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太陽の手が届かない所まで逃げることを許して下さい

お笑い芸人になりたい人なんて、大半が根暗か陰キャだろうと高を括ってNSCに入学しましたが、「クラスの人気者」みたいな人が多くて驚きました。

自分が陰キャなので勘違いしていました。

先日受けた講義なんかは、太陽レベルで明るい人が集まりすぎていて、自然と身体が縮こまってしまいました。


太陽というのは、我々人間の意に反して現れ続けます。

しかも、自分の気が済んだら勝手に沈んでいき、安心も束の間、また勝手に現れては、勝手に光や熱を放出して勝手に世界を覆ってしまいます。

どんなに気分が落ち込んでいても、泣きたくても、勝手に照らしやがります。

これって自己中じゃないですか。

自己中だと思いませんか。

自己中だと思いたいだけかもしれませんが、自己中の要素は揃っていると思います。


これに近い感情を、いわゆる「陽キャ」という人たちに対しても抱くのです。

しかし、全員が全員、私を苦しめる訳ではありません。むしろ大好きで憧れている人もいます。

じゃあ何が原因なのだろうと考えたときに、
私が苦手なのは陽キャの中でも、「空間を自分のものだと勘違いしている」人たちだということが分かりました。

彼らは、自分たちがいる場所を

「ここは自分の空間だから何をしてもいいんだ」と

そこにいる人たちのことを

「自分の空間にいる人たちだから、自分の味方だ」と

潜在的に思っていると推測しています。

だから周りに配慮をせずに、大きな声、もしくは大きな動きで、空間を占領するのではないでしょうか。

もしそれが自分の好きなノリならば、私もここまで悪態をつかないのですが、ことごとく合わないものばかりなのでこうして頭を抱えているのです。

自分にとって異質なものに空間を占められるのって、すごく不安になってしまいます。


太陽が一つなら、はいはい、と流すことも出来るのですが、日本には「類は友を呼ぶ」という恐ろしい言葉が存在します。

散らばっていた太陽は、やがて他の太陽を見つけ出し、群れを成す。

デカ太陽の誕生です。

そうなるともう私は、知らぬ間にスイミーになっています。

先日受けた講義では、太陽が群れを作り、休憩時間には話し声だけで、狭い教室から出せる最大音量の騒音を生み出していました。

それだけなら、身の程をわきまえて端の方に座り、耳を塞いでいればいいのですが、講義中のノリも「陽」そのものでした。

発表する人が「どや!おもろいやろ〜!」と「陽」の心構えでパフォーマンスをすれば、見ている人も「めっちゃおもろい〜!」と、その「陽」を表面的に受け入れ「陽」のリアクションをし、発表者の「陽」に拍車をかける。全員声がデカい。

密室の中で「陽」の永久機関が出来上がっていました。

「これ、なんの時間?」と考えているうちに、私は逃げそびれました。

確かに面白い部分もありましたが、最初に講師の方が仰っていた「今回の講義の目的」を無視したものが多かったように感じました。

「ノリでやろや」「おもろかったらええやん」のデメリットって、こういう所に現れるよなと思いました。


その日は落ち込みながら帰りました。

お笑い芸人になるには、この空気に溶け込まないといけないのか。いやむしろ、この空気を作る側にならないといけないのか。

自分の個性や得意を大切にするには、ある程度の線は引いた方がいいのかもしれない。

けれど「線を引く」ということは、「努力を放棄した」ことと同義ではないだろうか。

悶々と考えました。

努力の正しい方向性が分かりません。


なんだかんだ言っておりますが、私は陽キャを目の敵にして、「自分はこうならないぞ!」とか「アイツらはダセェ!」なんて否定するのは、それはそれで違うと思っています。

というのも、結局、太陽は輝いて見えるのです。

「ちょっとしたルール」は無視しても、人前に立つことを楽しみながら自分の最大限を披露できる潔さ。

それまで誰かのものだった、もしくは誰のものでもなかった空気を、自分色に染め上げる力、またそれをやってのけようとする度胸。

そこにいるだけで場を明るくできる存在感。

こう考えてみると、彼らがやっているのは主人公ムーブです。

特にお笑い芸人という存在は、そういう人がいてこそ成り立っていますし、どう考えても重宝されます。

悲しいことに、「ちょっとしたルール」を厳密に守っていたとしても、自分なりに努力をしていたとしても、誰かの目を引くことが出来なければ、彼らの引き立て役にしかなれません。

なんなんでしょうね。結局そうなんですよね。


それに「友達が多い」というのは、眩しいものです。

普通に過ごしているだけで、自然と周りに人が集まってくるなんてことは、私の人生で起こったことがありません。

情けで輪の中に入れてもらえても、そこから平等な関係性を築くことができず、気づけば元いた場所から眺めているというのがお決まりです。

本当はめちゃくちゃ人に好かれたいのですが、なかなか上手く出来ません。

なのでそういう点でも、私は彼らに嫉妬している節があるのだと思います。

かと言って、純度100%の陽キャになりたいという訳ではないので、彼らのその「テンション感を楽しむことができる感性」が羨ましいと思っているのかなと考えています。


あ〜あ、ギャルになりたい。

馬場光

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