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頑張ってるのに上手くいかないあなたへ~被害者の誕生~

私は潜在意識オタクなので、達人さんたちのまとめを読み漁る(YouTubeで聞く)のが好きだ。

今日耳にしたこのシステムは、昔私もよく使っていた手法だ。
本人はそんな気はない。

でも、こんなシステムだって分からないから
長いこと苦しんだ。

 誰も分かってくれない!
 こんなにガマンしてるのに!
 私ひとりで頑張ってるのに!

あんなに辛くて苦しかったのに

とんだお門違いだった。

出来ることなら、あの頃の私にそっと教えてあげたい。
意地を張って受け入れないかもしれないけど。

しかし、かつての私がそうだった様に、
今この瞬間も理由が分からず苦しんでいる人もいるんじゃないかな…

もしかしたら役に立つかもと思ったので、メモしときます。

~潜在意識の達人 携帯さんまとめより~≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
ひとつは、被害者だから。
被害者というポジショニングに慣れきってるんだよ。

ブランコで遊びたかった。
しかし先に他の子がブランコで遊んでいた

「あの子がブランコに乗っていたせいで」
という理由でブランコを我慢し、諦めた。
被害者の誕生だ。

"あの子"や、
"自分の為のブランコが用意されてなかった状況"の犠牲者となった訳だ。

一旦このポジショニングをしてしまうと、

今更

 「僕にも乗せて」

なんて言えない。
被害者として我慢を強いられた上に、更にお願いまでするなんて、なんで自分ばかりこんな惨めな思いをしなけりゃならないんだ?

かといってタイミングよくあの子が気付いて

 「乗っていいよ」

なんて言ってきても、やはりそれは受け入れられない。
我慢を強いられた被害者としての気持ちが受け入れるのを許さない。

なんだよ、

 俺が「乗せてくれ」って言ったみたい

じゃないか・・・・・・ふざけんな!

そう、我慢したのだ。
何故それをわかってくれない?
何故それを評価しない?
俺は被害者なんだぞ!

被害者としての気持ちは行き場が無くなる。
本当は、ブランコに乗りたかっただけなのに。

自分がどのタイミングで被害者にポジショニングしてるのか

そして、そもそもそのポジショニングを度外視してしまえば、

 本来どうしたかったのか?

その辺をクリアにしてみりゃ自分のやってることのバカバカしさが見えてくる。

単にとっとと

 「僕にも乗せて」

と言えば良かったんだ。

 "我慢をする前に" だ。

じゃあそもそも何故我慢したんだ?
たったひと言の「乗せて」が何故言えない?

 "自信が無い"んだよ

上手く「乗せて」と言えるだろうか?
言ったとして聞き入れて貰えるだろうか?
人が楽しんでるのを邪魔しちゃいけないんじゃないだろうか?

それはワガママなんじゃないだろうか?
仮に、もしブランコを譲ってくれたとして
僕はちゃんと喜べるだろうか?
譲ってくれた子に、「譲って良かった」と思って貰えるよう振る舞えるだろうか?

とりあえず

 「乗せて」さえ言わなければ、

それらすべての

 「上手くやらなきゃならないこと」

を回避できる。
だって自信が無いから。

何のことはない
自分で自分にプレッシャーをかけて
それに屈した。それだけなんだ。

自信の無さ、それ故の我慢、
その結果の息苦しさ。
その悪循環の中では

"孤立した自力"でしか

 「上手くいくこと」が許されなくなる

加害者から恵んで貰うことなんてできやしないんだよ。

みたいな感じ。≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡


"あの子"はさ、僕がガマンしてるなんて知らないんだよ。

「察してよ!」なんて思っても、

言わなきゃ気付いてもらえないんだ。

ひとりでぷんぷんしていじけて被害者ぶって…

 上手くやれない自分はダメ
 そんな自分は好きじゃないから

「乗せて」って言うのが怖かった。

もし断られてもダメではないし
愛されないわけじゃないんだ。

乗りたかったのに乗れなくて悲しかった。
断られて自分が否定されたみたいで悔しかった。寂しかった。

って、正直な気持ちを認めてあげられたらね、
だいぶ楽になるよ。
それを"あの子"に伝えられたらね、多分愛されちゃうよ。

「乗せて」を

「助けて」「手伝って」「できません」

で、言えなかったかつての私と
今言えなくて苦しいあなたへ


~私の世界に現れてくれたあなたに愛を~

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