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不安への処方箋、克服の仕方
私は子供の頃からずっと何かに怯えながら生きてきました。
そして恐怖の対象が見つかるたびに、克服しようと努力もしてきました。
しかし、何回も何回も恐怖に敗北した結果いじめや高校中退、ひきこもり、長年のフリーター生活、こども部屋おじさん、など世間的に挫折と言われるような状態に陥りました。
それでも今は「幸せ」だと言えます。言えるようになりました。
この記事では不安や恐怖に対する、私の敗北の歴史と妥協や克服や自己変革などのもがきの日々を「不安への処方箋」と題して5つご紹介します。
何か不安や恐怖を持って生きておられる方の助けになればと思います。
まず1つ目の不安から。
私が幼稚園くらいの年の頃母親が出かける度に「おかーさん死なないで。」と泣きながら言っていたそうです。
自分でも何となくは覚えていますが、今思えば物心ついてから、それが最初の恐怖でした。
とにかく大好きな母親がこの世からいなくなるかもしれないと不安だった…
その「死」への恐怖はやがて自分に向き、小学校低学年中はずっと「死んだらどうしよう」そういう不安ばっかりでした。
もちろん子供らしく、友達の家で遊んだり、兄弟とケンカしたりもしていました。
それでもどこかで「結局みんな死ぬし、死んだら終わり。」そう思っていました。
我ながら捻くれた子供だったと思います。
この「死」に対する恐怖ですが、いつの間にか薄くなっていました。
当然今でも死ぬのは怖いですが、恐怖に支配されるという感じではなくなりました。
おそらく、成長するにつれて色々な楽しいことや辛いことを知っていき、死ぬことに囚われている余裕がなくなったのでしょう。
…生きているうちに自然に克服する。今後の人生含めてこの時が一番楽な不安でした。
1つ目の処方箋「不安を上回る色々な体験をして、相対的に不安を薄める」
2つ目は小学校高学年になるとでて来た不安。「授業中に手を挙げることへの不安」です。
正確に言うと、授業中に手を挙げて当てられて発表する。ということが怖かったのです。
別に問題が理解できなかったわけでなく、吃音や滑舌が悪いということもなかったのですが、大勢の前での発表がどうしてもできませんでした。家や、友だち数人の前では話せたのですが…
調べてみると「場面緘黙症」というみたいですね。これは「話す能力はあるが、特定の場面では発言などができなくなること」だそうです。
発表したいという気持ちと、手を挙げるのが怖いという気持ちがせめぎ合って、当時は本当に苦しかったです。
学校での話さない時間が増えていき、次第に話さないのが普通になっていきます。
抜け出すきっかけはある実験でした。
「一日中黙っていたら、誰かに話しかけられるのか?」という疑問がふと浮かび試してみたのです。
結果は…誰からも話しかけられませんでした。
今思えば自分のこととはいえ、可哀想ですが、当時は悲しいとか寂しいとかはなく、「自分から話さなければ居ないのと一緒だ。」「きっと一生このままだ。」そう思いました。
どちらかと言えば悔しかったです。
そこから徐々に学校でも話すようになり、三十代のおっさんとなった今では人前での発表や会議の司会もできるようになりました。
小学校の方は、話すようになってクラスメイトと関わりができ、ケンカをきっかけにイジメられるという暗黒時代に突入してしまいますが…
それでもあの時の実験のお陰で今の自分がいます。誰かが話しかけてくれたら今でも人前で話せないままだったかもしれません。
話しかけられなくて逆に良かったのかもとさえ思います。
2つ目の処方箋「不安で出来ないことがある場合は、一生出来なければどうなるか真剣に考えてみる。」
3つ目は中学3年の頃から始まり、人生で一番長く続いた不安「イジメられたらどうしよう」という不安です。
中学3年生まではそれなりに楽しい学校生活を送っていたのですが、部活も引退し、丁度思春期に入った「暇で自意識過剰になっていた頃」にイジメられるかも?と思った時から長い不安の日々が始まりました。
何をする前にも「これをしたらイジメられるかも。」と思ってしまう。あの頃はそういう被害妄想ばかりでした。
そんな調子だったので、中学校こそ何とか卒業したものの、高校は一年生で中退してしまいました。
イジメられることへの不安が強くなり過ぎて、学校に行くことが酷く辛くなり、通学が難しくなったからです。
中退後は半年くらいひきこもりました。
そして一念発起してバイトを始めます。今思えば、若さ故に一度挫折しても無理矢理立ち上がれたのでしょう。
その後も数年間は、同僚が内緒話をしていたら「自分の悪口を言っているんじゃないか?」と思ったり、イジメられることへの恐怖が拭えなかったりしましたが、徐々に無くなっていきました。
一時期は不安に負けて、高校を中退しひきこもりになりましたが、そのお陰で恐怖が薄まり、視野が広がったと思っています。
そして学校とは全く違う、バイトという新しい環境に身を置いたことて、少しずつ気持ちを切り替えることができました。
実に5年以上続いた不安でしたが、何とか克服できたのです。
3つ目の処方箋「不安が強過ぎれば、一度その場所から全力で逃げる。そして新しい環境で生きてみる。」
4つ目はフリーター時代の途中から抱いた不安。「就職に対する不安」でした。
中卒で資格もない、他の人が普通にできることもできない自分が本当に就職できるのか?
もしブラック企業に就職してしまったら、一生不幸な人生を歩むことになるのではないか?
当時の私はそういう不安でいっぱいでした。不安過ぎて就職=地獄だと思い込んでいました。
今思えば自己肯定感というやつが、極端に低くなっていたのでしょう。
自分は何もできないダメ人間だ。
そういう意識が全てのチャレンジから目を背け、結果何もしないダメ人間へとなっていく。そんな負のスパイラルに陥っていました。
そうやって必死にぬるま湯に留まった結果、フリーター歴は7年を越えていました。
「このままだと、俺はずっと何もしないままだ。」そう思った私は
現状を変えるために思い切ってバイトを辞めます。
先のことは何も決まっていませんでした。
そこから就職を決意するまでに実に一年以上ひきこもりました。
なぜ就職を決意したのか?
この感覚はひきこもり経験者にしか分からないかもしれませんが、「生きたい」と切実に思ったからです。
私にとっては「働きたいのに働けない働かない現状」は死んでいないけど生きてもいない状態でした。
ひきこもっている間中ずっと、就職に対する怯えと生きたいという気持ちとが戦っていました。
怯えとか不安とかは飽きる瞬間が来ます。というか怯え疲れて、考えるのを止める瞬間が来ます。
そうして少し冷静になった頃に「現状の方が辛いのでは?」という気持ちになり、ハローワークへ通うことになりました。
そこから幸運も重なり、介護士として働けるようになりました。
就職できたからこそ言えるのかもしれませんが、本当に「ひきもっていた時の方が辛かった」です。
4つ目の処方箋「飽きるで不安になったら良い。」
5つ目の不安を説明するために、ここで大きく遡った話をしますが、私は子供の頃から外に出るのが苦手でした。買い物や病院に行くのも億劫な人間です。
そこにイジメや高校中退、ひきこもりなども重なり、「自分は一人で(独立して)は生きていけない人間なんだ。」長年そう思い込んできました。
世の中には「こども部屋おじさん」という言葉もあるように、一人暮らしをしてこそ一人前という風潮があります。私もこども部屋おじさんの一人であり、いつか実家を出たいと思っていました。
ここで、誤解がないように言っておきますが、親の介護や自分の状態、金銭面、信条、その他様々な理由から「一人暮らしをしない」または「一人暮らしできない」
そういう人がいることも事実ですし、それ自体は何も批判されるべきことだとは思いません。かっこ悪い、体裁が悪いとも思いません。
私が一人暮らしをしたいと思った理由は自分に自信をつけるためと、経験を積むためです。
しかし、先程言った一人では生きていけないという思い、謂わば「一人暮らしへの不安」から中々抜け出せません。
断続的に一人暮らしを決意しては挫折する。そんな年月を過ごしているうちに気づけば三十歳を越えていました。
そして、ある日いきなり思い立ちます。「タイミングが来たな。」
そう思ったら後はあっという間に準備をして、一人暮らし生活をスタートしてしまいました。
当初は自分でも決意した理由が分からず戸惑いましたが、よくよく考えてみると…職場で認められてきた時期とタイミングが重なっていたのです。
所謂自己肯定感が高まってきたタイミングだったのでしょう。自分の能力を少しずつ信じていけました。
5つ目の処方箋「大体の人ができることは自分もできると信じてみる。」
人生三十数年しか生きてきていませんが、数多くの不安を抱いて生きてきました。
それは他の人から見たら、ちっぽけでしょうもない事かもしれません。
それでも当人にとっては自分の存在が揺るがされるような大事なのです。
これまでの不安を思い返せば、「環境が変わる」ことを怖がっている。
そういう場面が多かったような気がします。
「挑戦することを怖れた」というよりも「失敗することを怖れた」というニュアンスの方がしっくりきます。
世の中には「一度きりの人生挑戦してナンボ失敗して経験積んでより大きな人間になる」みたいにポジティブで強い人もいるでしょう。
しかし私はそんなに強く生きられません。
それでも、失敗が無駄にならないことや、大概の問題は時間と労力をかければ解決可能なことを知りました。
今後も、他人から見たら小さな不安に怯えながら、少しずつ克服していこうと思います。
この記事が、誰かの不安解消のための一助となれば幸いです。
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