勇敢マダム(ショートショート)
閑静な高級住宅街。
こちらに引っ越してから、やっと1週間経った一人の女性が、時間を持て余している。時計の針が13時を回ったところだ。
「午前中に家事を全部、済ませたから、特にすることも無いわ。うちの子、給食、全部食べたかしら。そうだわ、買って読んでなかった本でも読みましょうか。」と書棚から本を取り出して、読書を始めた。ところが時計の針が14時を指す頃に、あることに気付いた。
「今日は空手教室の日だったわ。最近は便利よね。オンラインで指導してもらえるんだから。」と言って、和室にノートパソコンを移動し、オンライン教室の準備を始めた。14時オンライン空手教室開始。師範の合図と共に、稽古をスタート。
そこへ突然、大きな音を立てて、スズメバチが家の中に入ってきた。「キャー!助けて!」女性の声を聞いて、道を通っていた人がインターホンを鳴らした。「大丈夫ですか?」モニターを見ると、隣の婦人が居るのが分かった。「Zさんですね。スズメバチが家に入ってきたのです。」「そうなのですね。私が追い出して差し上げましょう。」「ありがとうございます。お願いします。」とドアを開けて、Zさんを家に入れた。Zさんは、落ち着いた様子で、傘を使ってスズメバチを窓から追い出してくれた。「ありがとうございます。私、虫が苦手なんです。助かりました。Zさん、お時間ありますか?お茶、お召し上がりになりませんか?」「いいんですか?それでは、お言葉に甘えて、、、」ふと、和室の壁に能面が飾ってあることに気付き「若男ですね。」と言葉を続けた。「そうです。若男です。よくご存知ですね。」「はい、謡を習っているもので、、、友閑(ゆうかん)満庸(みつつね)の作。」「私も能楽が好きなのです。気が合いますね。お茶を飲みながら、ゆっくり話ましょう。」お茶を飲みながら、いろいろ話した。Zさんは、幼少期は田舎で育ち、虫は怖くないとのこと、お子さんは、既に成人し、手を離れていること、ご主人と2人暮らしとのこと。上品な物腰は、この住宅街で長年暮らしているからだろうか。一緒に居て、心地よい。
キキーッ。バイクが止まる音がしてから、コトンと郵便ポストに物が入った音がした。「何か、届いたのではないですか?」「はい、きっとネットで注文した本だと思います。」ガチャガチャ。扉の鍵が開く音がした。「ただいま~。」「スミマセン。息子が学校から帰って来ましたわ。」「お母さん、夕刊。」
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