが地味に好きなんだよなあ。
 そういういろんな魅力が第4話にもあって、「そうか、私はこういうガルパンのことが好きだったんだ」と劇場の暗がりの中で思わず笑顔になっていた。

全6話映画館公開という展開について

 正直、劇場版が当たったからといって、こうやって劇場で公開し続けることがコンテンツとして正解だったのか私は疑問に感じている。私は、残念ながらあの劇場版ほど最終章を何回も熱心に見ることはない。(見たい気持ちもある)
最終章を一回見逃してしまって、それ以来劇場に行くことがなくなってしまった…なんて人もいるんじゃないだろうか。
 「プリンセス・プリンシパル」も同じようなやり方で劇場版を数年ごとに公開しているが、私は1話を見逃してしまったので続きを見る機会を逃している。本当は観たら絶対面白いって知ってるんだけどね…。

 初めて劇場版を全6作やる!と聞いた時、世間はアニメ映画ブームみたいなものが来ていて、映画館でやることはむしろ正解ではないか!?と私は思っていた。ガルパンの劇場版が盛り上がってた頃というのは、ジャンルは違えど、「KING OF PRISM by PrettyRhythm」の応援上映に私がせこせこと通っていた時期なので、私は「アニメを映画で観るって楽しいんだ!」と気づいた時期でもある。世間的にもそうだったんじゃないかと思う。

 しかし、その数年後、コロナウイルスが猛威を振るったことによって、映画を観ること自体控えられるような時代を迎えてしまった。嗚呼、一体、六作全てを劇場公開すると決めた時に誰がこんな状況を予測しただろうか…。絶対想像できなかったよなあ。

映画は見づらいし、見やすい

 そもそも映画を映画館で観るには、上映期間にいつも振り回されてしまう。いつ終わるのか分からないのだ。気になってたあの映画、見に行ってみようと思ったら、いつのまにか上映終了していたなんてことはざらにある。逆に人気すぎて、なぜか公開から1年以上経っても上映し続ける変な映画も存在する。私もそのおかげで、ガルパン劇場版を映画館で観ることができた。あの時は、だいたい公開から1年以上は経っていた。

ただ、映画は見やすい側面もある。日々を忙しく生きている大人にとって、テレビアニメを毎週欠かさず見るよりも、ふらっと映画館で1回見るくらいの方がやりやすい。そして、アニメの中でもガルパンというのは比較的ファンの年齢層が高いので、映画で見る方が良いという人も多いと思う。ファンの年齢層については私の主観でしか捉えられていないが、さすがにこのコンテンツは中高生がメイン年齢層ではないだろう。私が今回見に行った映画館も、仕事終わりの時間帯とオフィス街ということもあってか、サラリーマンっぽい人が多かった。お仕事お疲れ様です。

数年間隔で確実に会えることのすごさ

 ガルパン最終章自体も、テレビでやってたら絶対にできなかったクオリティを確実に届けていると思う。毎回映画館で観るからこその劇場体験ができている。映画でガルパンを届けるということ自体は決して間違った戦略ではないはずだ。ただ、新規参入がしづらいし、途中離脱を生み出してしまうことが課題なのだ。この一点に尽きると思う。

 そもそも、ガルパンの最終章に数年間隔でちゃんと出会えるってすごいことだ。ずっと完結できないプロジェクトにもなりかねないだろうに、二年くらいしたらちゃんと一作品できている。作品が作り続けられるって、目には見えない大変なことがきっといっぱいあるんだろうな…と何も知らなくても思う。それを続けて、こちらに届くことの喜びたるや!
 この瞬間の奇跡を今、焼き付けて噛みしめている。本当にすごい。

いつか桜舞う道の先で

 ガルパン最終章第4話は面白かった。
 さて、ここからは私の問題になってくる。あと何年経っても、私が映画館に足を運びつづけることができるか。足さえ運べば問題ないのだ。だってこんなにもガルパンは進化し続けて、いつもの味をくれるから。

 劇場版を見終えた後、ガルパンと歩んできた過去を振り返っていた。そして同時に未来にも目を向けた。いつか、最終章が終わった時に私はどうなっているだろうか?私はガールズ&パンツァーに胸を張って言える未来を歩めているのだろうか?

 少なくとも、第5話に出会うまでも、数年かかることは間違いない。だとしても、何度でも、私はガルパンに巡り合う。巡り合ってみせる。そんな気持ちになる第4話だった。
 ありがとうガールズ&パンツァー最終章第4話。いつか桜舞う道の先で会いましょう。


この記事が参加している募集

映画感想文

サポートしていただけると嬉しいです! 美味しいもの食べてまた何か書くと思います!