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お膳立てされた世界

子どもの頃、思っていたことがある。

私が生まれる前の世界というものは本当はなくて、私が生まれた時に、世界は作られた。

小学校低学年くらいまではそれを信じていたように思う。
私は世界の主人公。
私のために、私の目の前のモノはあるのだと。


小学校で歴史を習った時は、完全に物語(フィクション)だと思っていた。
よく作り込まれた世界だなあ、と。

なんの理由があってかは知らないけれど、誰かに作られた世界を、私は気づいていないフリをしながら生きている。

大きくなるごとに、あれ?もしかしてここって本当の世界かもって思うようになっていく。

たくさんの情報を知るたび、私が世界の中心なのではなくて、その中の一つであることを知らされる。

他人の目を気にして、良くも悪くも目立たないように、普通を心がけていこうとし始めたのもこの頃ではないかと思う。

『ワガママ』や『自己中』は良くないこと。
まんま自分の思考に当てはまっていたことに気づいたのだろう。

それから何十年と鬱々とした気持ちを抱えながら生きてきた私が、最近になって新たな情報をキャッチした。

すべての物体が、過去にあったという証明ができるものはない。今あるということを証明できることはない。
私の頭では、全然理解出来ないのだけど、私の感覚に似た内容が、哲学の世界でチラホラと見受けられる(ような気がしている)。

ドラえもんののび太のように、この世のすべてが私の脳でみている夢かもしれない。
わざと?しんどいこととか、つらいことも、私の人生ゲームに必要なアイテムとして配置されているのか?

確かめる術はないのだけれど。

私の意思は私が生まれた瞬間に始まり、私が死ぬ時に閉じる。
私の中ではそれが全てであり、私の意思がそのまま私の見える世界だ。


問題は外にはなくて、自分の中にあるだとか。
他人は変えられない、変えられるのは自分だけだとか。
同じものを見たり経験したりしているようで、人によって全然解釈が違っていたりだとか。

結局は自分の世界は自分の中にしかないのだから。
自分自身で受容していく生き方が一番楽なのだろう。

私が生まれる前の世界というものは本当はなくて、私が生まれた時に、世界は作られた。

子どもの頃の感覚は、強ち間違っていないな。

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