炊飯器購入の会話から理解したフラクタル構造
昨日、母とスーパースーパーマーケット(←これで他の地域の人にも通じる?食料品~衣料、ちょっとした家具や家電まで揃う24時間営業の巨大スーパー)に買い物に行った時、母が炊飯器を眺めていたので
「良さそうなのあった?」
と聞くと、
『ううん、リサイクルショップで見るからいい』
と言った。
実家の炊飯器の調子が悪いと前に聞いていたので、
「私が出すから好きなの選んでいいよ。家電は安くても新品の方がいいから」
と言うと、
『高級取りになったと思って、そうやってすぐに使ってしまわなくていい』
(私が高級取り?になった経緯はまた別な記事にしたいと思ってます)
と返してきた。
貧乏を長くやっていると、お金を使うことに許可を下ろすのが難しかったりする。
そこにはどんな思い込みが潜んでいるのか?
母は
私なんて最後でいい
良いものを買うのはお金ができてからでいい
と思っているんだと思う。
こんなことを考えている時、早川亜希子さん(https://instagram.com/aqua_hayakawa_akiko?igshid=YmMyMTA2M2Y=)が言っていたという、
『レモンを選ぶのも家を選ぶのも同じ』
という話を思い出した。
これは小さいもの(事)も大きいものもリンクしているという、フラクタル構造の例え話。
炊飯器の話に戻すなら、
私にはこのくらいでいい
私によいものはふさわしくない
と、選んでいることになる。
これを、人間関係や仕事、立場、環境など様々なことにもやっているよ。ということだ。
そりゃ、なかなか幸せにたどり着けそうにない。。。
そんなことをお風呂に入りながら納得した深夜2時なのでした。
おやすみなさい☆ミ
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