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◼️次回イベント◼️
7/6(土)白楽BLUES ETTE (ジャズセッション)

19:00〜22:00
渡邉伸之(b) 中丸雅史(pf) 黒田ひかり(ds)

ブルースエットは
白楽駅から徒歩1分以内、かなり駅近のお店です。見学のみも大歓迎です。お待ちしています✨

◼️7/14(日)新潟 木もれ日のよっ家 (バンドライブ)
◼️8月31日(土)西荻窪w.jaz (セッション)
◼️10/25(金)三宿BACKSTAY (バンドライブ)
◼️10/26(土)西荻窪w.jaz  (バンドライブ)

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黒田ひかり

10月14日生。A型。身長150cm。埼玉県出身。
小3〜中2までは八丈島に居住していた。

両親は教員で、音楽とお酒好き。父と母は23歳の年齢差があり、父は私が産まれた頃には早期退職しており、母は働いていた。私には妹が1人いた。

父は海軍航空隊で訓練をしていたが、22歳の頃に終戦となった。器用で几帳面な人で、小学校で教頭をしていたが、早期退職後はボランティアや講演会で話すなど活動的だった。一見物静かで落ち着いた雰囲気に見えてエンターテイナー気質。何かの集まりがあると手品や皿回しなどの一発芸を披露したり、教員仲間を集めて劇団を作り、私も恥ずかしがりながら子役で出演した。父は音楽好きでアコギやスチールギターを弾いた。お酒も好きで、家にはキリンラガーの瓶ビールが常にケースで買ってあった。時々教員仲間を招いて家で飲み会をしていた。室内の天井にはスポットライトが設置されていて、来客の前で母と私2人でバイオリン演奏を披露した。2階の父の書斎には図書室の様に本棚がずらりと並び、本が沢山で居場所がほんの少ししか無かった。教育、演劇、美術に関する本も多かった。

小学校教員だった母親は、根は真面目なんだろうけど、わりとワイルドな性格で少し不器用な自由人だった。時々教員としての用事で海外の学校へ行っていたので海外土産が家にポツポツとあった。家の玄関にはピカソのゲルニカがドーンと飾ってあるので来訪者はびっくりする。バイオリン、ピアノ、花道、茶道、書道をやっているかと思うと、レザージャケットを着て中型バイクに乗り通勤しだした。厳しい面があり、私は母にとって扱いにくい子供だったと思うので怒られた記憶も多い。母は子供にゲームやテレビを見る時間を制限した。お菓子は家では時々しか食べさせなかった。朝食は当番制で子供に準備させた。お小遣いは少なくし肩たたき券で稼がせた。はっきりした性格で生徒や生徒のご両親に好かれていた様子もあったが、同じ職場の男性教員と対立しているという話も聞いた。他校の、母が担当した男子生徒から「黒田先生は怖い」と言われた。言い方がキツい所があり、今思い出しても、そんな言い方しないで欲しいと思う事もよくあった。正直、子供の頃は母の事が苦手だった。だけど母も1人の人間として精一杯だったと思うし、母とお酒でも飲んで普通に会話してみたいとずっと思っている。多分面白い人だと思う。

妹は私の後について来るのが好きで、子供の頃は喧嘩もしたが(私が一方的に怒っていただけ)総体的には仲は良かった。私の音楽活動をずっと応援してくれて、ライブを見に来たり、ずっとバンドのスタッフをしてくれた。良いカメラを買ってライブ写真も撮ってくれた。妹もお酒好きで、2人で家飲みや、色んなお店に飲みに行ったしカラオケにもよく行った。料理が得意で、私が来る日は新妻並に完璧な支度をして待っていた。2人で飲みながら食事を終えると「お風呂にお湯たまってるからね」と、どうしてかと思うくらいの心遣いをしてくれた。妹はこだわりある性格で生きづらそうな面もあり、姉としては心配事が多々あったけど、本人なりになんとか頑張って生きていた。妹は私のことを世の中で一番応援してくれている人だったと思う。

家族の死

父、母、妹と4人家族だったが、私が18歳の時に母が乳がんで死亡、24歳の時には父が心臓発作で死亡(80歳だから寿命かも)、40歳の時にはひとつ下の妹まで食道がんで死亡した。その2年後には、母親違いの兄(72歳没。良い人で好きだった)が大腸がんで死亡し、40代前半にして珍しく喪主を3回経験した。幸い、良い親戚に恵まれているので助けられた。このように、たまたま早めの家族の死を見てきた経験から、死について身近で当たり前のものに感じている。ドライに聞こえてしまうかも知れないけど、死ぬまでにどう生きるかや、時間を大切に思う気持ちがどんどん強くなっている。

後悔

18歳で母が亡くなった時に大きな後悔が残り、自分を見直すきっかけとなった。それまで母とはなかなか素直に接することが出来なかった自分のことが大嫌いだった。母が亡くなる5月18日の少し前に、素直じゃない私は、母の日を理由に病院にただ無言でカーネーションだけを送った。それが精一杯だった。母が弱っているという情報が怖くて、焦っていたと思う。カーネーションを受け取った入院中の母から弱った声でお礼の電話が来た。「ひかりがこんな事してくれるなんて、ありがとうね」と。当時はスマホなんて無いから家電話に着信が入る。言い訳にしかならないけどバイト3つ掛け持ちと音楽活動で生活リズムも乱れていた私は、昼の電話で起こされたことにふてくされながら対応した。結局それが最後の会話となった。本当に驚いた。あの母がまさか病気で亡くなるとは思わなかった。雨の夜に病院に行き、冷たくなった手に触れて、声を出して泣いた。自分は馬鹿な人間だと思った。
父は高齢だったので、いずれの死の想像は出来ていたけど、思ったより突然だったのでショックだった。お風呂で亡くなったのを、翌朝に妹が発見した。父は何故かよく夢に出てくるが、私はいつも父にとても優しく介護をしている。もっと色々してあげたかった気持ちがあるからだと思う。
妹に関しては一番ショックだった。食道がんが見つかってから10ヶ月で亡くなってしまった。3年経った現在もまだ信じられない気持ちもある。一番心配で、一番幸せになって欲しい人だったから、悲しくて、悔しくて、寂しい。

音楽との出会い

親の意思で、私は6歳からバイオリンを習っていたけどあまり好きではなかった。「練習しなさい」と怒られて、泣いたり怒ったりしながら練習していた。母の仕事上、小3から八丈島に移住して6年過ごした。島への引っ越しと共に、晴れてバイオリンを辞め(今となっては勿体無い気持ち)ピアノを習い始めたが、そのうち八丈太鼓に興味を持って習い始め、島のお祭りで叩く事もあり、楽しかった。小6の時に新しく来た女性の音楽教員、川上真澄先生の授業でドラムが導入されて一気に夢中になる。授業の演奏では毎回ドラムを選んだ(ジャンケンに負けて叩けなかった回も)。小6で女友達とバンドを組んでいて、卒業式でJITTERIN'JINNのエヴリデイと夏祭りを演奏した。バンド練習はドラムセットを持っている友達のお宅で。とても楽しかった。中3になる前に八丈島から埼玉へ戻ったが、転校は心底嫌だった。埼玉に戻った中3、お年玉の全額12000円投入でドラム練習パッドを手に入れ、バンド仲間はおらず家で1人で叩いて遊んだ。

17歳〜現在までの音楽活動

英語推薦で入った偏差値の高くない高校を中退。当時の未熟さを反省するが、その頃にはそんなふうにしか生きられなかった。高校で出会った仲の良い友人1人とは今でも繋がっている。当時、友人と自由に遊びまわった時間は最高に面白かったけど、私に関しては勘違いをして調子に乗っていた部分もあったと思う。でも大切な時間だった。
音楽活動をしたくて親にお願いし、音楽専門学校に入学したのに1年で中退。ジャズドラマー坂田稔さんの授業は有益だったが、2年目の学費を知り、勿体ないと当時は思った。17歳から家出するように都内に移り住み、専門学校で出会ったメンバーと共にライブ活動に専念し始めた。お金が無いのでバイトを2〜3箇所掛け持ちしていた。初めはヘビーメタルやハードロックバンドでツインペダルをメイン、シンバルも多めに使用していた。後にツインペダルはあまり使わなくなり、ポップス、ロック等の様々なバンドでのライブやレコーディングを経験した。同期ものバンドとのご縁も多く、クリックを聞きながら叩くことは得意だった。
20代半ばには自己流から抜け出したくなりドラムレッスンに通った。3年弱、加藤隆之さんに師事し、ファンクやソウルミュージック等に触れるようになった。自身のバンド活動をしながら、当時は何でも引き受けて7〜8バンド同時進行した時期もあり、1日にリハ3件、ライブ2件の日も何度かあった。介護職をしながら結構忙しかった。
長年やったバンド水面下ノ空を脱退後には、ジャズのセッションやライブに参加するようになった。そのうちにジャズスタンダードのコード進行上に、自作のメロディと歌詞をのせて、ドラムを叩きながら歌うことも始めた。

水面下ノ空 / 水面下ノ音

長年、精力的に活動した。未熟さがありながら精一杯やっていた。ボーカルが途中で変わった事もあるがいずれにせよ、メンバー同士の仲は良かった。勿論それぞれ苦悩することもあったけど、未だに私にとって水面下ノ空メンバーは家族の様に思う。
水面下ノ空は各地ライブハウスだけでなく、路上ライブも精力的に、秋葉原、代々木公園、新宿、渋谷、溝の口などで日曜日にやっていた。それまで行く事がほぼ無かった秋葉原で出会ったお客様も多く、色んな方とコミュニケーションをとるようになって世界が広がり、良い経験になった。代々木公園では海外の方と繋がることも多く、ハワイ在住の方が水面下ノ空のライブに来て下さるようになった。その方はハワイのラジオ番組で、日本の人気曲ランキングの中に水面下ノ空の「青のカケラ」を紛れ込ませて流してくれた。フランス人の一人旅男子と仲良くなり路上ライブ後に皆で飲みに行った。また、秋葉原路上で出会った日本人のお客様のご厚意で、渋谷の大型ビジョンで水面下ノ空の「そら」のPVをしばらくの期間流して頂いたこともある。他にも色々な展開があった。
路上ライブを継続する大変さもあったけど、ライブハウスだけでライブするよりも収穫があった。路上では、ライブハウスだけでやっていては起きない様なミラクルがいくつも起きていた。応援して下さるお客様をはじめ、手伝ってくれた仲間の力が大きい。感謝の気持ちでいっぱいになる。

介護職

21歳あたりから介護職を始め、音楽活動と介護職を両立してきた。長年同じ事業所に所属し、障がいを持つ方の訪問介護を続けながら、近年はフリーランスの介護士としても働いている。フリーランスではご高齢者の介護が多い。長年の訪問介護で、同じ場所で慣れた仕事をする安心感もとても心地良いけど、フリーランスで初めての場所に行って働く事も刺激的で勉強になっている。この仕事をしてきた事で、未熟な自分の成長を感じる事ができたと思う。今もなお未熟者が成長中。


活動の流れ

1997年〜2000年

ヘビーメタル、ハードロック等のバンドで活動。

2000年〜2006年

ハードコア、ロック、ポップス等のバンドで活動。
バンド「core9th」でも活動。

2006年

バンド「水面下ノ空」活動開始。まこ(Vocal)、とものかつみ(Synth&Programing)と共に都内ライブハウスや路上ライブにて精力的に活動。一部作詞した。曲のうち半数ほどは作曲もした。(コード理論がわからず感覚で作成したものをとものさんがアレンジ)

2009年

水面下ノ空でエマージェンザミュージックフェスティバルに参加し、ベストドラマー賞を獲得。

2012年

「アンクルボーイ」に加入。

「水面下ノ空」とものかつみ(Synth&Programing)と共に、即興性を重視したElectronicaなInstrumentalユニット「水面下ノ音」で活動開始。

「水面下ノ空」は新ボーカルに、声優アイドル松永真穂を迎えて活動再開。
 
ベースとドラムのみのユニット「後ろからの光」で活動。(現在は活動していない)

2013年

「Otonana Trio」で年3回程、アメリカツアーに参加開始。多い時で25日間ほぼ毎日ライブ、沢山の州を車で回った。(毎年アメリカへ行っていたがコロナ流行で休止。2023年に再始動している)

「アンクルボーイ」解散。

2016年

12月24日 渋谷GUILTYライブで「水面下ノ空」と「水面下ノ音」を脱退。

2018年

12月4日 渋谷GUILTYで「水面下ノ空」ラストライブ出演。

西荻窪CLOP CLOPにてジャズセッションライブに参加するようになる。

2019年

ジャズセッションに時々行くようになる。

趣味でワインエキスパート試験に合格する。

2020年

1月25日 自分でプロデュースしたドラムソロEP「WINE CIRCUS」配信開始。

傾聴サポーター認定証取得。

ベースとドラムのみのユニット「Challenge2」で活動。

2021年

新潟ジャズストリートに出演するようになる。

テキサス州Galvestonで出会ったラッパーERASMOのEP ”The Citadel” の1曲「Rap Game Rock Lee」PV公開。声で参加+PV出演。

12月12日 西荻窪CLOP CLOPにて、ドラムボーカルで初ライブ。

2022年

12月 西荻窪w.jazにて自分が選んだワインをメニューにご用意するライブを初企画。(満員御礼)

2023年

12月 西荻窪w.jazにて自分が選んだワインをメニューにご用意するライブ2回目企画。(満員御礼)

ワイン受験対策覚え歌YouTube動画を作り始める。(マイペースに更新中)

2024年

三宿BACKSTAYにてワインを楽しみながらセッションなど自由に過ごせるワインデーの企画を始める。

ちょっとまじめにソムリエ試験対策こーざ」で、ワイン受験対策覚え歌が紹介される。
 

過去のお仕事

松下奈緒『心の宝石』レコーディング参加。
世界番付 テーマ曲『ボクラノセカイ』レコーディング参加。
SOUL'd OUTのBro'HI率いるEdge Playerライブサポート・PV参加。
能登有沙ライブサポート・レコーディング参加。
三澤紗千香「ユナイト」PV参加。
ドラム演奏モーションキャプチャー。
こけぴよ、二木蒼生、冨田麗香、山口貴大、FullMoon、機械DOTEちん、その他にも様々なバンドやボーカリストをサポート。

Zildjian(ジルジャン) とエンドーサー契約している。 
所有資格:介護福祉士、ワインエキスパート、傾聴サポーター。

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◼️次回イベント◼️
7/6(土)白楽BLUES ETTE (ジャズセッション)

19:00〜22:00
渡邉伸之(b) 中丸雅史(pf) 黒田ひかり(ds)

ブルースエットは
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ブルースエット
045-717-7139
神奈川県横浜市神奈川区白楽100-5 白楽駅コミュニティプラザビル 2F
https://tabelog.com/kanagawa/A1401/A140205/14072833/
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