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農家のお金

こんにちは!今日、自分の梨畑の草刈りをしていたら隣の畑の農家に「ありがとう」と言われて梨をもらいました笑

ちなみに、前回は「ありがとう」と言われて米30キロをもらいました笑笑

自分の畑の草を刈って「ありがとう」とお礼を言われることがどんなことか、是非想像してみてわかったらコメントください。


今日はそんなお話です。


自分は、地域の梨の農薬散布オペレーターをしているのですが、自分が一番若くて37歳。自分のひとつ上の先輩は60歳超えという超高齢化社会の縮図みたいな組合に所属しています。

農協に勤めている時からその組合の総会などにお邪魔していたのですが(金融課で全然関係ないくせにいつもそこでタダ酒飲ましてもらってました)、総会でコンパをあげて飲んだあとは、決まって寿司屋で二次会。

農協職員として行っているのではなくて、完全にプライベートで呼ばれて行っていたので、お金を払うのは当然のことなんですが、お金なんて払わせてもらったことがありません。

むしろ、一度「いいから払う!」と言ったら胸ぐら掴まれて「なんでお前が払うんだ!?」と怒られたことすらあるくらいです。

それは農協を辞めて農家になってからも同じで、家にひとりでいると電話がかかってきて、「今○○で飲んでるからすぐ来い」と呼ばれて、寿司と記憶が飛ぶくらいのお酒を奢ってもらっていました。

ひかりが新潟に引っ越してきた翌日くらいだったかな。自分が仕事をしている時に(その当時まだひかりは農家じゃなかったんです)、ひかりがひとりで散歩をして帰ってくると、抱えきれないほどの野菜を「近所のじいちゃんにもらった」と高松が知らない初対面のじいちゃんから野菜をもらってきたことがあります。

たぶん、超貧乏時代に自分たちで育てた野菜よりも近所の農家からもらった野菜の方が多かったし、なんなら漬物やおかずまでもらっていたので、食費は1ヶ月1万円で十分に足りるくらいでした。

田舎は閉鎖的と言う話をよく聞いていたのですが、当時の自分たちにはそんなことは全く感じられず、食に関してだけは結構いい暮らしをしていたと思います。

農作物がたくさんあるひとは、貧乏で食べるものがない自分たちに、おかずや野菜、米や梨までくれる。

また、話相手が欲しい人はヒマな人間をを捕まえて話し相手になってもらう。

お金という物を媒介しなくても回っていく世の中ってこの世にあるんだということをその当時はわかっていませんでしたが、今になってよくわかります。

というか、当時お金がなくても自分たちは暮らせていけていました。

「人におごるなんてもったいない」と考えたり、「この野菜売れるのに人にあげるなんてもったいない」と考えたり、昨年くらいまでの自分たちはそんな考え方で回っていたような気がしています。

たぶんですが、自分にお酒を奢ってくれていた農家も、ひかりに野菜をくれたじいちゃんも、田舎に若い(当時は若かった)人間が入ったことが嬉しかったんだろうと思います。

言い換えると、お酒をおごることも、野菜をくれることも自分が嬉しいからしたことであって、そこには「もったいない」というお金の価値は一切存在しないということ。

最初に書いた梨や米をくれた農家も、「草を刈ってくれてありがとう」ということはただの口実で、恥ずかしがり屋なので普通に物をあげることが恥ずかしいからそんなことを言って物をくれているのだと思います。

今、自分たちはお金をこんな風に使おうと思っています。

今日、キムチを1パック買いにお客様がいらっしゃってくださったんですが、せっかく来てくれたんだからと、イチジクを1パックあげました。

よく考えたら、その時の売り上げはプラマイゼロです笑

でもしょうがない。だってわざわざこんなところにキムチを買いに来てくださったことが嬉しかったので。

キムチのお代金はしっかりともらって、来てくださった事の感謝はイチジクでお返しをする。

そんなことを繰り返しているとお金はたぶん増えはしないことは目に見えてわかっているのですが、そんなことを何十年も繰り返している近所の農家たちは普通に生きています。

なんならしぶとく生きてすらいます笑

自分たちもそれをやってみた時に何が見えるのか、実践してみたいと思います。

今日は取り止めもなく、あったことをダラダラと書いてしまいましたがすみませんでした。

でもやっぱりお金の貯め方よりも使い方の方がすごく大切だなぁと最近感じているので書かせてもらいました。

やっぱり自分たちの夢の到達にはまだまだ時間がかかりそうです笑

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