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子供と仲良くなるための5つのステップ

はじめに

こんにちは、あるいはこんばんは、ひかっちゃです。今回は子供と仲良くなるための方法をステップ形式で紹介していこうと思います。ちなみにですが、僕は名古屋のIT専門学校に通う19歳で、保育系の道を志したことがあるわけではないです。ただ、自分自身子供と関わるのが好きなのと、まじで自慢でもなんでもないですが、子供も僕のことが好きです。(お前異性からモテないのにそんなことでイキんな)そして、僕の小学校からの大親友や敬愛する3つ上の先輩が保育系の道に進んでいることと、母が保育関連の仕事をしていたこともあり、このブログでは子供関連のことも書いていこうと決めました。初めの方は実際の経験を元にした僕の持論がどうしても多くなってしまうでしょうが、近々大親友からの話などを元に現在の保育事情などにも触れられたらと思います。それと、僕の相方というか二重人格目のうらっちゃが時々でてきますが、僕ら二人で記事をお届けしていきますので、どうぞよろしくお願いします。(よろしくなー)







ステップ1 子供に対する認識を変えるべし

いやはや、ステップ1にして一番重要と言っても過言ではないものが来てしまいましたね、うらっちゃさんや。(そうやなーこれが全てでもあるもんなー)うんうんそうだよね。では、ここで皆さんに問います。子供とは何者でしょうか。なんとなく大人とは違うと考える方は多いでしょうが、何者か言語化することは意外と難しいですよね。しかし、ここで僕が言いたいことは、言語化して欲しいなんてことではありません。皆さんのもつ『大人とは違う』というその認識を取っ払って欲しいのです。それが例えなんとなくでもです。人によって大小はあれど、この感覚自体が子供との関係に溝を生んでしまいます。これでは本当の意味で対等ではないからです。いくらしゃがんで目線を合わせるなどという小手先のテクニックを使っても、このままでは話になりません。本当のことを言うと、そもそも僕は子供という言葉をあまり使いたくないんですよね。今回はわかりやすいよう子供と言っていますが、普段はちっちゃい子と言ったりしています。人と人が関わる上では子供も大人もないのです。なんなら敬意を表してもいいぐらいでしょう。彼らは遊びのプロです。遊んであげるのではなく、遊ばせてもらっている感覚をもちましょう。この感覚をゆめゆめお忘れなきよう。(忘れんなよー)


ステップ2 子供が求めていることを知るべし

お次は、子供が僕らに何を望んでいるのかを感じ取るというものです。こちらに関しては、ベクトルが自分ではなく子供側に向かうものになるということもあり、どうしても難易度は高くなってしまいますが、飛ばすことはできないステップとなっています。(このステップはスキップできないってか!)うっ、うん、そういうことだね、、、。このステップは僕からどうこういうようなものではなく、基本的には皆さん自身に考えてもらいたいのですが、ブログ記事を書いている手前、全てを投げやりにすることもできないので、例を出していこうと思います。例えば、よくあるのは遊び相手になって欲しいという場合です。しかし、ひとえに遊び相手になると言っても、大きく分けて3パターンほどあり、そんな単純なものではありません。

  1. 単純な数合わせ要員などによる埋め合わせ

  2. あなたと遊びたいという特別感がもたらすある種の依頼

  3. 普段できないような遊びの領域、または概念の拡張

遊び相手だと大体こんな感じになると思います。一つ目は、僕らにそこまで価値を感じていないか、まだ存在を吟味している状態です。この場合には目上の人や初対面の人を楽しませようとする繊細さが求められます。つまり気を張らなければいけないし、張りすぎてもいけない絶妙なラインです。暴走することはもってのほかですが、ただのつまらない奴になってもいけません。一番簡単そうですが、仲良くなりたい場合では、忍耐力や精神力の求められる一番難しい工程とも言えるでしょう。二つ目は、一番簡単。それまでの段階ですでに気に入られており、ただのダチとして一緒に遊んでいれば十分です。三つ目は、あなたがいることで普段ではできない体験を期待される場合です。こちらに関しては様々なパターンがありますが、僕でいうと肩車をしながら高速移動するなどです。これはその子たちの監督者。つまり親にあたる方などに『ひかっちゃなら我が子に怪我をさせない』という絶対的な信頼と、僕がそこそこの身長の持ち主であると同時に、幼稚園児時代から続けてきたサッカーにより鍛え上げられた足腰が可能にする最高に面白い人間離れした技であり、求められるものは各々異なってくると思います。(お前の定期的に出てくる自慢まじうぜぇ)まぁそんな感じで難しいですけど、皆さんにはぜひ挑戦してもらいたいです。


ステップ3 自分にできることを知るべし

子供が何を求めているのか考えた後は、自分に目を向けます。ここで言いたいことを要約すると、『自分にできる範囲を超えてはいけないぞ』ということです。例えば、僕なんかは冒頭でも述べたように、とても子供に好かれますが、それは遊ぶことに関してぐらいです。どういうこと?と思われる方もいると思うので、もう少し詳しく説明すると、遊ぶ時は馬鹿みたいに仲良く騒いでいても、ご飯を食べる時や寝る時は僕ではダメなんですねぇ。この場合、楽しさの土俵ではママさんに勝てても、安心感の土俵では全く歯が立たないということです。ここで調子に乗って無理にご飯を食べさせてしまったり、胸元で寝かしつけようとしたりしてしまうことはナンセンスです。悔しいですが、おとなしくママさんに譲りましょう。つまるところ、僕の特徴は遊びのプロに付き合うプロフェッショナルみたいな感じですかね笑。だいぶ簡潔に説明しましたが、実際はもっともっと考える必要があります。この「自分にできることを知る」というのは、自分ごとなので一見簡単なように感じるかもしれませんが、意外とそんなこともありません。できれば、他人視点からの自分まで把握していることが理想となります。さらにいうと、どんな子供と居ても通用するような万人受け系ではなく、ある特定の子に対して自分は何ができるのかを考えてもらいたいです。逆に、できないことや苦痛になるようなことまで頑張ってやる必要はないということでもあります。無理なものは無理と言ってあげてください。子供にも、中にはびっくりするほど優しく、繊細な子もいたりするので、良かれと思ってずっとやってきたことがそうではなかったことを後から知ると、とても悲しむ子もいたりします。何より、無理をすることは子供嫌いになってしまったり、その子の人間関係構築能力に傷をつけてしまったりすることにもつながりかねません。お互いが良かれと思ってやってきたことで痛い目を見ないためにも、無理と言える勇気を持ちましょう。できる範囲で最大の楽しみを生むことなどいくらでもできるので、まずは子供と自分を照らし合わせてみることからお勧めします。(お前意外といいこと言うじゃん)


ステップ4 楽しませる前に楽しむべし

ここのステップはというと、見出しが全て過ぎてもはやなんも言うことないんですけど、強いて言えば、一つ質問したいことがあります。皆さん!子供と関わる時に楽しむことを優先できていますか。(え?あんなに色々言ってたくせに楽しむことを優先しろって言いたいのかお前)そうだとも、うらっちゃさんや!こっちが楽しんでいたら今までのステップが難しくてできなくてもなんとかなるんだから!!!(お前めちゃくちゃじゃねぇか💢)まぁまぁこれはほんとに冗談でもなんでもなくて、しっかりとした理由があるのですよ、うらっちゃ。(ほう、言ってみたまえ)なんでそんな上から目線、、、まぁ言いますけども。実はですね。日本人は真面目過ぎてか知りませんが、子供と遊ぶ際、自分が楽しむことよりも子供が楽しむことばかり考えている傾向にあるのです。実際に調査してきました。


(確かにおいらもインタビュー受けたな、っておい!母数2じゃねえかっ!もう片方は絶対お前だし、おいらの方の円グラフの色が暗いの悪質だろ💢)ごちゃごちゃうるせーぞ、うらっちゃ。皆さん、ご覧になられた通り、実に半分の方が子供を楽しませることをメインに考えてしまっていますよね。相手を思いやる日本人らしさが出た結果なのでしょうか。しかし、これでは本末転倒です。子供からしたらそこそこ楽しいな、ぐらいで終わってしまう可能性もあります。そもそも、楽しさには方程式が存在するのです。それは、 楽しさ×愛=楽しさ というもの。何だこの馬鹿げた式は、と思う方がいるでしょうが、相手を楽しませたいと思うのであれば、まずは自分が楽しみ、そして相手に愛を注ぐことこそが重要なのです。ではなぜ楽しむことに重きを置いて話しているのかと言うと、それは、子供に愛を感じてもらうのはなかなか大変だからです。僕自身もそうでしたが、子供の頃に「僕って愛されているなぁ」と思ったことなど一度もありませんでした。成長してから気づくことも多いということですね。だから、自分がめっちゃ楽しむしか基本的には方法がないのですが、僕などのように常識を逸脱した者は皆、時に愛で勝負することもあります。とは言え、先ほども言った通り子供に愛を感じ取ってもらうことはなかなか難しいです。ではどうしているのでしょうか。そう!自分の領域を展開します。愛の領域展開をし、必中効果で愛をぶつけるのです。そして一度領域を展開して仕舞えば、まだ愛を知らない子供との領域の押し合いで負けることなどありえません。一方的に愛を降り注ぐことが可能なのです。また、愛の開示をすることで愛の力を底上げすることもできます。愛していることを伝えて恥ずかしさを感じる縛りを己に貸すことで、代わりにより深い愛を伝えることができます。これは周りにオーディエンスがたくさんいるほど効力を上げます。少し恥ずかしいかもしれませんが、愛していることを素直に伝え続けてみましょう。さすれば道は開けるかもしれません。(かもしれないって、これでダメだったら恥ずかしい思いをするだけじゃねぇか)というわけで皆さんには上級者テクニックも紹介させていただきましたが、兎にも角煮も、まずは自分が楽しむことから始めてみるといいだろう!!!!!

(お前このステップだけやたらテンション高くねぇか?子供と遊ぶだけじゃなくてブログ書くのも楽しみ始めてるだろ、、、あと腹減り過ぎてか知らねぇけど角煮食いたくなってるのバレてるぞ)キッショ なんで分かるんだよ。


ステップ5 ともに学ぶべし

さぁ、とうとう最後のステップとなってしまいましたが、皆さん!盛り上がってますか!?(どこにどう盛り上がれと?てかいつのまに学園祭のMCになったんだお前)いやぁー最近どこの大学も学祭シーズンだったもんで、単騎で乗り込んできたんだよね。屋外ステージでクソ寒いのにエグい格好で踊ってるJDダンサーがエッチでした。(子供に関すること書いてる身でそんな小話は絶対すな)でも保育系の学部があって女子ばっかりの大学だから、そういうエッチな子が将来保育士になったりするんだぞ?うらっちゃ。関係ないなんてことでもないだろうに。(お前そのうち子供と関わるのにはエッチさが重要とか言い出しそうで怖いわ)二重人格目なだけあって僕のことよくわかってるじゃんか。(そんな記事書いてもすぐお前のニーズだってバレるわ)あ゛ーーー?そうか?そうだな そーかもなあ!!

では余談もここまでにして、本題に入りましょうか。最後は「ともに学ぶべし」ということで、内容はだいたい想像できるかもしれませんが、今回の5つの中の最終ステップについて書いていこうと思います。皆さんにはステップ1で子供に対する認識を変えていただきました。そんな皆さんになら、これから僕が言うことを容易に理解してもらえると信じています。単刀直入に言うと、僕は子供から学びを得ています。その価値は一般教養で得られるそれを遥かに凌駕するものだとも感じています。僕が子供をリスペクトするのにはこのような背景があるからとも言えますね。子供は時に大人の教師ともなり得ます。彼らの思考プロセスは独特で、いつも僕を楽しませてくれます。いつからか、僕たちは物事を正誤や効率の良し悪しなどのつまらない基準で判断するような者に堕ちてしまいました。でも、本来は面白いか・面白くないかで判断するべきなのです。だから、僕はあまりにも道徳からかけ離れたことや、犯罪になりかねないようなことでなければ、滅多に注意をすることはありません。むしろ勇気を出して共犯になります。そこに学びを得られることが多々あるのです。正直、すでに凝り固まってしまった僕の脳では、これ以上の思考域拡張を見込めません。どんなに考えても、僕レベルで考えつくものを超えることはもうできないのです。不完全に完全となってしまった僕は、子供の存在に、その本当の価値に、この地獄から這い上がる一本の糸を見出しました。皆さんの中にも、子供に驚かされた経験がある人はいるでしょう。そんな状況に直面した時、皆さんはどう対処するべきなのでしょうか。驚いて終わるのか、すごいねと褒めるのか、はたまた本気で学ぼうとするのか、最後にこの問いを残し、今回の記事は終わりにしようと思います。


まとめ

いかがでしたでしょうか。実はこれも学校課題の一環で、テーマは自由となっています。僕の他にも書いている子がもちろんいるので、そちらの記事にも出会えるといいですね。(ちなみに、こいつはクラスメイトのブログが上がったらすぐ確認するクラスメイトのブログオタクだぞっ)今回も子供関連の話となってしまいましたが、当分飽きることはなさそうなため、これからも続くと思います。ご了承ください。また、今回は呪術廻戦ネタを盛り込んでみました。皆さん、全てわかったかな?僕の学校の先生が呪術廻戦好きらしいので、評価点アップも兼ねて無理やり捻じ込んではみたものの、自分自身は呪術廻戦オタクでも何でもないので、これ以上のネタの盛り込み方はできないと思われます。今回はこのようなボケをかましましたが、僕のブログは継続するためにも気分屋として書くのがモットーなので、その時々であからさまに完成度が変わりますが、それも僕のブログの色だと思ってくださると幸いです。(こいつ上手いこと言って騙せてるつもりなのだろうが、ただの逃げじゃねぇか)皆さんの中で、子供に関する僕の考えをもっと深く聞いてみたい内容などありましたら、コメントください。気分で書きます。


次号 一か八か、決死の領域展開!?君に届けBIG LOVE

これなんや