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ひねりのないヤリモクと私の呪文合戦

ある日、男友達数人とご飯を食べていたら、二人連れの男たちに声をかけられた。あれよあれよという間に似顔絵を描かれ、
「そこのバーでおれの絵展示してるからきなよ!一杯奢るよ」
と言われた。うーん。そんなに好きな人たちでもないけど、展示と言うなら行くかという美大生の謎の義務感により男友達と一緒にバーまで行った。

行ってみると、わりと趣味のいいバーだった。壁には本が並んでいて、ただのインテリアではなく実際に店主が読んで集めたであろう美術書や色んな本が並んでいた。
展示はその反対側の壁に一面のポストカードが貼られていた。本棚においてある箱にも大量のポストカードがあったので、千枚はゆうに超えていただろう。物量で攻めるタイプだ。ストリート系とか、クラブにいる人たちが好きそうな絵だった。惹かれないけど、毎日たくさん作ることも大事だよね。という、(申し訳ないけれど)謎の上から目線でそんなことを考えていたら、奢ってくれた絵描きの連れの男が隣に座れと言ってきた。気がすすまないけど狭いバーにはその席しかないので座る。

目の前に好きじゃない絵、隣に好きじゃない男、手には奢ってもらったジンジャーハイボール。来なきゃ良かった。一気にあおってありがとうと言ってすぐ帰りたいと思った。この程度で酔う私ではない。

しかし隣の男は謎に私をロックオンしたらしかった。チルを醸し出そうとして失敗してただの眠いやつになっているが、しばらくすると果敢に声をかけてきた。早く帰りたくてハイペースで酒を飲む私に対して、男は
「お酒、好きなんだね」
と言ってくる。

「そうですね」
「どんなの飲むの?」
「うーん、ビールとか日本酒とか、白ワインとか。芋焼酎もいいですね」
そう答えると男はすこし引いたようだった。ほろよいが好き〜とか言うとでも思っていたのだろうか。
「酒好きじゃん!」
「まあそうですね」
「俺んちさ、こんなでっかいプロジェクターあるんだよ。NETFLIX入ってるし、最強じゃない?家で飲み直さない?」

びっくりした。こんなにわかりやすいヤリモクが実在するとは思っていなかった。ヤリモク学校があったとしたら1年生の4月に習う最初の呪文じゃないか。tiktokなんかでネタにされるこの呪文を、本当に使う人がいるのか。
私にとってここまで惹かれない男もめずらしい。私の中の女の部分が1ナノも反応しない。加えて私は貞操観念がわりとガチガチで、セックスしていいと思うのは「この人の子供をシングルマザーとして育ててもいい」くらいの覚悟をもてる人だけである。

言うまでもなく論外な男に対して、今夜の誘いをどう断ろうか考えた。冷たくあしらって逆上されてキレられたり、帰り道に襲われたら怖い。土地勘もないから余計に危ない。私の知っているワンナイト拒否の呪文はこれ一つだった。
「明日朝早いんで…」
負けず劣らず基本的すぎる呪文しか知らない自分に内心で冷笑していると、男は慣れた様子でまたお決まりの呪文を返してきた。
「おれも6時起きだよ!」

そうかそういう粘りの呪文もあるんだな、と感心しつつも早くも手持ちの呪文が切れた私は、借り物の呪文を使うことをやめた。
得意の嘘話で乗り切ろうと思った。嘘話と言っても、内容は全て事実ベースである。事実の順番を少し入れ替えるだけで、都合のいい偽真実ができる。こういう嘘はバレにくい。

「いやあ私、明日朝から溶接なんですよ。溶接ってあの、めっちゃ温度の高い炎が出るんですけど、わたし寝不足だと炎を出したまんま寝ちゃうんです」
事実、出せと言われればいつでもガス溶接の免許状みたいなカードを出せる。溶接中に寝たことも何度もある。炎の温度が高いのも事実。アセチレンガスの炎は3000度だ。

「それ皮膚にあたったらただれるし、ガス管に引火したら建物ごと大爆発なんですよ」
ただれるかどうかはよくわからなかったが、まあそう言うこともあるだろう。ほとんど嘘は言っていない。嘘をついたのはそれが明日やることではないだけだ。

「だからちょっと無理なんですよ〜」
童顔の女からいきなりガテン系の話が飛び出してきて男は面食らったような残念そうな顔をしていたが、ようやく引き下がってくれた。帰り際にまた送るとかなんとか言われたけれど、そこは周りの男の人たちがなんとかしてくれた。最終的に男たちだけで飲みに行ったみたいだ。タチの悪い人だともっとこじれるのだろうけれど、この男はそうでもなかった。


ここまでの話は夜遊びした女と男のなんてことないやりとりにも見えるだろうが、これは弱者のユーモアの話である。
私は女性の中では体力こそないが瞬発的な腕力は平均よりはある。しかしたとえ細っこい男であってもフィジカルでは絶対に負けることは十分にわかっている。そういう対象にいきなり性的な目で見られることはそれだけで自分が汚されたような心地になるし、はっきり言って恐怖である。

そういう相手には悪意を持たれても好意を持たれても危険極まりない。まあまあ面白い話をして満足させ、しかも性的対象から逃れるために嘘話を作り上げねばならなかった。

私をナンパした男はその恐怖を感じなくて済んだのだと思うと、その非対称性に驚く。ナンパをする人はその非対称性を出来るだけ自覚することと、断られてもにこやかに嬉しそうにさえして送り出すことを意識してほしい。
ナンパする人間に限らず、私を含めて人間は老若男女を問わず、自分が思うよりずっと他者に対して権力を持っている。それは往々にして他者を傷つけうるからだ。

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