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ながれぼしをながびかせる

ながれぼしそれをながびかせることば  福田若之(『自生地』)

田島健一さんの句集『ただならぬぽ』の帯文に
「あらゆる人のはじまりであることの困難さの代わりに。」
と記してあって、ねえねえこれってどういうことなんだろうね、と隣の机のひとに聞いたりしていた。

「あらゆる人のはじまりであることの困難さ、って、はじまりの場所に立つってことは難しいってことなのかね。人はアダムにはなれないってことなんだろうか」
「アダム」
「アダムってきっとさいしょのひとでしょ。さいしょに夕日を見たり、滝しぶきを浴びたり、林檎の甘さや酸っぱさを知ったひとでしょ、きっと。人類の始まりだ。
アダムにはなれないけどさ、今僕がこうしてるみたいに、あなたに話しかけたりなにかを伝えたりするってことはできるよ、ってことなのかね」
「アダム」

彼女は何度か「アダム、アダム」となにかを長引かせるように繰り返した。

あの、

「あきらめますってことなんじゃないかな」と彼女はふっと言った。
「あきらめたところからはじめますって。はじまりは捨てます。ぜんぶも捨てます。あきらめます。でもそんなところから始めてみます。そう言ったんじゃない」

うーん、なるほど、と私は言った。
私たちはイブの話はしなかった。あらゆるはじまりの女のひとの話を。
でもなんとなく、イブはアダムに、あるとき、わたしたちあきらめましょう、と話したような気がした。
夕日も林檎もこの世界にはあるけれど、この世界にはあきらめてから始まるものもあるのよ、というような。
希望と、絶望を、分けずに、一緒にして、イブはアダムにあるとき話した。そんな気が、した。

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