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砂漠のオアシス

「味噌汁、味薄いワ。チョット、待ってて。」
 夕食のテーブルに着いた矢先、キッチンのシンク越しにそう言われた。銀杏の匂いが並木道を漂うようになり、秋が深まり肌がひんやり銀杏や紅葉の鮮やかな黄、橙が一層と深まっている。
 画鋲の痕やいたずらに貼られたプリキュアのシールが上手くはがれず、所々に残った糊の部分が灰色に浮かんでいる壁の方に目をやると、昔ロサンゼルスのビーチで撮った写真が目に入ってきた。夕暮れの橙色がビーチの写真を照らし、揺らめいていた。
 留学というと、どこの景色を思い浮かべるだろうか?当時は留学と言えば、カリフォルニア。特にロサンゼルスの燦燦と照らされたビーチ、雲一つない青空と、真緑に生い茂る芝生のキャンパス。テニスラケットを背負い、教科書を持ちながら、ブロンドの女性と冗談を言いながら歩く私。日が沈んだ後には、赤や紫の現職のネオンサインが輝くダンスラウンジでナイトフィーバー。青春を謳歌するバラ色の日々が留学という単語から思い浮かんだ。
 ミーハーな私は、アルバイトで貯めた資金を使って、大学2年生の夏休みを丸々使い、希望溢れるロサンゼルスへ2ヶ月の語学留学をした。大学2年生の就職活動よりも前の時点でTOEICの点数は740点。基準とされる730点の壁を越えた。外国人留学生を受け入れる国際交流サークルでも、帰国子女の学生を除くと英語は出来る方だった。交換留学で大学に来ていた留学生たちからは「英語がGoodだね」とよく言われた。留学の方式では学校から一括で派遣される派遣プログラムもあったが、そんなのでは遊びの修学旅行と変わらない。パスポートも持っていなかったが、自信が満々に膨れ上がっていた私は、日本人が周りにいないコースに入ることにした。「俺は出来るんだ、お前らとは違うんだ!」という気がなかったかと言えば嘘である。
 現地のクラスは、ハンガリー等東欧から来た白人系、コロンビアなどのラテン系やアフリカ系の黒人、文字通り多種多様な人種と国籍の人が集まっていた。色んな訛りの人たちが話している中では正直意味は余り分からなかった。それでも日本の学校で新学期にクラスに配属されたときと同じ感じで、今までのコミュニティや留学生を受け入れていた感覚で接しようとした。
「やあ!」
私と目が合うと、何となく避けたがるように周りをキョロキョロしているハンガリー人とコロンビア人。ため息交じりで力ない握手を私とした。教室から冷たい視線が刺さる。私に向けられた視線は、小学校の頃のクラスで、運動も勉強もからっきしダメで、机の中が汚く整理されておらず、使い込んでクシャクシャに丸められた黄ばんだハンカチが引き出しから出てきたり、1学期に配られたのプリントが3学期の大掃除で黄ばんで丸まった残骸として出てくるような、修学旅行の班決めで「余り」と言われる人たちに対するそれであった。
 クラスで同じ扱いを受けていたのは、同じクラスにいた小柄で気が弱そうな韓国人のキム位だった。キムは身長165㎝位でモヤシ体系。声もモヤシのようにひ弱。黒光りする瓶底の丸めがねをかけて、にやにやしている。私は178cmで細マッチョ体型。正直キムよりはマシだと思っていたが、彼らから見れば同類なのである。いわゆる人種差別的な扱いなのだろう。今までの人生で、これほどまでに「下」に見られたことは一度もなかった。様々な人種の人々が輪になり笑顔でキャンパスを歩き、授業を楽しんでいる、希望に満ちたコース。この教室にはパンフレットから連想されるキラキラな日常など、面影もなかった。
 現地のホームステイ先は、パソコンでテトリスの変化版のようなフリーゲームを朝から晩までずっとやっているおばあちゃん宅。おばあちゃんはホームステイビジネスに入れ込んでおり、何部屋も滞在サイクルが出来るようになっていた。ステイしている人々とはほとんど関わりもしなかった。
 徒歩5分ほどの所にあるスーパーで買い物をしようとしても店員には「ん?」と邪険な顔をされる。暫く身振り手振りでやっとのことで「ああ、これが買いたいのか」と伝わったようである。要は英語も伝わっていなかった。授業では、教師が手加減をしてゆっくり話してくれているだけだった。「英語がGoodだね」は、「お前の英語は相当ひどい」という裏の意味もあるらしい。ポジティブ思考でストレートなアメリカ人でもこういう皮肉な言い方をすることを身をもって知った。
 放課後は休日はクラスでグループで出かけているらしい。いうまでもなく私は呼ばれない。頼みの綱のキムも休日は韓国人たちと観光をするらしい。私は完全に1人であった。土日に用事もなくサークルもなく、バイトもなく、風邪でもないのに1人で過ごすのなんていつぶりだろうか?クラスでは蔑まれ、スーパーで買い物もできない。あこがれのロサンゼルスに到着してまだ一週間経っていない位であったが、私にとって、その地は既にアルカトラスの監獄と化していた。大学からの派遣留学にしなかったことを深く後悔した。TOEIC740点で大学の英語も上級クラスの私。大学受験の時も英語は得意科目だった。自信満々だったのは純ジャパの中だけであった。井の中の蛙とは正にこのことだった。鎖国状態の島国のペーパーテストを根拠とした自信は、大陸の砂漠の風と共に一瞬で吹き飛んだ。
 洗剤交じりの水たまりの上を飛ばしていった車が水しぶきを上げ、泥水が胸辺りまで飛んできた。留学のために買ったユニクロの真っ白なTシャツは泥だらけになった。部屋に戻り、新品の服は全てスーツケースの奥底にしまった。持ってきた中で最もボロい、袖口が擦り切れて捨てようと思っていた灰色のTシャツと、穴が開きかけのスリークオーターパンツに着替えた。カバンは持たず、スーパーのレジ袋にした。
 ベッドに横たわり決して深くはないがゆっくりと吸い吐き出せなくなるまで肺から空気を出した。暫くたったか、一瞬の意識の薄れから目が開いた。どうやら13分しか経っていないようだ。スマホで観光地を検索してみると、リトルトーキョーというスポットを発見した。「リトルトーキョー?」名前に惹かれて吸い込まれるように向かった。
 そこは中華街の日本版のような場所であった。内部にはプラモデル店やゲームセンター、紀伊国屋まであった。ロサンゼルスにいることを忘れられ、クラスや日頃の生活での憂鬱な監獄生活から一瞬現実逃避が出来た。正に小さい東京であった。和食の定食が懐かしく感じられた。少しお米は硬めだが、大戸屋の定食のような雰囲気であった。ロサンゼルスの広大な砂漠で、狭い空間の一角にバリアが張られたような、そんな居心地で、文字通りの灼熱のロサンゼルスの砂漠の中に位置するオアシスのようであった。週末のこのオアシスで、平日の拷問生活に耐えるために、リトルトーキョーの一週間分の空気を満たすためスゥーっと深く吸えるだけ息を吸い込み、しっかりと手足の先まで充電をした。
 月曜からは相変わらず憂鬱なクラスであった。誰も私達とは会話ペアを組みたくないらしい。他のクラスの人たちはグループ間を行き来していたが、いつでもあまりの2人。キムと私。
 放課後にふらっと近くのコートを見ると、アメフトではない方のフットボール、サッカーをやっていた。目の前にボールが転がってきた。昔からサッカーをやっていたため、意図せず大活躍をしてしまった。明らかにその場の誰よりも次元違いに上手かったのはひいき目にも明らかだった。久々に羨望のまなざしを感じた。気のせいかボールもいつもより弾んでいる。近くのベンチに座り、こちらを見てきている金髪で青目の白人女性グループがいた。数週間の監獄生活で抑圧されていた私は、サッカーでの活躍で、レッドブルにツバサを授けられたように随分とハイになっていた。今なら何でも行ける、そんな気分だった。ちょっと手を振ると、すぐに目をそらす彼女たち。1人だけ手を振り返す人がいた。ここが監獄であることなど忘れ、颯爽と彼女の元へ足を進めた。
「やあ」
「サッカー上手いのね」
「まあもう何年もやってるからね」
同世代の女性と話すのは、監獄生活が始まってからでは初めてだった。この子の名前はケイト。小さめのピンクのシャツに、デニムのホットパンツにパステルピンクのスニーカー。私が日本人だと伝えると、リトルトーキョーの話になった。通りすがったことはあるが、店に入ったことは無かったようだ。
 夢中になっている会話、車のクラクションが鳴り顔を上げると、サッカー少年たちも女性グループたちも消えていた。流れに身を任せてリトルトーキョーの和食屋で会話の続き。ケイトは生まれて初めての味噌汁を口にした。お椀のふたを開けたら、白い雲が黙々と天井に舞い上がる黄色がかった茶色の液体。くるんと丸まったピアスのような麩。漆黒のお椀と相まって宝石箱みたい、と笑みを浮かべていた。
 そんな夢のような週末が過ぎ去った翌週、教室の外で、教室外でのグループワークをすることになった。ジェスチャー付きの会話の練習である。この教室も嫌だったが、教室外の授業は最悪で精神的な拷問であった。教室の外では先生からの目が無いので、さげすみの視線が露骨になった。
 いつものように先生の前では教室ではニコニコ、建物を出てからはトボトボとグループについて行った。授業の際に、大学のキャンパスの芝生に出かけていき、20m程離れた所から、私たちに手を振る金髪の女性。ケイトだった。クラスのハンガリー人もコロンビア人も、彼女にくぎ付けでうっとりしていた。ケイトが近寄ってくると、握手をしようと満面の笑みのハンガリー人にわき目も降らず、私の方に近寄ってきた。
「やあ、何してるの?」
「グループで会話の練習!」
「いいね!じゃあまた土曜日に」
「またね!」
ケイトに半身で軽く手を振った後、周りをゆっくりと目を細めるように見渡した。クラスメイト達は口を半開きにしたまま、目線だけでお互いに話していた。そしてハンガリー人が尋ねた。
「彼女は誰?」
「ちょっとした友達」
「土曜日何するの?」
「ディナー」
「グループで?」
「多分二人だけ」
辺りは静まり返り、カリフォルニアのカラッとした風が、芝生の上を流れる音が耳を揺らした。他のクラスメイトも脇目で見ていた様子であった。
 この瞬間から、薄暗い灰色の監獄は、まばゆいオレンジやピンクのカリフォルニアになった。クラスの人たちに誘われ、グループで。週末はビーチ。テニス。夜はナイトクラブに初めて足を踏み入れた。お酒も強い方だと思っていたが、あいつらと比べると全くダメ。ショットなんて早いところ潰れかけてリタイア。それでも蔑みの視線はなかった。勿論ケイトとも出かけた。街を歩いていると、通行人の白人から、奇妙な目で見られることもあった。
 帰国日の前日、ケイトとリトルトーキョーに再度訪れた。先週買った新品の服を着て。ロサンゼルスでの最後の味噌汁をすすった。
「あのサッカーの時、あなたに話しかけるのは罰ゲームだったの。今はそうは思ってないわ。寂しい。」
「俺も。」
ロサンゼルスから帰る前日、リトルトーキョーの火の見やぐらが見えるベンチに腰掛け、ケイトにキスをした。オレンジに輝く夕日が二人のくっきりとしたシルエットを照らしていた。自信を吹き飛ばされ、アルカトラスに劣らない監獄の地に閉じ込められた私を、リトルトーキョーが救ってくれた。この砂漠のオアシスがなければ、今の私は無かっただろう。

 「パパ?」
ふと我に返った。ビーチの写真から目を離し、食卓に目をやると、白米、サケの塩焼きと、ほうれん草のおひたしに加え、味噌汁が並べられていた。漆黒のお椀に、くるんとしたお麩が浮かんでいる。一口すすった。
「美味いね、この味噌汁。上手になったね。」
半目に俯き、ゆっくりと頷いていたケイトであった。


応募先

第9回 イマジン・リトル東京 ショートストーリーコンテスト

結果

選外