それなりに数十年生きてきて、「人生、このままでいいのだろうか?」と思ったら
それまでなんの疑問もなく仕事をしていた大人がある時急に「このままでいいのだろうか?」と漠然とした不安をもつことがあります。
きっかけは人事異動だったり、子どもの成長だったり、同世代の人が別のことで輝いて見えたり、と様々ですが、「このまま今と同じ生活を続けていいのだろうか?はたして自分は幸せなのだろうか」と考え込んでしまうことがあります。
これを心理学者のユングは「中年期危機」と名付けました。「中年期」という言葉にはあまりいいイメージはないですし、今はその名前は適切ではないかもしれませんが、要は自分や周りの変化を経て、それまでの価値観のままではちょっと生きづらいかもしれない、と思うターニングポイントのことです。
人は、思春期を通して自分の価値観を作り、青年期にその価値観に基づいて人生の選択をしていきます。その価値観なのですが、私が思うに多くの日本の30代以上の人は、できるだけいい大学を卒業し、一生懸命働き、結婚をして、子どもを育て、更に仕事に精を出す、という典型的な流れを良しとし、実践してきたのではないかと思います。
確かに、それである一定のところまでは努力も報われ順調にいけるでしょう。ただそれがずっと続くかというとそういう訳にもいきません。努力が正当に評価されず昇進が頭打ちになったり、努力したいのに時間や身体の制約でそもそも努力ができない、なんてこともあるでしょう。また年齢を重ねて出会う人が多様化し、仕事しかしていない自分、子育てしかしていない自分のあり方に懐疑的になったり、身近な人に裏切られたり、望むような愛情を得られないという自分ではどうしようもないことによって、価値観を揺さぶられることもあります。それだけでなく、病気や事故によってこれまでの生活を一変せざるを得ないということだってあります。
長く生きていけばそれだけ、思うようにいかないことも増え、それまでの理想と現実の差をシビアに目のあたりにし、「自分はがんばってもせいぜい、あそこくらいまでだな」というラインが明確になっていきます。生まれてから中年期までは意欲もあり上昇傾向をたどるものの、ここでクライマックスを迎え、嫌でも下降を意識せざるを得ない体験が増えていきます。そうすると「なんでも叶う」と無邪気に考えていた若い頃の自分はいよいよとまどい、変化を迫られます。これが人生のターニングポイントになります。
例えば、家庭をかえりみず仕事一筋で頑張ってきた人が、昇進が頭打ちになってしまい落胆していたところ、ふと家族を見渡すと家庭で自分が孤立していることに気づき、それまで一生懸命がんばってきたのに自分にはなにも残っていないことがわかり愕然とする、なんていうのは典型的な例です。職場での出世を最優先にしてきたものの、出世の道が途絶えて初めて人生の優先順位は仕事以外のものにあるのではないか、と模索を始めるのです。
他にも、身を粉にして子育てに邁進していた人が子どもが自立し家を離れたあとに、虚無感に襲われることがあります。この状態自体は「空の巣症候群」という名前があるのですが、このように子どもが巣立った時に初めて、もっと自分を生活の中心に置いてもいいのではないか、と価値観の転換が図られます。
それ以外にも、仕事に趣味にと充実した日々を過ごしていた人が、急に体調を壊したり、親の介護が必要になったりしたことで、人の手を借りるありがたみを実感したり、「当たり前」というものがいかにはかなく貴重なものであるか、を深々と考えさせられたり、なんてこともあります。
このように書いていくと、中年期は複雑な問題が増えるやっかいな時期に思えるかもしれません。でも必ずしもそうとは限りません。人は様々な経験を通して成熟し、物事を多角的に見ることができるようになるからです。
仕事一筋では、家族のありがたみがわからないままでしょうし、
ずっと子どもの世話を焼いていれば、自分の人生を生きられないままですし、
全てにおいて充実していれば、困難や痛みを伴いながら生きている人の心情を深く理解し、寄り添うことは難しいでしょう。
人は一見挫折に見えるような経験があるからこそ、人生の幅が広がり、豊になっていくと言えます。
ただここで挫折で終わらせるか、より豊かな人生に移行できるか、はどれだけ変化を柔軟に受け入れられるか、にかかっています。ユングは、中年期というのは、人が影に追いやったものといかに取り組み、再統合していくかが課題になると言っています。つまり、それまであまり重要視していなかったものを、いかに取り組み、それまで重要視していたものと共に再統合していくかが重要だと言っています。もし、これができずに過去の価値観をそのまま引きずってしまえば、
仕事での過去の栄光を引きずったり、昇進できない自分を情けなく思ったり、
自立した子どもに過干渉になったり、家でなにもすることがなくなった生活を憂うつに感じたり、
健康を害した自分を無価値に感じたり、介護しないといけないような状態になった人を憎く思ったり、
なんてことが起きてしまうでしょう。でも残された人生、そんなネガティブな心持ちで生きていくのはなかなか大変ですし、辛いです。
価値観の転換は一晩で起きるものではありません。上記のようなネガティブな感情を経て、ゆっくりと新しい価値観に変容していくのが普通です。なので、最初から変化を前向きに捉える必要なんてないのですが、変化に頑なに心を閉ざしていると自分が生きづらくなってしまいます。なので、困難にぶつかった場合は、自分を卑下し続けたり、誰かに怒り続けたりせずに、変化に対して少し心を開いてみましょう。
もしかしたら人生は仕事が全てではないのかもしれません
もしかしたらもっと自分を優先して生きてもいいのかもしれません
もしかしたら痛みを知ることでより人に優しくなったりできるのかもしれません
この変化は、それまでの自分の価値観とは大きく異なるものかもしれません。でもそれを受け入れることで、心が豊かになり、見える世界が大きく広がっていきます。
ユングは中年期を人生の正午と表現しました。ちょうど人生の半分で折り返し地点だということです。つまりまだ半分しか生きていないのです。人生はこれからです。残り半分、有意義に楽しく生きていくために、困難にぶつかり価値観の転換を余儀なくされた場合は、それまでの価値観にできるだけ固執せずに、自分が前向きになれる新しい価値観を再構築していくのはいかがでしょうか?きっと今まで見えなかったものが見えて、知らなかった世界が開かれていくのではないかと思います。
HIKARI Lab 代表清水あやこ
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