日本から、大阪市がなくなる日。それを阻止できた最後の日。住民投票に揺れる大阪市で私が見たもの

 2020年11月1日は、大阪市にとっては運命の日であった。「大阪市廃止・特別区設置住民投票」が行われた日であったためである。通称「大阪都構想」とも呼ばれたこの住民投票では、大阪市を廃止し、東京のような「特別区」を設置することが問われた。周知の通り、結果は「否決」であった。5年前にもほとんど同じ住民投票が行われたものの、その際も「否決」されたため、これで2回連続失敗ということである。大阪市民は、鉄の意思を以て「大阪市」の存続を選択したとも言えそうだ。

「大阪都構想」は、創業者の橋下徹氏、大阪府知事の吉村洋文氏、大阪市長の松井一郎氏が率いる「大阪維新の会」「日本維新の会」の「一丁目一番地」の政策であった。大阪維新の会は、10年ほど前からの徹底した行政改革、手厚い子育て支援、街の美化などの政策によって、圧倒的な支持を集めているとのことだ。証拠に、大阪市会・大阪府議会では与党第一党の座を獲得しており、吉村氏・松井氏共に高い支持率を誇る。それにも拘らず、維新の会の看板政策たる「大阪都構想」は、僅差とは言え2度も否決されたのだ。本記事は、「大阪都構想」否決の裏で、賛成派・反対派の市民や団体がどのように動いたのか、大阪市のようすはどのようなものであったか、現地からのレポートである。なお、私自身は「都構想」に反対の立場であったが、本記事の目的は維新の会のネガティブ・キャンペーンを行うことではないことは明記しておく。

10月30日(金) 投票日2日前

 2020年10月30日(金)に大阪入りした私は、まずは天王寺公園に向かった。なるほど、公園は非常に綺麗で、地元の高校生集団や親子連れなどが目立った。聞くところでは、この公園はかつては非常に汚れていて、近づきにくい雰囲気すらあったという。大阪維新の会が支持される理由が少し理解できた。

〈追記〉大阪市民の方から、維新政権が誕生する前から天王寺公園は美しかった、とのご指摘をいただきました。

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 いったんホテルにチェックインした後、大阪市南部の住吉区にある「住吉大社」で、吉村洋文氏本人が住民説明会を開くという情報をキャッチした私は、潜入することを決めた。コロナ禍にもかかわらず、会場の熱気は凄まじいもので、開始5分前に到着した際には席が全て埋まっており、立ち見を余儀なくされた。大阪市会議員や府議会議員の挨拶の後、参議院議員(大阪府選出)の東徹氏が登場し、「都構想」には菅義偉総理も太鼓判を押している、といった趣旨のスピーチを行った。その次はいよいよ吉村氏の出番であった。氏は新型コロナ対策で積極的に情報発信を行う姿が全国的に注目を浴び、まさに人気絶頂であった。一方、いわゆる「イソジン会見」などの失策も目立っていた。彼は、「二重行政」の弊害はどのようなものか、元大阪市長の平松氏がいかに「ひどかった」か、反対派の「デマ」がいかに「めちゃくちゃ」か、などの決まり文句を易しい口調で連発し、何度か笑いや拍手も起こった。質疑応答もそつなくこなし、説明会は拍手に包まれて終了した。

 終了後、参加者の妙齢の女性が「吉村さんはどんな質問にもしっかり答えて、ホンマに頼もしいねえ」と喋っていたのが印象的だった。

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10/31(土) 投票日前日

 10/31(土)は、いよいよ住民投票前日であった。市の中心部では、反対派の街宣車をあちらこちらで見かけた。

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 まず私は、大正区に向かった。ここは伝統的に公明党の支持が厚い地域だが、公明党は前回とは違って都構想に賛成したため、維新の会に批判的な公明党支持者が反発する事態となっていた。大正駅前では、維新の会の方が街宣を行っていた。一方で、レンタサイクルで実際に街を回ってみると、目立ったのは反対派のポスターであった。賛成のポスターも数枚見かけたものの、反対のポスターが明らかに多かった。支持層が分裂していた証左と言えるだろう。

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 その後、自民党の市議さんの事務所と連絡をとり、反対派のチラシをポスティングした。ポスティングは初めての経験であったが、なんとか1000枚弱配ることが出来た。あちこちの家のポストには、既に他の反対派グループのチラシや、維新の会のチラシも多数入っていた。市民の活動がいかに活発であったか分かる。賛成派・反対派の街宣車も何度も通り過ぎて行った。途中、路地でチラシを配っていると、おばあさんに声を掛けられた。この日のために、大阪生まれの友人のツイキャスを聞いて関西アクセントを練習していたが、ついに使う時が来たのだ(笑)。

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「なんのチラシ配ってるん?」「(チラシを見せながら)明日選挙があるんご存じです?」「あれ、そうなん?」「おばあちゃんな、明日選挙に行って反対に入れんと、大阪市無くなるんやで」「ええ、そうなん?そら、知らんかったわ。そら困るな、大阪市無くなったら。私、生まれた時から大阪市に住んでんねん。この辺は何でもあって便利よ」「明日の投票行ってもらえますか?」「行くわ。ありがとうね。重い荷物持ってご苦労様ね、頑張ってね」「反対でお願いしますね。ありがとうございます。」

 おばあさんとの会話はこんな感じであった。彼女の知らないところで、彼女の愛してやまない大阪市がなくなるところだったのである。私は仰天し、少し怒りを覚え、チラシ配りの活動に熱が入るとともに、投票当日もできる限りの反対運動をしようと決意した。(写真は自民党衆院議員の岡下昌平氏)

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11/1(日) 投票日当日

 11/1(日)、ついに、住民投票の日を迎えた。私は、朝から投票所の入口前で、反対のポスターを持って立っていた。私の他にも、反対派の団体の方が交代で投票所前に立った。

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 私は、投票される全ての方に対して目を合わせ、笑顔で「おはようございます!」「こんにちは!」「こんばんは!」と言い、投票所から出て来た方には「お疲れ様です!」と声を掛けた。相手が賛成の方であろうと反対の方であろうと、気持ちよく投票していただくことが大切だからだ。時折、「反対入れてきたで」「おつかれさん。私も反対や」「私もちょっとハテナなので...反対入れてきました」などの声をかけられ、大変勇気づけられた。「あいつらホンマにめちゃくちゃや」など、維新の会に対する批判も聞かれた。中には、アメちゃんをくれたおばちゃんもいた。(大阪のおばちゃんは本当にアメちゃんくれるんやな)と少し感動した。ただでさえ土地勘がないので、内心かなりビビっていたのである。一方で、維新の会のトレードマークである緑のパーカーを着た方に、「デマとばすなや」「邪魔すんな」などと絡まれてしまったので、思わず「お前らが余計なことするから休みの日にこんな真似しなきゃいかんのだよ!」と言い返してしまうこともあった。賛成派の市民の方に卵を投げつけられるくらいの覚悟は当然出来ていたが、まさか維新の会の方に絡まれるとは思っていなかったので、衝撃であった。中立の立場から見ても、政党の看板を背負っておきながら、一市民に対して暴言を吐く姿勢は反感を買っても仕方がないと言えるだろう。


 昼の12時から、吉村氏と松井氏がなんば高島屋前で街宣を行うとのことだったので、一旦投票所前を抜け、なんばに向かった。高島屋前はものすごい人だかりと熱気で、維新の会の人気を象徴するかのようだった。「Yes! 都構想」と書かれた特大の幟を持つ人もいた。

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 なんばの次は、天王寺で松井氏が街宣を行っていた。こちらは、なんば高島屋前ほど盛り上がっていなかったが、松井氏が醸し出す独特のゆったりしながらもピリッとした空気が場を支配していた。


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 私が市内を歩き回っていると、本当にいろいろな方法で反対運動をする人にすれ違った。カバンに「大阪市廃止に反対」と書いた紙を貼りつけている人、山本太郎の「あかん!都構想」と書いたポスターを自転車のカゴにくくりつけて疾走する人、たった一人で拡声器を使って商店街を練り歩く人、様々である。彼ら彼女らに手を振ると、決まって「ありがとー!」と返ってくるのだ。

 その後、投票所前に戻り、投票箱が閉まる20時まで、有権者の方へのあいさつを続けた。19:40くらいだっただろうか、松井一郎氏を乗せた街宣車が反対のポスターを持った私の後ろを通り、「デマに注意してくださいね。賛成、賛成でお願いします」と言う場面もあった。足が棒になりそうだったが、なんとかやりきることが出来た。激励の言葉を掛けられることもあり、改めて大阪の方々の温かさを感じた。結果は、無事否決であり、大阪市の存続が決まった。

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都構想否決の決め手

 今回の結果について、様々な分析がなされているが、結局のところ、反対派の勝因は「草の根運動の成果」だと言える。都構想推進派は、資金潤沢な維新の会はもちろん、大阪市役所、毎日新聞を除くほぼ全ての大手メディア、それに公明党と、豪華オールスターズである。しかしながら、賛成派のキャンペーンは、ほとんどが「メイドイン・維新」で、ワンパターンの紋切り型であったことは指摘できる。ボランティア・スタッフ全員が蛍光緑のパーカーを着ていた上、ほぼ全ての街宣車が「Yes! Yes! Yes! 都構想!」と耳に残るBGMを大音量で流していたのである。自らが育った大阪市をすすんで廃止しようと強く希望する人はあまりいないと思われるだろうから、自発的な草の根の運動が起こらないのは、ある意味当然ではないだろうか。

 一方、「大阪市なくしたらアカン!」と強く思う人は、イデオロギーに関係なく、少なくないだろう。生まれ育った自治体に愛着がある人は多いからだ。大阪市が無くなることに危機感を抱いた普通のおっちゃん・おばちゃんが、それぞれの思い思いの方法で反対運動を行ったのである。党や市民団体の事務所に連絡してビラ配りを手伝う人、れいわ新選組のポスターを自転車にくくりつけて街を疾走する人(笑)、手作りのプラカードを持って街に立つ人、独自のネットワークを駆使して反対を呼びかける人、本当に多種多様だ。党派性がない、あるいは党派性を隠した人々が、どこからともなく現れ、自分の方法で反対運動をする。「同志」を見つけたら、お互いに励ましあう。こうした草の根運動は、「維新政権は支持するけど、大阪市なくすのはちょっと....」と考える人を増やしたのだろう。確かに、自民党や立憲民主党の街宣車を見かけることもあったが、反対派の宣伝の多くは手作り感あふれるもので、少し温かみを感じた。このような「大阪レジスタンス」とも呼べる運動が、大阪市を守ったと言える。大阪市を愛する人々の熱意には、どれだけ金を注ぎ込もうと勝てないということだと私は理解した。「大阪レジスタンス」の方々に心から敬意を表する次第である。


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