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2022年2月18日、金曜日。

2022年2月18日、金曜日。今年もJリーグが開幕した。

いつもより少しだけ早起きをして、先日「天下のユニクロ」で購入した、星野源さんコラボのトートバッグを手に取って、仕事用のPCと充電器、社用の携帯電話のいつものセット。加えて、水色のユニフォームとタオルマフラーを押し込む。

バッグは値下げしていて1,200円で購入した。
しっかりとしている上にめちゃくちゃ大きくて、たくさん荷物が入る。
そしてかわいい。
しばらくは観戦用に重宝する予定の代物だ。


星野源さんが特別大好きというわけではない。
けれど、本人が書いた手描きイラストが散りばめられたバッグを見ていると、
去年まで在籍していたある選手が脳裏に浮かぶ。
川崎の隣街の水色のチームに移籍した彼は、新しいチームで充実したキャンプを過ごせただろうか。


そういえば、去年もJ1開幕カードだったな。
たしか、今日と同じ平日の金曜日だった。
あれ?去年の開幕戦って、見に行ったんだっけ?
たぶん、観に行ったな。

そんなことを思い出しながら、週2回の出社日のために、すっかりコロナ禍前に戻った朝の満員電車に揺られる。



「今日はサッカーの開幕戦があるので、早く帰れるように頑張ります」

部署内の朝礼で、おどけてバッグからユニフォームを取り出す。

「定時で帰るので、余計な仕事は振らないでくださいってことね(笑)」

先輩が豪快に笑う。この言葉が嫌味に聞こえないのは、普段から定時直前や以降に仕事をふるような職場ではないからだ。

そもそもそんな職場だったら、仕事の後にサッカーに観戦に行くなんてたぶん、堂々と言えない。

18時の定時を迎え、急いで会社の前に停まるバスに飛び乗る。

駅から少し離れた西新宿にあるオフィスからは、
どれだけ急いで競技場に向かっても19:00のキックオフには間に合わない。

ギリギリどころか試合時間の3分の1が終わる頃にようやく席に着ければ良いほうだ。

それでも、今季の開幕戦だけはどうしても現地で、生で、観戦がしたかった。


川崎フロンターレの14番

としての脇坂泰斗選手のホームスタジアムでの幕開けを、この目に焼き付けたかったから。


***

わたしが初めて、<脇坂泰斗>という名前を知ったのは7年前。
高校卒業を控えた、18歳の冬だった。

全校集会が行われる体育館で、校長先生の長い話をBGMに、スマートフォンでたった今聞いたばかりのお名前を検索する。

「川崎フロンターレが好きなら、脇坂泰斗って覚えておいたほうがいいよ。将来、絶対フロンターレの選手になるから



そう教えてくれたのは、出席番号が前で席も前後のサッカー部のクラスメイトだった。ここ数日教室でフロンターレの話を友だちとしていたのをどうやら聞いていたらしい。

「好きっていうか・・・イケメン多いねって話てて、いろいろ調べてたら観に行ってみたくなっちゃって。てか、この人もめちゃくちゃイケメンだね」

「イケメンだし、めちゃくちゃサッカー上手いんだよ。俺、中学生の時まで一緒にサッカーしてたんだよね。その時から本当にすごかった。」

サッカー部の中でも、どちらかというとおとなしくて寡黙な印象だったクラスメイトが少し興奮気味に脇坂選手の話を続ける。

「ふうん。え、てかでた。この青いジャージ。(エスペランサのジャージ)いつもマックに集団でいて、ちょっとうるさい。」

「中学生まで、エスペで一緒にやっててそのあと、フロンターレのユースに入ったんだよ」

「そうなんだ」

当時のわたしはまだ「川崎フロンターレ」というチーム名と、数名の選手の名前を覚えたくらいで、サッカーのこともよくわかっていなかった。

駅前でよくたむろしている「青いジャージ」がサッカーのチームだという事は知っていたけれど、「エスペ(エスペランサ)」も「ユース」も正直よくわからなかった。

ただクラスメイトいわく、この脇坂という選手は今はまだ大学生で、阪南大学という関西の大学でサッカーをしていて、卒業したらフロンターレの選手に絶対なるんだという。

「なんで絶対ってわかるの?」

スマートフォンから顔を上げると、
クラスメイトは冷たい体育館の床を見ながら言う。


「いや、なるよ。ヤスくんは、絶対フロンターレの選手になる」


数カ月後の2015年の3月14日。わたしは初めてフロンターレの試合を観戦することになり、晴れてフロンターレサポーターになった。

さらにその翌年、毎年末に行われる、全日本大学サッカー選手権大会(通称インカレ)でついに脇坂選手を見ることができた。

フロンターレより濃い青の、オーバーサイズ目につくられた長袖のユニフォーム。そして胸には「14」をつける彼がそこにいた。


※写真はお友達撮影


「次のフロンターレの14番は、ヤストくんだね」

このときわたしは全然サッカーの「上手さ」とか、脇坂選手のプレースタイルを全然理解していなかったし、正直どんな活躍をしていたかも覚えていない。

けれど、順天堂大学に逆転勝ちをして歓喜の渦の中にヤストくんを見ながら、わたしは思わずこう口にしていて、そうだといいねと笑う友達の横で、

ヤスくんは絶対フロンターレの選手になる」

と豪語していたクラスメイトを思い出していた。

それから2年の月日が過ぎ、わたしが大学4年生になる年に脇坂選手はクラスメイトの言葉通り川崎フロンターレの選手になった。そして、今年2022年シーズンから、今度は待ち望んだ水色のユニフォームで「14」をつける。

2015年からフロンターレを見ているわたしは、
改修前の等々力陸上競技場を知らない。

「川崎の太陽」と崇められたジュニーニョ選手も、「(川崎の)人間ブルドーザー」と恐れられた鄭大世選手も見たことがないし、

「川崎山脈」として活躍していた伊藤宏樹選手はすでに「ヒロキー」と呼ばれコスプレをして広報部で働いていた。

そして、14番をつける中村憲剛選手はプロ生活12年のキャリアを歩んでいて、

「川崎のバンディエラ」

そう呼ばれていた。

それでもフロンターレのファンとして、等々力陸上競技場に通いはじめたわたしは、新しい「14番」の歴史の始まりには、こうして立ち会うことができる。これから先、脇坂選手はどんな選手になって、どんな14番の軌跡を歩んでいくのだろう。

ようやくスタジアムの最寄駅の武蔵小杉駅に到着する。10分後に到着するというバスの案内を横目に、タクシー乗り場に向かう。

「フロンターレの・・・等々力陸上競技場までお願いします」

時刻は19:00。思っていたよりも少しだけ早くスタジアムに到着できそうだ。

今年も私たちの、選手たちの、シーズンが始まる。

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