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溶かして、混ぜて、見てみて

今夜も小山田壮平の歌を聴くのさ〜〜〜

最近andymori、AL、小山田壮平の比較についての記事を読んだ。

大体の場合andymoriのファンはあくまでandymoriのファンなんだなと感じる。

確かにandymoriの特に初期の後藤さんのドラムと小山田壮平の早口で世の中への風刺を捲し立てるように歌う姿は衝動そのものだと思うし、あのギラギラした感じは見るものを惹きつけて支配して離さないような魅力があると思う。私もその魅力に魅せられた一人だし。言葉の選び方、組み合わせ、姿、歌い方、纏っているエネルギー、全部があの時の小山田壮平の心の叫び、世の中に対して言いたいこと、だったんだろうなと思う。

別にどれが一番だなんて優劣をつけるつもりはないけどさあ、私は今の小山田壮平が最高だと思っているよ。個人的な感想というか意見でしかないけど。

人は変わっていく。良くも悪くもいつまでもここにはいられない。わかっている。

andymoriを聴いて、小山田壮平を聴いていると感じることがあった。

あの頃の小山田壮平は確かに衝動的で儚くて脆くて消えてしまいそうで、怒っていて笑っていたと思う。今の小山田壮平は優しくてギラギラではなくキラキラしていて、昔とは作る曲の雰囲気が全然違う。でもちゃんと繋がっている。あの頃の小山田壮平の中にも今の小山田壮平の価値観や心の大部分を占めているものはあったのだと思う。きっとあの時はまだ小さな小さなぼんやりとした灯りだったのだろうけど。今はその灯りをしっかりと手の中に置いて大きな灯りにしているんだなと感じる。小山田壮平が飛び降りた時にその小さな炎が消えてしまわなくて良かった。その炎のおかげで私は今こんなにも必要だと思える音楽に出会えている。

小山田壮平の歌があるからまだ遠くに行きたいと思うし、一歩一歩進み続けたその先に美しいものが待っていると信じられる。絶望のその先にあるものがこんなにも優しくて美しいものだと思うことができる。抱きしめることができる。絶望も喜びも。どうせここにはずっとないから。だったら今くらいは抱きしめていていい。元気じゃなくたっていいし、ちゃんとしてなくたっていい。どんな状態でも全部自分で掴んでいるものだから、安心していい、絶望にさえ。

夜の空気にはいろんなものが溶けているような気がする。
大きく深呼吸するのがドキドキする。何を吸い込んでしまうのだろう私は、なんて思う。たまに不安にもなる。何も見えなくもなる。そんな時に私は小山田壮平の歌を夜に溶かす。夜と小山田壮平を溶かして混ぜると見たこともない綺麗な色になる。さっきまで星なんて一つも見えなかったのに満点の星空になる。ああ、良かった。今日も星は見えないだけでちゃんとそこにある。私の目が星を捕まえられない夜は、私の心が星を信じられない夜は、小山田壮平の歌声に頼るんだ。まだ名前のない色。でもわかるし、私は知ってる。この色とこの色を混ぜると美しい色になることを。その色を今日も私は心の目でちゃんと、ちゃんと見るのだ。

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