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「あ、しんじゃってる」ー 生き物の命と子どもについて思うこと。

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子どもと生き物の関わりを目の前に、心が揺れることがよくある。特に小さな命への向き合い方や扱い方に関して、子どもは時に(大人から見たら)とても残酷だ。

ぎゅっと握りすぎて潰れてしまったバッタ。列をつくって移動していた蟻は踏み潰され、その横ではだんごむしがスープになっている。虫かごの中には、忘れ去られ動かなくなった蝶々、カタツムリ、干からびたミミズ。

「なんだか苦しそうじゃない」
「もう少し優しい手で持ってみよう」
「最後には逃がしてあげようね」
「命は大事だよ」
大人がそう言葉にし、教えてしまえば、簡単だろう。

でもそれは、目の前にある小さな命と子ども自身の関わりを閉ざし、彼らが体験から感じ、考えること、命を体感する機会を奪うことにもなりかねない。

触れることを何度か躊躇したあとに捕まえただんご虫が、手のひらの上を歩き回る姿とその感触に、「だんごむしさん、ちいさいねぇ。かわいいねぇ」とそっと呟いたこの出会いさえもなかったかもしれない、と思うのです。

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だから私は、自分の中にすでにある当たり前や価値観を手放しながら、心の中で手を合わせ、小さな命にありがとうと唱える。子どもたちがまたひとつ、きっと心の中に何かを残しています、と。

(もちろん、必ずこういう関わり方をしているわけではない。今だ、という時には考えるきっかけになるような投げかけをしたり、共にその命に向き合うこと、こちらの気持ちを伝えることもあります)

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たくさんの命に機会をもらいながら、子どもたちは今日も生き物に出会う。そこで出会うのは、必ずしも生きている命とは限りません。

「あ、しんじゃってる」

ついこの間も、ユウイチロウが山へ向かう途中に道路でカミキリムシの死骸を見つけた。気づかなければ歩行者に踏み潰されてしまっただろう亡骸をそっと手にとり、見つめる。そして、そのまま優しく手のひらで包むように持ちながら、また山へと足を進め、一緒に手を繋ぎながら歩いていたハンタと、ぽつりぽつりと話し出す。

『しんじゃってるね』
「あつかったからじゃない?やまじゃないから」
『やまでおはかつくってあげようよ』
「おはかにはいると、いきかえるんだよね」
『え、そうなの?』
「そうだよ。おはかのなかでいきてるんだよ」
(そんな気持ちがあったから、この持ち方なのかなあと私)

「ちがうよ。おはかにして、つちにうめるとしぜんのえいようにもどるんだよ」とそのやりとりを後ろから聞いていたゼンも話に加わる。

自然の栄養に戻る。ー その後三人は山に着くと、どこがいいかなと探し回ったあと、ふかふかしている土にカミキリムシを埋めてから、遊びはじめていました。

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また、保護者の方から、こんなエピソードを教えてもらったこともありました。

先日、ボラの赤ちゃんをつかまえました。私が観察したいと家に連れて帰ったのですが、水槽に入れて数位時間で死んでしまって。
娘は「うみにもどしてあげたほうがいいとおもってた」「ママがかんさつしたいっていうからつれてきたけど、かわいそうだね」と気持ちを教えてくれて、私も悪いことしてしまったなあと反省したんですが、その後死んだボラをエビが食べるような仕草を始めると、「あ、エビさんがたべるみたい。じゃいいか。」と言ったんです。

子どもたちは、それぞれの視線で生き物や自然と出会う。そして、見て、触って、感じて、その命に寄り添ったり、遊んでもらったりする。

わたしは、やっぱりそこには大人が言葉では伝えられないことがたくさんあるなと思う。今日も、明日も、そこに在る自然に、人は育てられるのだと思うのです。

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