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失ったものの大きさを知る。

 コロナウイルスというものが流行して、約4年が経った今私が感じること。
 コロナウイルスによって繋がれた人や得たこと、学んだことが多いことは度々色んなもので発信させてもらっていますが、この数日感じてものすごく苦しんだことを書かせてもらいます。

ここ数日、少し旅に出ることにしました。
(今回はちゃんと目的があってね)
その中でものすごく私を苦しめているものに気づきました。それはコロナウイルスによって失なわれた時間とメンタルです。私はコロナウイルスが流行した1年目は大学4年生でした。正直授業も大分減ってきて、卒業まで卒論を頑張ったり、少し旅行に行こうかみたいなことを友だちと計画を立て始めたぐらいの頃でした。コロナの流行によって、旅行なんてもってのほか、学校にも行けなくなり、すぐそこのスーパーに行くことも、本屋さんにいくことも許されない世界になってしまいました。

 家に閉じこもっている人が偉い。正義みたいな概念が植え付けられてしまったのです。 

 その中で少しずつ緩和されてきて外に出ることも学校も復活してきて国はクーポンを出して旅行してくださいという社会になりましたが出かけると言ったら
「え?出かけるの?旅行行くの?まだやめときよ〜」
みたいな矛盾だらけの世の中。その中で活動的な人たちが少しずつ動き始め、叩かれてというような社会になってきました。
 そして、職業柄緩和されてもまだまだ痛い目を向けられていたのは、看護・福祉・保育のような一時期なんかブームみたいに言われてたエッセンシャルワーカー。予防注射先打たせてあげてるんやから、みたいな感じで仕事が終わっても遊びに行ったりとか旅行行ったりとかなかなか出来ないような環境でした。というか、行っても行ってきました😌楽しかったです。みたいな話なんてもっての外みたいな状況だった。

今回旅行に出掛けて大分私の中でコロナとか気にせずに楽しむことが出来るようになってきて、罪悪感も感じ無くなってきたなと旅行中は思っていたのですが、
職場で少しだけ出かける話をしていたこともあり先輩に「どうやった?」って聞いてもらった時に、私が楽しそうに話していた自分に気づいてものすごい罪悪感を感じてしまった。仕事をずる休みしたわけでもない、有給を取って他の人に迷惑かけて休んだわけでもないのに…。そして聞いてくださる先生の言葉もだんだんマイナス変換して落ち込んでいく私がいることに気づいてしまった。

 どんだけ楽しくても罪悪感を感じてしまう自分から少しずつ脱出しつつあることも感じられたけど、やっぱり楽しかった思い出を人に話してたのしそうに話せるまではまだ少し時間が必要だったみたいです。誰かに傷をつけられたわけじゃない傷が1番深くそして治りづらいことを感じました。この薬はきっと時間というどうにも出来ないものと、同じような経験をたくさんしてメンタルを鍛えるしかないのかなと思った今日でした。


早く楽しかったーーー‼️
ってワクワクしたことを共有してワクワクの伝染を起こしたいと思います。


とにかく今回の旅は良き経験だったのでまたどこかで投稿しようかな。

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