私のSNS遍歴と_その付き合い方

私のSNS遍歴と、その付き合い方

今日も今日とてTwitterを眺めてと

というツイートが流れてきた
どっぷりインターネットに溺れてきた私には、この手のタイトルは刺さった。
合わせて関連するエントリーもいくつか読んだ。

余裕がある人はこれを先に読んでからの方がいいかもしれないが
私は専門用語を使うほど頭はよくないので、このまま読み進めてもらっても構わない

関連するエントリーはどれもボリューミーではあるが
私と同じように、このタイトルに気になってクリックした方なら読む価値があると思う
関連を全部載せてもいいのだが、キリがないので特に気になったものに勝手に絞らせていただく

SNSは結局「同じ趣味・趣向」を楽しむもの

私がインターネットに潜り始めたのは、ちょうど「フラッシュ黄金期」などと呼ばれたころだ
ニコニコ動画が試運転を始め、2ちゃんねるも今以上にごった返していた
ちょっと知識のある人は自分のHPをつくり、自分好みのジャンルのBBSを作ってはコミュニケーションをとっていた

思い出補正が強いかもしれないことを承知でものをいうなら
今以上に書き込む場所に対する分別がついていた時代だったと思う
偏見かもしれないが、このころからインターネットに触れている人は
一定レベルのメディアリテラシーを持ち合わせている気がする

趣味でポエム作りにいそしんでいたが
それを投稿するのも、そういうのも歓迎するコミュニティに対して投げていた

餅は餅屋というにはちょっと言葉が違うが
「今日は○○について話したいからここに書こう」という感覚だ

mixiやグリーなどにも誘われてお邪魔したが
そこもやはり自分の好きなコンテンツを見つけてはそこに潜っていた

Twitterというものが日本で流行りだしたころ
生意気にも私はすでにiPhoneであった
なのでというのも変な話だが、一応Twitterのアカウントを作ったが
好きな作家さんや声優さん、アニメなどの公式アカウントをフォローしただけで、全然つぶやかなかった
特に自分がつぶやくメリットを見いだせなかったし
誰かに連絡を取りたいときにはLINEやSkypeのほうが便利であった
というのも、このタイミングでは「知っている友人にしか連絡をしなかった」からだ
Twitterはよく凍結されてなかったな。。。と感心するぐらい放置していた

そんな私が、Twitterを運用するようになったのはゲームとスロットがきっかけだ
Dance Dance Revolution。いわゆるDDR。ダンレボ。
大学時代は、だいたいゲーセンかパチ屋にいた。

攻略情報やプレイのコツ、特殊な演出。
そういう情報は、まとめブログよりもTwitterに先に出回っていたのだ。

有名人以外の個人アカウントを積極的にフォローするようになったのはその頃くらいだった
上手なプレイヤーのTwitterアカウントをフォローしておくことで
新曲の解禁条件やコツなどの情報が手に入る
私にはそれが魅力的なことであった

情報収集がメインであったので、フォロワーなど意識したこともなかったが
だんだんとフォローの敷居が下がっていき
「同じコンテンツを楽しんでいる人」をフォローするようになっていった
そこで自分もリザルト画面(いわゆるスコアなどが載っているもの)や、スロットのプレミア演出の写真を載せていくようになり
「おー!それ難しいのによくクリアできましたね!」
「そのプレミア演出みたことなかった!ウケる!」
などのリプライをもらい、それに返すようになり
私もそういうリプライを送るようになっていった

そのやり取りをしているとフォローしてもらったりしたし
有名なプレイヤーさんにファボやフォローしてもらうと嬉しかったりした

クラスタを形成する

そのぐらいTwitterになれてくるとクラスタを形成するようになった
最近は聞かないから、もう死語なのかもしれないが

初めて聞いた人はこれを見ればすぐにわかると思う

DDR界隈だけでなく、音ゲーマーとクラスタを形成するようになり
いろんな音ゲーマーと相互フォローになって情報交流をした

そこから私は百合にハマっていった
本来「アカウントを分ける(垢分け)」などをすべきなのだろうが
そんな器用なことはできず
そもそもリア友用とネット用ですら垢分けしていなかった私は
全部一つのアカウントでやっていた
(というか、今Vtuberとして利用しているこのアカウントも、今まで話していたアカウントと同一のものだし、何なら過去の元カノも私のTwitterを観測できる状況下だし、昔のSNS時代の名前もすべて「ひかげつきみ」で行っている)

そこで百合クラを形成していき
また新しい趣味ができればそのクラスタに関わっていった

その頃にはオフ会にも参加するようになってきたし
ゲーセンで知り合った人とTwitterの相互するようになったし
逆にTwitterで知り合った人と一緒にゲーセンにいったり遊んだりするようにもなった
(一緒にゲームする、イベントにいくなどのケースでヤバい遭遇をしたことはない。経験談からいえば、「街中で急に話しかけてくる人」「話したいことあるからご飯いきませんか?」という絡み方をする人の方がヤバいことの方が多い(宗教勧誘とか、詐欺とかそういうの。めんどうなので「しっしっ」て感じ)

そんな風にいろんなクラスタにふらふらとお邪魔している浮気体質な私を見かねてフォローを外す人もいただろうが
別に「それで互いの心の平穏保てるのであれば、正解では?」と感じている

むしろ、その方が助かるくらいだ
窮屈ではないので

私のツイートがうるさいと感じるのであれば、フォローを外すなり、ミュートするなり、ブロックするなりすればいい
そこに変に「あなたのツイート多いですから減らしてください!」と絡んでこられたら
私の方がその人をミュートするかもしれない
そうなる前に、相手に考えて行動してもらいたいと思うのは
はたして私の我儘になるのだろうか?

その人と付き合うことに何か大きなメリットがあるなら話は変わってくるが
基本的には気に食わないと思ったのであれば互いにそっと距離を取るのが最適解と思っている
わざわざ喧嘩するカロリーを持ち合わせていないし
その時間があれば、ぶっちゃけゲームしたい

窮屈といえば、一応Facebookも使っていたが数か月と持たずに辞めた
あそこは私にとって窮屈であった
使う人によってはFacebookのほうが都合がいいのかもしれないが
単純に私の趣味はTwitterの方が趣味仲間が見つけやすいと思ったし
職場の人なども見てる場にスロットの写真を上げるのは気が引けた
ある意味そういう「気が引ける」という要素があるからこそ
それがゾーニングの役割を果たしているのだと思うが
偏見を恐れて自分でゾーニングするくらいであれば
Twitterで気軽につぶやいたほうが精神衛生上健康だった
また環境が変わったら、もしかしたらFacebookを運用するかもしれないが
それはまだ先の話になりそうだ

Twitterは窮屈か

私自信はまだ、総合的にいって楽しいと思って利用している

たしかに
寄ってたかって批判したがる人も目にする
「これ言ったら炎上するんだろうなー」って思って黙っていることも増えた

なんでも批判したがるようなリテラシーの低い人に合わせるのは面倒なこともあるが
幸い私の形成しているクラスタには、今のところそういうのはいない

いや、確かに
昔の、それこそ趣味で集まってる人同士のBBSにも面倒なのはいたのだ
ただ、基本的に互いに理性的であることが多かった
「論破」という言葉が一時期流行ったかのように
「私はこう考えている!あなたはどう思うか?」
というように、主語は「私」であったし、主張にも理解の余地があった
まだ「中身」があった

最近の炎上は、どうも中身がないように感じて
そんな空虚な言葉で誰かが傷ついているのは
小学生が寄ってたかって「ばーか!ばーか!」と連呼して何か無抵抗なものをいじめているように見えて
とてもむなしい気持ちになる

今の時代、それはもう
「SNS上の交通事故」のようなものと思うようにしている
車やバイクと同じように、事故に気を付けて利用していれば
それはとても便利だし楽しいものなのだ、とも思うから

楽しんで使うために

・右見て、左見て、交通事故には気を付けよう
・基本的にどんなものを見ても「ふーん」って済ませられるくらいの度量を身に着けよう
・プラスになることを心がけよう

私自身は、この3点を意識していれば
またTwitterという文化は楽しいものとして認識できる気がする


願わくば
誰もが一定のリテラシーを持つことを

願わくば
「利用される人」が減ることを