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自分に自信を持つには

就活をしていると本当に色々な人に出会う。

その中で沢山の就活生は『自分という存在』に価値をうまく見いだせないでいるなあと感じたりする。(何様やねん!!!!)

でも素敵で良いところ盛り沢山な人が『自信ない』とか『私の良いところがわからない』って言ってるのを見ると『えええええ、どこがよ、、、もっとちゃんと客観的に自分を見なさいよ!!!』と思うのです。

なんかそういう人たちって決まって自分のよくないところ、足りないところはめちゃくちゃ分かってる。いや、まずその時点で偉いから褒めてあげてくださいという気持ち。

何故だか人間って出来てないところは客観的に見つけられるのに、自分の出来てるところはあんまり見つけられないしそっちを考える時だけ主観的になっちゃって『あれ?これって本当にできてるの部類に入るのかな?あの子の方がもっとできてるから、これは出来るって言えないかあ』などと思うのです。

それとみんなできるのハードルが高すぎ!!!就活してると勿論めちゃくちゃすごい人たちに出会うけど比べられなくない?『比べたって仕方ない!』って言うと『分かってるけど比べちゃうんだよ〜〜!!!』という反論をよく頂くので言葉を変えてみた。

そもそもの話なんだけど、人間を比べるっておかしくない?どうやって比べるの?例えば、成績とか50m走のタイムとか数値化されてるものだったら比べられるけど、人間としての良し悪しって比べられんくないか?

それを勝手に自分の中で評価基準を作って自分の物差しで測って『私はこの人よりここは劣っている』とか、『私はこの人に比べてここは優れている』とかシンプルに戯事じゃない?(言い過ぎかも、ごめん)

でもそんな風に何でもかんでも自分の物差しで測って、そもそも比べられないものを勝手に比べてるから苦しくなるんじゃないのか?と思うわけです。さっさとそんなしょうもない自分の中でしか通用しない物差しなんか捨てて自分を愛して生きていけば良いのに。とか思ったり。

だってさ、歩んできた人生も育ってきた環境も見た目も中身も違うし、これから目指していく場所だって違うのにどこをどう比べるの?

完璧な評価基準もないのに勝手に基準なんか作って自分苦しめるの純粋に勿体なおよな。せっかくこの世に生まれてきてどうせ何十年間もこの自分と付き合いながら生きていくんだからどうせならいっぱい愛してあげた方が良いじゃん!周りにすごい人いたって、めちゃくちゃ可愛い人いたってそれは自分じゃないんだから。今自分が持ってるカードの中で最善を尽くすことしか人間にはできないんだから。

言ってしまえば、これは『諦め』かもしれない。でもこれはきっと大切な諦め。諦めるってマイナスなイメージを持たれがちだけど幸せに生きていく上では結構重要な要素だったりするんじゃないかな。

ま、かと言って変に『自分なんか...』って諦めるんじゃなくて、『私は私で生きていくしかないんだから他を見たってしゃあないなあ!』っていうね、前向きな諦めをして欲しいなあと思ったり。

人生一度きり!楽しむのも幸せになるのも全部自分次第!

自分の努力で人生いい方向に変えていけるってめちゃくちゃ贅沢で恵まれてるじゃん!!!ね?何もない気がしてたけど自分って案外沢山のもの持ってたでしょ?

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