Vtuberの命

Vtuber界隈が好きな人へ聞いてほしいVオリ曲について

Vtuberの数も増え、Vtuberの在り方、見方、価値……そういったものについていろんな考え方も増えてきました。
もう一人の自分としての存在、本当の自分を表現できる器、アイドルとしての仮面。自己表現の一つとしてあるわけで、そういった多様性が生まれてくるのはしかるべきだと思う。そして、何よりその葛藤・思い・意義について一番向き合っているのはVtuber自身であろうと思います。

そういうことで今回は、「Vtuber」として存在について歌った歌についてフォーカスを当てて紹介してます。

ぶいちゅっばの歌 / 周防パトラ

2/7にFull版を配信されたことでも話題になりました。

「振り向かなくていいけど、足跡はあるよ」
「バーチャルと現実の隙間で歌う」
「君が忘れなければ私はいるよ」


可愛い曲であるのに、歌詞はかなり深いものになっているんでよね。
クリックすれば出会える、その距離感で私はいるよ…でもちゃんと軌跡もあるし、生きているんだよ。そんな存在についての訴えを感じる気がします。

VR -Virtual Reality / KMNZ

この曲も界隈の初期の方からあり、先日ついにMVも公開されましたね。

コンプレックス抱えてたって
ここなら好きなようにミックスダウンしたらいい

VRの可能性の一つに、自分の好きなことを表現できるよさがあります。
たとえ、見た目にコンプレックスを抱いていたとしても、VRでなら自分らしさを表現できるかもしれません。それは、甘えではなく、むしろ全員が同じ条件なので、ある種の平等なのかもしれません。

バーチャルYouTuberのいのち / キヌ

バーチャルYouTuberは笑う。
バーチャルYouTuberは悲しむ。
バーチャルYouTuberは悩む。
バーチャルYouTuberは作られる。
バーチャルYouTuberは繋がる。

だからあなたは知っている。

バーチャルYouTuberは生きている。

バーチャルYouTuberを命として考えた時、それはどういう存在だろうか。それについてここまで真摯に迫った歌も珍しい。ゆえに、ストレートにその思いが伝わるのではないだろうか。

Cloud Identifier: 集合知に偏在する残滓による自意識の再構成 / memex

Avatarに絡んだ糸の一つ一つが
再構成する命の証明

Avatarと書いて、体と読みます。バーチャルな体についての存在の証明について、深く練られた楽曲になっています。楽曲もMVもカッコよすぎるので、そっちに意識が行きがちですが、ぜひ歌詞についても考えてみてほしいです。

明後日を歌って / 渚乃奏

生き延びるために声をつくり
ライフハック 少女の体借りて
それでも見えない明後日を
絞り出すように歌っていく

これはもう、渚乃奏さんの在り方の話かもしれませんが、逆にそういう在り方もあるという証明になるのかもしれません。ただのアバターではなく、魂の名前なのです。「渚乃奏」という体を借りて、生きているのです。

○△□ / 丸三角シカク

現実ではいい年こいてもバーチャルではイイお年頃
窮屈なreal lifeを避けてYouTubeで秘密のお仕事
「Twitterを誰がフォローした」
「何人がSubscribeした」
そんなのは本当はどうでもいいんだよ
見てくれる人に 「ありがとう」

いわゆる企業系でなかったり、サークルで組んでやっているわけではない「普通」のVtuberもたくさんいる。というか、先人たちが、素人でも参加しやすいような環境を作ってくれたおかげで、誰でもバーチャルになれる時代になりつつある。
最初は「そんな人気にはなれないだろうなー」と、心のどこかで思いつつも、趣味や遊びで始めたのに、やってる以上人気になりたいなーって思ったりする。自然な欲求だと思う。初めは、一人でも配信来てくれただけでうれしかったはずだ。息抜きではじめたはずだ。でも、だんだんそれがわからなくなってくる日がくると思う。
個人でVtuberをやってる人にこそ、聞いてほしい一曲です。

0と1と3 / 響木アオ

現実が交差する私と
現実にいる君とのストーリー
今だけは私を感じてよ
耳をすまして ねぇ
心の奥に 届け

タイトルは「0と1」がバーチャルの世界、「3」がリアルの世界を意味しています。
「響きあいたい」ということをテーマにアイドルとして活動を続けている彼女。バーチャルの世界にいる以上、リアルに会うことはできない。なら響きあえないか、というとそうではない。
ライブや生放送に参加したり、動画をみたり、ツイッターで応援したり、そういったことでアオちゃんを感じることができる。その感情は紛れもなく本物である。それは、アオちゃんがバーチャルな存在だという理由で薄れるものではないと思うのだ。

Up-to-date feat.かしこまり /  MonsterZ MATE

姿形も
関係ないのさ
イマジネーションは
君を待ってる

この界隈に対する悩み・葛藤・不安、そういったものへの1つのアンサーなんではないかなと思う。綺麗事も数字も努力も、全部ひっくるめて、この歌はある。それはコーサカさんが、業界を愛して、ちゃんとやることやって、そして先も見据えてるからこそなのかなって。

バーチャリアル  /  眠河ゆめな

バーチャリアル 夢が今
花開く 気がしてる
バーチャリアル 可能性の
混ざり合う軌跡を見てて

バーチャルとリアル。Vtuberにとって、それは枷のようであり、ポテンシャルのようでもあります。仮想と現実の混ざり合う行く末には、どんな未来があるのかわかりませんが、その可能性に期待していたいものですね。

Vtuber Life  /  小山内めい

何もない人なんて いないから絶対
君に眠る宝箱 フタを開けたい

Vtuberって、なんだかんだいいつつ、かなりハイコンテクストな文化です。そういう難しいことについて、うまく触れつつ、かつ分かりやすく紹介している曲なのかなって私は思います。
それだけ難しい文化だと分かった上で、なぜVuberは、そしてファンは増え続けるのか。その答えの一つが、この歌詞にあるのではないかなと思います。

フーアーユーなんて言わないで / 天神子兎音

歌詞は、子兎音の曲って感じではなくて、VTuber業界全体の応援ソングみたいなメッセージがあります。せっかくこのVTuberっていう文化が今やっと育ってきている所なんで、これはもう世界に発信したいですよね。VTuberっていう文化自体を。もったいないじゃないですか、せっかくこんないい文化なのに!科学の技術を感じますね、500年も生きていると。とにかく色んな人に聴いてもらいたいです。
(下記インタビューより引用)

最後はこの曲。再生数が100万回を突破しましたね。おめでたいことです。多くの人がいれば、有名な人もでてくれば、埋もれてしまう人もいます。多くの人は誰しも「有名なもの」「スタンダード」「人気の高いもの」をチェックすると思います。一定数以上の人が関心を持っているコンテンツというものは、大抵面白いです。安定しています。だから「人気のあるものを探す」というのはセオリーであり、また、はじめに出会う機会が多いはずです。
では、その人気があるものって、初めから人気だったのか。答えは「NO」です。「キズナアイ」「ミライアカリ」「電脳少女シロ」「ときのそら」など、今Vtuber界隈を追ってる人間からすれば知らない人はいないと思います。そんな彼女たちも、最初は「誰?こいつ。」でした。今でさえ、一般人からすれば「誰?初音ミクみたいな感じ?」です。
この記事に載っている人たちも、読者からすれば「誰?初めて聞いた」という人も多いかと思います。

カメラ前で張り切って
喋って
絡んで
外して
辛くても

今は進まないと
この先生き残れない

「みんなそうしてるから、あなたもそう」というような、根性論の押し付けは個人的に好きではありませんが、それでも「続けている」人が今もいるというのは事実です。だからって言い方は、少し卑怯かもしれませんが、この記事に載っている人たちのことを、これから出会うVtuberの人たちのことを

フーアーユーなんて言わないで


いかがでしたでしょうか。箱推し、単推し、いろんな人がいると思いますが、たまにはそういうのを抜きに、在り方としてのVtuberという目線で、この界隈をみてみるのも面白いかもしれません。
もし、これをきっかけにVtuberの音楽に興味を思いいただければ、稚拙なまとめではありますが、こちらを参考に色々聞いていただければ幸いです。