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生の知久さんをぽかんとみてきた

知久さんの、ちくちんどん楽団の1stアルバム発売記念ライブに行った。初めて、生の演奏を聴きに行く。
晴れ豆で、ドキドキしながら階段の前売りの列に並んで、今か今かと待ち構えながら割といい席と素敵なビールを確保して臨んだ。真ん中らへんの、通路に面した席だった。知久さんのギタレレ(?)がステージにおいてあって、それをじっと見ていた。

引き戸がさりげなく開いて、うつみさんの後に知久さんが出てきた。
当たり前なのだけどあっけないくらいあっさり歩いて出てきた。見なれた緑のニット帽。Tシャツに、太くて股のところが下がったズボンに登山靴。あの下に肉体があって、その肉体が服を着てここに立っているという生きている人間の生々しさに目を向けたり背けたり背けきれなかったりしながら目を見開いていた。

最初の曲は「もののけ番外地」だった。
あんまり嬉しくて、目だけでなく口もぽっかり開けて無音で叫んだ。
生の知久さんは力強かった。そして、楽しそうだった。ずっと配信の音源を聴いていたので、歌はもちろん楽器の音やタイミングも耳に染み込んでいてるのだけど、全然違った。知久さんの声は太くて低くて、そういや男の人なんだよなと思った。
曲の順番はあんまり覚えてないんだけど、「ロシヤのパン」、「ちいさなおはなし」、「うどんかぞえうた」、「セシウムと少女」、「ちょっと今ここだけの歌」、「ああぼ~くはかなし~よ」、「いちょうの樹の下で」、「らんちう」「ねむれないさめ」なんかがあった。樹海さんの歌(「いつでもどこでも」)やうつみさんの歌もあって、二人ともとてもいい声だった。

最後の曲が「ぽかぽか」で、アンコールがあって、「ハートランド」となにか(「むこりった」だったかな)だった。
京都の六曜社のご主人の奥野さんのうただと言ったか。ハートランドですでに私は泣きそうだった。
その後もまたアンコールがあった。私を含めて「またアンコールするの?」と戸惑う人もいながら、しば〜らくしてから楽団のみんながまた出てきてくれた。知久さんはマイクの前でしなを作って
「んも〜、あんたも好きねえっ」
と笑った。
それで「おれ覚えてるかなあ」「練習してないからね」と言いつつ(うつみさんも間違えて一度やり直しつつ)、歌ったのが「牛乳」だった。

あ、こりゃ泣くなと思った。
ある時、棺に入った友達の体が焼き場に入るとき、本当に「火事場の馬鹿力で生き返らないかと思」ったのだ。やっぱり生きてました!って驚かしてくれるんじゃないの?本当に燃えてしまうの?と。そこで「牛乳」の歌詞のリアリティを知った。
歌が進んでいくにつれて私の涙は引っ込んでしまって、そうか私は泣かないのか、と思っていた。でも、その歌詞のところで一気に溢れてしまった。鼻をすすってごめんなさい。だばだばと涙を流しながら、はじけるような笑顔で歌う知久さんたちを見ていた。

帰り道の今、「326」が頭から離れない。
中学生の頃にたまに出会い、色んな人の影響で知久さんを好きになったけど、私は私としてちゃんと知久さんが好きなんじゃないかと思う。

いや、「私の葬儀では知久さんの『鐘の歌』を流して」と言い続けている人間が何を言っているのか。ライブが始まったとき無音で叫んでいたのは「好きだ」だったじゃないか。
もう好きと言ってもバチは当たらないだろう。好きです。

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