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日本の教育がイケてない背景(1)

シリーズ展開していきたいと思います。
記念すべき第一回は教育委員会問題です。

日本の教育が崩壊しているのは、金太郎飴型でヒラメの忖度が得意な人を教育委員会(役所だと事務局や教育部と言われる部門ですがここでは便宜的に教育委員会とします)という組織に集めていることです。

無論、すべての教育委員会がそうだということではありません。素晴らしい人が組織の中で活躍しているケースもありますが、多くがそうではないという点が問題です。

役所の中でも教育委員会は特殊です。半数が学校からの出向組というのも珍しくありません。要は学校の管理職になるための2-3年のキャリアステップの受け皿という位置づけにあります。

出向期間中は減点されないように波風立てないのが良いとされることがあるようです。これは役所に共通した問題でもありますが、そりゃそんな人たちが集まっていたら教育が変わらない訳です。

そして特別職の教育委員会の委員(役所の職員ではない)の顔ぶれが、保守、保身、過去にあぐらをかいて、自己顕示欲満載という感じの人が委員として就任しているケースがあげられます。委員の顔ぶれを見ればイケてるかどうかは分かります。地域の有力者や従順だった校長経験者、役所とつながりのある人や、上級官庁の天下りなど、どう考えてもこれからの教育を考えるというよりも過去の威光でという人が半数以上占めていたら期待薄です。

また、文科省、中教審などに右へ倣えという特徴のある教育委員会は、誤解を恐れずに言うならば存在意義はありません。伝書鳩でも雇っておいた方が良いでしょう。

地域には地域の事情や特徴があります。その事情を反映するために地域毎に教育委員会があるのだと思っていたら、全くそんなことはないというのが現実のようです。

現場の実態を鑑みず、上の意向ばかり気にして何をやりたいのだろう?ということを感じる人が教育という場に関わるのは、ある種の児童虐待であり、犯罪と言っても過言ではないかもしれません。

こういうことを言うと嫌われますし、仕事も減りそうですが、変化が必要な時代、また子供たちが成長するにあったて時間は待ってはくれないのですから、地域の教育組織は変化に機敏にそして柔軟に対応できる人が教育に関わるべきでしょう。腰掛けならその人は要りません。覚悟ある人が必要です。

役所の中でも能力の高いトップエリートと問題児を二人配置してはどうでしょうか。また、教育委員会の委員は、既存の権益に忖度しない人、保守的思考ではない人、やたらと偉そうにしない人、過去の人ではない今の人を登用すべきでしょう。学識経験者という人が中心になるとできない理由ややらない理由探しが上手なので一番厄介ですね。

前向きに物事に向き合え、とりあえずやってみましょう!という人たちが半数以上になれば、自ずと変化は訪れます。

変化をしたいのかしたくないのかは、教育委員会事務局と教育委員会の委員の顔ぶれで決まります。

注目されるところの顔ぶれを見てみると良いですよ。顔ぶれを見て、あっ、うちじゃ無理だよねと思ったのであれば、あなたは向いていませんから移動願いを出した方が良いでしょう。

なんだ、それくらいならやろうと思えばできるよと思ったのであれば、ぜひ中心になって旗振りながら、変化にむかあってもらいたいです。向いていますから。

そこで上役がボトルネックになるならそのときは声をかけてください。一緒にその錆び付いたボトルを抜いて、綺麗なボトルにするために伴走します。

人が変われば教育が変わる。教育を変えるには人を変えるしかないのですから。

人の思考、生き方は簡単には変わりませんから、自分がやるか人を代えるのです。それが変化に向き合って対応できるようになる第一歩です。

第一回からこんなこと書いていたらどうなるかわかりませんが、第二回、第三回と踏み込んでいきたいと思います。

興味のある方は是非フォローしておいてください。次はいつになるかわかりませんけどね。

著者:原田光久(ひかりば 代表 / コミュニケーション・プランナー) ●社会問題解決アドバイザー、新規事業開発・地域創生・経営支援 ●行政・教育機関・民間企業で研修・講演・IT推進をサポート ●連絡先:harada@hikariba.com