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ぱちんぱちんと星

蝉の死にぱちんぱちんと星が出る  鴇田智哉(『凧と円柱』)

死の表現にいちばん苦労したのは、実は文学や美術や宗教ですらなくて、ゲームの世界だったんじゃないかなと思うことがある。

どうしたらなんでもありのこの世界で、ひとはちゃんと死んでゆくのか。

たとえばマリオは敵に触れることで死んでゆく。触れることは本当はわかることで、現実の世界では理解することや愛することになる。
でもマリオの世界では触れることは死ぬことだった。マリオもプレイヤーもその死を受け入れながら、いつか会うためのクッパのもとに進んでゆく。
なんども触れて、死んで、右に進む。

このゲームによる、死のリセット、もういちど死を考えましょう、やり直しましょう、というのは、俳句の世界にも近い気がする。
俳句はいろんなことをもう一度やり直す。目がやり直す。
それは感覚としてはゲームの感覚にも近いように思う。
ゼロの感覚をやり直すこと。

鴇田さんの句では、死ぬとぱちんぱちんと星が出る。『星のカービィ』の世界にこの一句が置かれていたらどんなふうに感じ方が変わるのか。

わたしたちはゲームからたぶんとても多くのことを学んだような気がする。でもときどきそれを忘れたふりをしている。

じぶんが死ぬときとても多くの星をこぼしながら、みんなそのこぼれた星を見ているのに、黙っている。自分の力ではもうどうしようもない。あとからあとから星が零れる。

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