見出し画像

神の聖言(導かれし志向)

#創作大賞2024 #オールカテゴリ部門

【神の聖言・導かれし志向】

《目次》

★序章

1章『人間(ヒト)を食う化け物』
2章『眠りし秘宝』
3章『殺人(殺める者)』
4章『苦難』
5章『貪欲(欲深き心)』
6章『虐め(イジメ)』
7章『己の人生(道)』
8章『傲慢(己自身に溺れる者)』
9章『願い』
10章『誤りと悟り』
11章『経験』
12章『強き者・弱き者』
13章『清き心・悪しき心』
14章『偽り(嘘)』
15章『魅力』
16章『病んだ心』
17章『大切なモノ』
18章『自殺(自ら生命(イノチ)を絶つ者)』
19章『生命(イノチ)』
20章『希望と夢を抱いて』
最終章『強き言霊』

著者『あとがき』

★神の聖言の読み進み方
( )の中は前の漢字と一緒に読み進める
( )のカタカナは前の漢字の読み進め方


《序章》

私はただの代弁者

この世で生きる人間(ヒト)の1人

意志を伝える器となり

多くの言葉を紡ごう

この世に溢れし多くの

人間(ヒト)の心に届いておくれと

願いながら 


(1章) 人間(ヒト)を食う化け物

この世には人間(ヒト)の心を食う化け物が存在する。人間(ヒト)の苦しみ悲しみ痛みを生きる糧にし己の人生(道)を生きる者達がいる
その者はもう心に鬼が住みし者
まさに人間(ヒト)の皮を被った化け物
己の心の弱さを隠すため他の者の心や身体を傷つけ己自身を欺き続ける者
どうか気づいておくれ
弱き心を持つ事は恐れでは決してない
己自身の心を変えて行けば良い事である
私達人間は皆、良心と邪心の両方を持ちし者
覚えておいておくれ
人間(ヒト)の苦しみ悲しみ痛みを生きる糧にし生きて行けば必ず己自身の人生(道)において他の者に与えし苦痛が必ず還ってくるという事を! 因果応報 !!
己の行いは必ず己自身の身に還ってくる
どうか愚かな行いで生きるのではなく本来の己自身と向き合い己の行いを正しながら生きておくれ。自身の心を保つ為に他の者の不幸や痛みを願う罪深き愚かな者にはならないでおくれ。如何なる行いも全ては己自身の身に還ってくる。どうかその事を忘れないでおくれ。良き事も悪しき事も!!
自身で自身を変えられるのは
己自身しかいないのだから
どうか大切な事を見誤らないでおくれ


(2章) 眠りし秘宝

この世には多くの苦難や多くの辛き経験がある。だがその経験の中に数多くの生きる糧(秘宝)が眠っている事を知っているだろうか!!
それは私達の目には映らぬ秘宝
それは個々に歩む経験の中で
己自身が学び得る悟りの心
それこそが己自身の人生(道)を大きく変えるまさに目には映らぬ秘宝の事である
如何なるお金や地位の力では
決して手に出来ぬ秘宝
それゆえにこの世で生きる者達に
等しく手にして欲しい生きる糧でもある
だがその経験の中にある
尊きモノを見失う事もある
何故なら自身の欲(我欲)の心では悟れぬ事
欲深き心の目では見えぬモノだからである
この世を生き抜く中で皆が多くの痛みや
傷を抱え生きている事だろう
だからこそ自身の醜き心に呑まれる事なく
己自身に与えられた苦難の中で尊き
秘宝(生きる糧)を多く手にしおのが心で
輝かせ自身の人生(道)を切り開いて欲しい
誰の人生(道)にも等しく生きる糧を
学び悟り得る時が必ず与えられる
どうかその時を己の欲(我欲)で見失い
尊き時間(トキ)を奪われぬ様、多くの
生きる糧を生きる強みを得て欲しい
この世は闇深き人生(道)ばかりに見える事だろう。だがこの世は闇深き人生(道)ばかりではない。多くの糧生きる強みを得て見るこの世は闇にも負けぬ光(希望)がある事にも気付けるだろう。
そして覚えておいておくれ
闇深き人生(道)を経た者の心は何より強き光を纏っているという事をどうか忘れないでおくれ。 


(3章) 殺人(殺める者)

この世には他の者を傷つけ殺める者がいる
己自身の心の弱さや己の醜き心をそのまま
行動に移し他の者の生命(イノチ)や人生を奪い
己の心を満たし癒す者がいる
まるで悪魔の化身のように!
私達は未熟な者の集まりではあるが他の者の人生を奪う事に躊躇う心も持っている
何故なら私達人間はこの世に産まれ死するまで人間(ヒト)に生かされ続けるからである。
ゆえに私達は本能的に他の者の生命(イノチ)や
人生を奪う事に罪悪感を抱き越えてはならない一線を越えない自制心の心を持っている。だが覚えておいておくれ
越えてはならない一線を越えてしまうのも
己の醜き欲(我欲)である事を!
だからこそ忘れないでおくれ
他の者の生命(イノチ)や人生を奪い己自身を
邪心で覆えば待っているのは破滅のみであるという事を。奪い去った多くの生命(イノチ)人生の報いは己自身が死しても尚、背負い続けなければならない重罪であり己自身が闇に落ち罪の重さにもがき苦しむ事になる。
どうか己自身の心を見失わず己の心を邪心に奪われないでおくれ。 


(4章) 苦難

この世には多くの生命(イノチ)で溢れそして多くの人間(ヒト)で溢れている。そしてその数だけ多くの人生(道)がありその人生(道)には必ず学び得る機会(苦難)が等しく与えられている。だがその苦難が己自身にしか与えられていないように錯覚してしまう事がある。
だがどうか忘れないで欲しい
この世に生きる全ての人間に苦難は与えられているという事を。その苦難がその者の人生において早いか遅いかの違いでしかない。
幸せそうな者の過去に耐えきれぬ程の苦難があった事まで想像できる者は少ないだろう。その痛みを乗り越えた先の安らぎある人生なら違う見方ができるだろう。
また、その逆もある
幸福の先に耐えがたい試練がある事を知って欲しい。そうすれば他の者の人生に
哀れむ事も羨む事もない
どうか覚えておいておくれ
この世に苦難なき人生を歩む者など1人もいない。全ての人間に苦難がありその経験の中で何を学び何に活かせるかである。
他の者の人生を自身の人生と比べ妬みや嫉みに己の心を奪われないでおくれ。大切な事は他の者と自身の人生を比べる事ではなく己自身の人生(道)をいかに変えて行くかである。自身の行いや心情を冷静に見て自身を変えて行く努力をする者には必ず多くの気付きや悟りが得られるだろう。
どうか忘れないでおくれ
如何なる人生(道)も己自身の努力した先の結果(未来)であるという事を。他の者の人生に心を奪われる事なく本来の己自身の人生(道)とどうか向き合っておくれ


(5章) 貪欲(欲深き心)

この世には貪欲という醜き欲深き心で生きる者達がいる。貪欲とは何よりも大切なモノを見失い、底知れぬ形ある物や形なきモノのみに執着し生きる上で必要以上に求め欲してしまう私達人間の過度な物欲の表れであり
真(マコト)の心を見失う危うさを秘めている。
どうか気づいておくれ
醜き欲深き心で生きるという事はあれもこれもと形ある物や形なきモノのみに執着しそのモノを無限に求める悲しき者になるという事そして何より恐ろしい事は本来あったはずの尊きモノや尊き心の基準が歪み形ある物や形なきモノのみに執着するただの化け物に成り果てる。己の手にしたいモノの為なら自身の中にある正しき心、尊き心を本当の意味で自分から手放す悲しき者になるであろう
本当に大切なモノとは人間(ヒト)と人間(ヒト)との中で育まれたモノや相手を思いやれる優しき心。形なきモノだからこそ何よりも尊く大切なモノでありそこから得るモノはお金や地位では手に出来ない生きる中での大きな財産となるだろう。どうか忘れないでおくれ
貪欲さと傲慢さは身を滅ぼす毒となる
己自身の欲に溺れる事なくどうか大切なモノを見失わないでおくれ。   


(6章) 虐め(イジメ)

この世には虐めという他の者の心や身体を傷つけ己自身の不満やストレスの捌け口にする者が多く存在する。
その行いは極めて卑怯で卑劣な行いである事をどうか忘れないでおくれ。
この世でこの虐めという行いによって多くの者が心や身体に消す事の出来ない傷や痛みを抱え生きている。そしてその行いによって己自身の生命(イノチ)人生をも手放す者がいるという事を決して忘れてはならない。虐めという行いで身体や心に決して癒えない痛みや傷を
負わせる事を痛みを負わせる者は自覚しその行為を行う。まるで悪魔の化身のように!!
自身の心のバランスを保つため己の一時の
快楽の為に他の者の心や身体を傷つける。
邪悪な心を持つ者よ!!
どうか覚えておいておくれ
その行いで身体に心に消えぬ癒えぬ傷を負わせる事がどれだけ罪深き事かを!!
身体に受ける目に映る深い傷は一生残り続けそして心に受けた傷は一生癒える事がない
何故なら私達人間は歩む道(経験)の記憶を
消す事は出来ないからである
それゆえに心に受けた傷はその者の
生きる障害となりトラウマとなる
その事をどうか忘れないでおくれ
悪魔の化身のように邪悪な心で生きる化け物にはならないでおくれ  


(7章) 己の人生(道)

この世で生きる者達に伝えたい
私達人間はたった1つの尊い生命(イノチ)とたった一度きりの人生(道)を与えられこの世に生きている。そしてその尊い生命(イノチ)と同様に与えられたたった一度きりの人生(道)の歩み方は個々に違う事だろう。
この世で生きる私達人間は人生(道)を歩む中で己の意思(想い)をしっかり持ち己の人生(道)を歩む者と己の意思の弱さゆえ他の者に
言われるがままに己の人生(道)であるにも
関わらず他の者の意見をそのまま己の人生(道)に活かす者がいる
そこに何一つ己の意思や想いを乗せる事なくただただ言われるがままに動く者。
それはまるで意思を持たぬ操り人形のように。どうか忘れないでおくれ
人生とは歩む自身のもの
そして、如何なる人生(道)においても必ず
何かを決断する時はくる。その時に他の者から
沢山の選択を提示され意見を聞く事だろう。
だが、大切な事を忘れないでおくれ
周りから与えられる意見は強制ではない
己の人生(道)において自身の思い(意志)の
含む選択をする事。
そして何より、己の人生(道)においての
全ての決断(判断)は己の責任と思う事。
良き結果は自身の力
悪い結果は他人の責任
その考え方は人としての無責任な
責任の取り方、どうか忘れないでおくれ。
どんな結果であろうとも己の意志(判断)の
結果なら己の未熟さに反省すればよい事である。たった一度きりの人生(道)己の意思を反映した人生の歩み方をどうか忘れないでおくれ。 


(8章) 傲慢(己自身に溺れる者)

この世には他の者より勝る所を誇示(コジ)する為に自身の未熟な所には目を向けず己自身に溺れ己の存在価値を維持しようとする者達で溢れている。その者とは傲慢という過度な自己愛の精神を持つ者達の事である。
傲慢さとは自身のプライドを保つため己の
立場を守るため自身を価値ある人間と思いたいが為にする哀れな人間のする行為である。
他の者の心を踏みつけ他の者の犠牲から得た立場などなんの価値もない!!
どうか覚えておいておくれ
自身の評価を高くする為、己の快楽に浸りたいが為に多くの者を見下し傷つけた所で
その者は決して自身が切望する価値を手にする事は出来ない。
それ以上に自身の人としての常識や良心のない冷めた人間だと周りに見せびらかしているに過ぎない。そんな悲しい事はない。
この世で生きていれば必ず己自身より
秀でている者や至らぬ者と必ず出逢う
その時にどうか蔑み排除するのではなく
慈しみある愛ある心で受け入れられる
寛容な心を持ち続けておくれ。
どうか忘れないでおくれ
己自身に溺れ他の者を見下し他の者の心を
傷つける行いは恥ずべき人間のする行為である。大切な事は自身に溺れず
慈しみの心を持ち続ける事
傲慢さは時に醜い己の心を映す鏡であるという事をどうか忘れないでおくれ


(9章) 願い

この世に生きる私達人間は幸福(シアワセ)になりたいと皆が願い想いながら生きている。
でも大切な事を忘れないでおくれ
幸福は他の人間(ヒト)の不幸の上に
成り立つモノ、手にできるモノではない
幸福は他の人間(ヒト)の幸福(シアワセ)を心から願い望める事から得られる幸福である。
それとは逆に人間(ヒト)の不幸を願い望む者がいる。己の心を満たしたいが為に
愚かな願いをする者がいる。
悲しき者よどうか気づいておくれ
他の者の不幸を願えば願うほどに手にしたい幸福(シアワセ)は遠のきその不幸を願う自身の
邪念によって自身に不幸を招くことになる。
どうか覚えておいておくれ
自身を幸福(シアワセ)にするのも不幸(フシアワセ)に
するのも自身の心の持ち方次第
幸福は幸福を呼び
不幸は不幸を呼ぶ
己の心が心から求める願いが愛に満ちているのか真っ黒な呪いに満ちているのか
どんな願いも必ず己自身の身に還って来ると言う事をどうか忘れないでおくれ。  


(10章) 誤りと悟り

この世に生きる私達人間は時に判断を誤り
悟り正しながら生きている。
そして時に自身の欲(我欲)に負け
過ちを犯してしまう危うさも秘めている。
だが忘れないでおくれ
私達人間は完璧な人間など何処にもいない
間違った判断をする事も時に自身の欲(我欲)に負ける事もある。大切な事は己の間違った判断や行いを自身が認め反省し正しながら
今後の人生(道)に活かす事である。
それが何よりも大事な事であるという事を
どうか忘れないでおくれ
産まれたばかりの赤子がすぐに立ち歩けぬように皆、己の人生(道)において自身の誤りを正しながら生きている
間違いや誤りを正す行いの中で皆が手にしているモノは形あるモノではなくどんなお金や地位でも手にする事の出来ない正しき心、
尊き想いを手にしているという事を
どうか忘れないでおくれ
どんな人間も多くの山を越え、多くを悟り、立派な人格者へと成長する。間違いや誤りは時に私達に多くの事を悟らせる。
どうかその事を忘れないでおくれ。  


(11章) 経験

この世に生きる私達人間は色々な苦難を経験し乗り越え生きている。そして誰もが皆、
苦難なく平穏な日常を維持したまま人生(道)を終えたいと願う者が多くいる事だろう。
だが覚えておいておくれ
痛みを経験し痛みを学び、
愛する者を失い悲しみに心が痛む。
そのように私達人間は自身の人生(道)において己の経験の中で心に痛みを感じる人間に
成長する為の苦難であるという事を。
何一つ感じない無感覚な心で生きている
人間はこの世に1人もいない。
この世に産まれ産声をあげた瞬間から私達の心の学びは始まっているという事を
どうか忘れないでおくれ。
無感覚の生きた人形として生きるのか
心に痛みを感じる人間として生きるのか
それは皆がきっと痛みを感じる人間でありたいと願う事だろう。
だからこそ苦難の経験は必要なのである。
その経験の中でしか見えぬモノ
悟れぬ事がある。
人格者は時に多くの苦難を経験し乗り越え
悟り己の生きる糧としている者が多く存在する。どうか苦難なき人生を切望する事より与えられた苦難の中で平穏な中では見えぬ秘宝を手にして欲しい。
生きる糧を多く手にし深みある人間(ヒト)に
温もりある人間になっておくれ。  


(12章) 強き者・弱き者

この世には強き心を持つ者と弱き心を持つ者がいる。強き心を持つ者とは虚勢をはり威張り散らし自身を過大評価する者の事では決してない。強き心を持つ者とはどんな日常の中や時に苦難や逆境の中でも自身と向き合い自身を変える努力をする者。
そして生きる中での多くのストレスをも
他の者にあたる事なく己の心の捌け口を
自身の楽しみや快楽で癒す者の事をいう。
それとは逆に弱き心を持つ者は日々の日常の中での不満やストレス、時に与えられし苦難に会うたび己自身を変える努力を放棄しその不満やストレスを他の者の心を傷つける行いの中で本来向き合わなければならない問題点や変えて行かなければならない己の行いから逃げている者の事である。
それはとても楽な逃げ方であり卑怯な心を
持つ者の典型的な方法である。
自身で自身を正すことを恐れる者に成長はない。忘れないでおくれ
強き心を持つ者は自身と向き合い如何なる苦難をも自身の中で耐え忍び努力する事ができる者。弱き心を持つ者は如何なる苦難が与えられても他の者の心を傷つける行いの中で
本来の努力を怠り自身を欺き続ける者の事をいう。どうか忘れないでおくれ
苦難の中耐え忍び努力をする事や己を正し
変えて行く事は苦しみでしかない。だが必ず自身の人格への成長には繋がっている。
どうか苦難に逃げず耐え忍び
努力をした先(未来)で
多くの幸せ(幸福)を手にして欲しい。  


(13章) 清き心・悪しき心

この世に生きる私達人間は平和を願い慈しみの温かく清き光を放つ心を持っている。
それとは逆に自身の欲(我欲)に溺れ
残虐で醜い悪しき心も持っている。
この世には悲しき事に皆、二面性の心を持っている。だが忘れないでおくれ。
光と闇がこの世にあるように私達人間の
心にも悪しき心と清き心が存在する。
その中で己の心をどちらに定めるかでその者の放つ光は違ってくる。
行動や言動そしてその者の纏う空気までもが明らかに違って見える事だろう。
悪しき心で生きると定めた者は全てが
刺々しく近寄りがたい雰囲気を纏うが
清き心で生きると定めた者は温かな優しき
雰囲気を纏っている事だろう。
どうか皆の心にある悪しき心の光を弱め
どうか清き心の光で自身の心の華を咲かせておくれ。冷たく枯れた華には生き物は
寄り付かない。だが綺麗に咲く生きた華には生き物は多く寄り付く。
幸福も不幸も全ては己自身の定めた
心の光(想い)によって変わってくるという事をどうか忘れないでおくれ。
そして悪しき心で生きると定めた者も己自身の想い(意思)によって清き心で生きる事もできるという事を。大切なのは己自身が
どの想い(意思)で生きたいかである。
どうか闇に呑み込まれず
光ある心を持ち続けておくれ。  


(14章) 偽り(嘘)

この世には真実と偽りが溢れている。
都合の悪い真実を覆い隠し自身の欲(我欲)を満たす者達がいる。
悲しき者よどうか気付いておくれ。
どんな真実(事実)であっても
決して偽り(嘘)で隠す事はできない
真実は真実であり 偽りは偽りでしかない
偽りは真実にはなりえない
偽りは必ず己自身の人生(道)の
大きな足枷(アシカセ)となる。
その事をどうか忘れないでおくれ。
この世を生き抜く事は簡単ではない。
皆が多くの闇に触れ多くの痛みに耐え
生きている事だろう。
それゆえに少しでも己の人生(道)を
生きやすくする為に自身の都合の良い偽りで真実を覆い隠し己の人生(道)を歩もうとする。それはとても浅はかな愚かな考えである事に気付いて欲しい。なぜなら真実はこの世で起きた事実でありその事実を偽り(嘘)で
隠し続ける事は決して出来ないからである。どうか覚えておいておくれ
必ず偽り(嘘)は明らかとなり真実(事実)は必ず露見する事となるだろう。その時、偽りで隠した己の行いの罪を背負う事となるだろう。如何なる事も真実を覆い隠す事は決してできない。一時的に隠し偽る事が出来たとしてもそれは永遠ではない。
どうか己自身の欲の為に愚かな行いをする事は自身を破滅に導くことになる。
偽りは偽りでしかないのだから
どうかその事を忘れないでおくれ


(15章) 魅力

この世には形ある物や美しき風景など目で楽しみ快楽を与えるモノで溢れている。それゆえに私達人間は目に映る物や形を基準に価値を見出だしすぎる側面がある。それは何より大切なモノを見失う危うさでもある。
そしてそれは人に対しても同様である。
この世には他の者の外見だけを判断基準にしその者の内面を後回しにし
好意を抱く者達で溢れている。
目に映る姿や形は決してその者の魅力=(全て)ではなくその者の魅力の(一部)でしかない。そして何より見誤ってはならないモノがある。それはその者の
内なる心=内なる性格(内面)の事である。
その事を見誤り傷心を抱かないでおくれ。
どうか忘れないでおくれ。
人の人間的魅力は外見ではない。
人の人間的魅力は内から溢れる人柄の事を意味する。外見は年を重ねれば男女共に若き者より衰えていく。
だが、内から溢れる人間的魅力は年を重ねても変わらずその者から溢れでてくるモノ。
どうか覚えておいておくれ
人間(ヒト)の容姿はその者の魅力の一部であり全てではない。外見の容姿だけに目を奪われその者の内面を見落としてはならない。見誤ると己自身の心の苦き経験となるだろう。
私達人間は色々な物事を良い方向へと
受け止めたくなる生き物でありその事が
真実を覆い隠し見えづらくする。
どうか目に映るモノだけでなく
その先の大切な事に気付くことが出来れば
尊きモノを手にする事が叶うだろう。  


(16章) 病んだ心

この世で生きる私達人間は皆、病んだ心を
抱えながら生きている。この世に産まれ多くの苦難や多くの人間(ヒト)の弱き心の捌け口となり辛き経験、苦き経験を皆がするからである。その経験が自身の心のトラウマや
痛み深き心の傷となりこの世を終えるまで
病んだ心、痛んだ心を抱え歩んで行かなくてはならない。何故なら自身の歩み経験の記憶を消す事は出来ないからである。
それゆえに多くの苦難、辛き経験を経た者は多くの病んだ心を抱えながら生きている。
苦難とは生きる糧や己自身を成長させる
良き影響とその経験から病んだ心を
抱えてしまう悪しき影響がある。
だからこそ己の病んだ心をどうか
自身の愛ある心で抱き締めて欲しい。
他の者から与えられし愛情で癒す事も
出来るかも知れない。
だが忘れないでおくれ。
病んだ心、痛んだ心を全て抱き締めてあげられるのはその経験を経た己自身なのだから。どうか己自身の心を慈しみ愛ある心で
癒す事を忘れないでおくれ。  


(17章) 大切なモノ

この世には沢山の形ある物や己の心を魅了する形なきモノで溢れている。そして何より
私達人間は目に映る形ある物や自身の欲を
満たす形なきモノで己の心を癒し己自身の
欲を満たす生き物でもある。
だからこそ覚えておいておくれ。
この世で何が一番大切なモノかは一時的な
心を満たすモノでも欲求を満たす形ある物でもない。何故なら形ある物は使ってしまえば消えるモノ壊れてしまえば捨てる物そして
一時的な快楽の欲を満たすモノは一時的な癒しでしかない。何が一番大切で尊きモノかは物でもお金でも地位でもない。大切なモノほど自身の一番近くにあり当たり前に手にしているモノ。それは穏やかな環境であったり人間(ヒト)と人間(ヒト)との繋がりであったりする。
今この時も自身のお金や地位の力で他の者の心(想い)を得ようとする者がいる。
だが得たとしてもそれは一時的な浅き繋がりである事を忘れないでおくれ。
お金や地位で手にした心(想い)は互いの心と心で結ばれた繋がりには決して勝てない。
何故ならソコには何一つ物欲よりも勝る
相手を思いやる温かな慈愛の心(想い)で
繋がっているからである。
だからこそ忘れないでおくれ。
何より生きる中で大切にしなければならないモノは目には映らぬ人間(ヒト)の尊き心(想い)だという事を。そして覚えておいておくれ
目には映らぬモノほど尊く
手にする事が困難なモノはない。  


(18章) 自殺(自ら生命を絶つ者)

この世には生きる中での多くの苦難困難があり自身の人生(道)において多くのストレスや癒えぬ心の傷を抱え生きて行かなくてはならない。だがどうか己の人生(道)を歩む事を放棄し自身で自身の生命(イノチ)を絶つ事だけはしないでおくれ。辛き苦難困難に耐え忍ぶ道のりはまるで光のない闇深きトンネルを歩いている様に感じる事だろう。
だが決してこの世は闇深き人生(道)ばかりではない。どうか覚えておいておくれ。
闇深き道の先に光溢れる道が待っている事を!!辛き現実から逃げたくなる事も己自身の
生命(イノチ)人生を手放し自身の心も身体も
解放したいと行動に移したくなる気持ちは
痛いほど理解できる。だがどうか
その一線だけは越えないでおくれ。
現実から逃げる事は自身にとって一番
楽な選択であり残された者達に癒えぬ後悔の心の傷を負わせる事になる。己自身の悲しき心の闇に呑み込まれないでおくれ。
如何なる時も希望(ヒカリ)を求め生きていれば
その先(未来)に必ず癒しある光溢れる
報われる日々が待っているという事を
どうか忘れないでおくれ
自身を殺めこの世を去る事は己の心を
解放している様で実際は自身の心を
闇深き場所に留めてしまう。
どうかその事を忘れないでおくれ。
この世に生きとし生きる者よ
己の抱きし生命(イノチ)をどうか手放す事なく
慈しんでおくれ。  


(19章) 生命(イノチ)

この世には沢山の生命(イノチ)で溢れている。
植物動物人間と多種多様な生命(イノチ)が互いに共存しあい生命(イノチ)を繋いでいる。
等しく与えられた生命(イノチ)は永遠ではない。それは私達、人間(ヒト)に等しく与えられた生命(イノチ)も同様である。必ず死という人生(道)の終わりが必ず訪れる。その時に己の人生(道)を振り返り後悔を抱く者と後悔を抱く事なく穏やかに己の人生(道)を終える者がいる事は言うまでもない。
皆がこの世に無垢な心で産声をあげ産まれたその瞬間から多くの経験を経て己の人生(道)の終わりを迎える。
その時に己の今までの行いや経験が走馬灯のように頭に浮かぶ事だろう。
だからこそ皆に伝えたい。
どうか己の生命(イノチ)を慈しみ己の行いに
後悔する人生(道)だけは歩まないでおくれ。
そして何より己の生命(イノチ)だけでなくこの世に溢れる多種多様な生命(イノチ)植物や動物、
他の者の生命(イノチ)さえも奪う者ではなく
どうか慈しむ尊き人間(ヒト)であっておくれ。生命(イノチ)は等しく与えられ
その灯火は1つしかない。
その尊き生命(イノチ)の灯火を己の欲(我欲)で
奪う者にだけはどうかならないでおくれ。
与えられた生命(イノチ)の変わりはないのだからどうかその事を忘れないでおくれ。 

  

(20章) 希望と夢を抱いて

この世には沢山の生命(イノチ)で溢れ
そして多種多様な生き物達と共に私達人間は生きている。
そして私達人間は多くの価値観や思想を皆が抱きこの世の歩みを進めている。
この世を生き抜く事は簡単ではない。
多くの闇に触れ多くの痛みに耐え
皆が生きている事だろう。
その中で多くの悩みや時に己自身と向き合いこの世で生きる意味を見失いかける時が
必ず訪れる。その時にどうかこの言葉を思い出して欲しい。

【希望を抱き夢を抱けそして己の道を迷う事      なく突き進め】

何かに希望を抱きそれを支えに生きる事
それこそがこの世で生きる私達人間の大きな生きる原動力となる。心の支えとなる光を見失いかけたならまた光を抱けばよいのです。
心の闇に留まる事より己自身の心を
救う光(希望)を抱き己の病んだ心、痛んだ心と共にどうか立ち上がり少しずつ歩みを
進めて行けばよいのです。
そして忘れないでおくれ。
君の歩んだ道(経験)には意味がある事を
そしてその道を歩む中で抱いた闇にも
大きな意味がある事をどうか忘れないでおくれ。この世で希望を抱き夢を抱くそれは決して無意味な事ではなく君の大きな生きる支え(光)となる事をどうか忘れないでおくれ。
自身の心にどうか光を灯し如何なる時も
希望と夢を抱く事を忘れないでおくれ。  


(最終章) 強き言霊

この世で生きる者達よ
この世で生きる人生(ミチ)は過酷で辛く痛みを伴う日々が多い事だろう。
だが忘れないでおくれ。
その苦難を乗り越え痛みに耐え忍んだ先の
人生(ミチ)は心穏やかな安らぎが待っている事をどうか忘れないでおくれ。
ただ1つ覚えておいておくれ。
この世を生き抜く中で皆が多くの人間(ヒト)の悪しき心の闇に触れ、時に言い様のない苦しみを他の者に与えられる事もあるだろう。
だがどうかその者の行いで己自身の心をも
闇に呑み込まれないでおくれ。憎しみや怨み妬みや嫉み私達人間の悪しき心の感情に
己の心を奪われ悪魔の化身のような怨みに
満ちた悲しき者にはならないでおくれ。
己の行いは必ず己自身の身に還ってくる。
自身がその者を怨み憎まずともその者の
行いが必ず災いとなって自身へ還ってくる。ゆえにどうか己の心を見失わず己の心を
邪心に奪われないでおくれ。
どうか忘れないでおくれ。
己の心に宿る光は自身の意志(想い)によって強き清き光にも悪しき深き闇にもなるという事をどうか忘れないでおくれ。
怨みや憎しみなど他の者の不幸や痛みを願う邪心抱きし者ではなくどうか清き慈愛溢れる温かな尊き人間(ヒト)であっておくれ。
おのが心に宿りし光をおのが心で守り抜け。それが心からの願いである。  


《あとがき》

神の聖言を書かせて頂きました
新風三佳と申します。
そして神の聖言を最後まで
読んで頂きありがとうございます。
この世は多くの人間(ヒト)が心に
個々の闇を抱えながら生きています。
私も複雑な家庭環境で育ち
心を壊した事もこの世で生きる
意味を見失いかけた時もありました。
今までの人生で学んだ事は
人間(ヒト)の心を殺すのも人間(ヒト)であり。
人間(ヒト)の心を救うのも人間(ヒト)なのだと。
ならば私は心を殺す人間(ヒト)ではなく
誰かの心を支えられる人間(ヒト)でありたい。その想い(意志)がこの書籍を書く
一番の要因となりました。
この世には沢山の人間(ヒト)で溢れていますが決して完璧な人間など何処にもいない。
それぞれに他の者より至らぬ所がある。
だが秀でている所もある。
だからこそ私達人間は互いの至らぬ所を
補いあいそして互いが労りあうそんな心を
どうか忘れないで欲しいです。
何故なら誰かの支えの元に
皆が生きているからです。
その事を忘れ己自身の損得勘定や欲深さで
生ている人間(ヒト)が多いのも事実です。
そして言葉を暴力として使い、力を服従の為に使うそんな悪魔の化身ではないかと
思われる人間(ヒト)さえいます。ですが
そんな人間(ヒト)ばかりではありません。
温かな慈愛の心を抱く心穏やかな人間(ヒト)もこの世には存在します。
だからこそ心救われる人間(ヒト)が
必ずいるのです。
この世は過去(ムカシ)も現在(イマ)も支え支えられ互いの生命(イノチ)を生かしあう姿は
変わっていないと私は思います。
ただ、おのが心を見失う時が
個々の人生(道)にあるだけだと
沢山の人間(ヒト)の数だけ
沢山の人生(道)があります。
その選択は常に自分自身の
意志で選び進んだ道(人生)です。
そしてその道(人生)での行いが全ては
己自身に還る。私はその言葉を信じます。
どうかこの書籍が読者様のお心に届き
何かの気づきに生きる心の支えになれたなら幸いです。         

            新風三佳


 


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?