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他人をどうにかしたいと思わずに、だけど

このところの悩みの大半はこれだった気がする。「他人のことをどうにかしたい」。

今初めて知った言葉では全くないのに、何十回、何百回と同じことで落ち込んでしまう。

いつも「他人はどうにもならない」にたどり着くまでに、長い時間を要してしまう。

自分の中で無駄な戦いを繰り広げている。


人に対する「期待」というものは、何もしなければ、ほんの少しずつ、でも毎日着実に蓄積されていくものなんだと思う。

自分の妄想から生まれる「期待」というものは、運動して脂肪を燃焼させるようにコントロールしていかないと、確実に肥大してしまうものなんだと思う。

そして「思ってたのと違う!」という事案が発生する度に、打ち砕かれた期待の残骸に沈んで、なかなか現実に帰ってくることができないでいる。


よく「夫婦がうまくいくコツは、相手に期待しないこと」という言葉を聞くけれど、相手に期待しないコツを教えてくれよと思う。(夫婦に限らず。)

「英語が上達するコツはTOEICスコア800点を目指すこと」って言われたら、いやちょっと文章おかしいでしょ?ってなるけど、「相手に期待しないこと」も、それなりにスキルが要ると思うから、それ自体がコツっていうのは私はなんだか飲み込めないのだけれど。

そうかあ~よし、もう期待しないぞ~って思っても、(恋愛関係に限らず)自分以外の人への期待値というものは、多かれ少なかれ、何もしなくても増幅されるプログラムが、もう人の心には元々備わっているんだと思う。

しかもそれは、打ち砕かれたとしても、ほとんどの場合、目盛が0には戻るけれど、再び期待の蓄積を始めるプログラムは繰り返される。


でもそこが、人間のいいところなのかもしれない。

人は本来そんなに人を憎めないんだと思うし、何度だって期待をしていたいのだ。

でも自分が何か悩んでいる時には、改めて考える癖をつければいいのかもしれない。

なんで悩んでいるんだっけ?それって「なんであの人はああなんだろう?」ってことじゃないっけ?だとしたらそれ、どうにもならないから!という自分との会話を、これからも何度も繰り返していくんだろう。

ほんとうはいつだって信じていたいんだ。期待をしていたいんだ。それが人のごく自然なプログラムなんだと思う。

そうして人との関係が深まっていくんだと思う。

ショックを受けないために、最初から「期待値」を下げておくというのは、いちいち傷つかないためには有効なのかもしれないけれど、私はたぶん、何かを取りこぼしてしまいそうな気がしているんだろう。

だから、これからも同じように悩んで、そのときにまた、ああそうだった「他人はどうにもならないんだった」っていうことを思い出して、自分の心をフラットに戻していくのを、永久に繰り返していくんだろう。

落ち込んだ時は、早く思い出そう。

そのくらいで、いいか。

いろいろな方にインタビューをして、それをフリーマガジンにまとめて自費で発行しています。サポートをいただけたら、次回の取材とマガジン作成の費用に使わせていただきます。