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枕詞〜二神とあしひき〜

今回は、ホツマツタエにおける枕詞について書きたいと思います。


枕詞(まくらことば)。
ご存じ歌に用いられる言葉ですね。
学校で習った遠い記憶を探りますと・・・「歌の意味に影響する訳じゃないから、訳す必要はないよ」と先生に言われた覚えがあります。
「そういうもんなんだな〜」くらいで、枕詞に対して今まで特別何かを考えたり思ったりしたことはありませんでした。

現在、枕詞は特定の言葉と結びついた修飾語の様なものとされており、調べを整えたり、ある種の情緒を添えるための歌の技法として用いられています。


例を挙げると、百人一首からこちらの歌。

あしひきの やまどりのをの しだりをの 
ながながしよを ひとりかもねん

柿本人麻呂

「あしひきの」が枕詞で、「やま」にかかっています。


この枕詞、実はホツマツタエに書かれています。

こちらの「あしひきの」と言う枕詞は、イサナギ様とイサナミ様のお話から来るものです。


イサナミ様がお亡くなりになった時、イサナギ様はその悲しみゆえ、シラヤマヒメ様がお止めになるのも聞かず、その亡骸を見に行かれます。
イサナミ様の変わり果てたお姿に、イサナギ様はショックで足を退いて帰られます。
しかし諦めきれないイサナギ様は、愛する妻にもう一度会うために黄泉の国へ行かれます。
現実を受け入れず黄泉の国まで来てしまった夫。
イサナミ様は八人の醜女(黄泉の神霊)を放ち、イサナギ様を現世へと追い返します。

そして二神はヨモツヒラサカ(あの世とこの世の間)で誓い合います。

この後イサナギ様は禊をして、政に戻られたのでした。
民の暮らしぶりも落ち着き、初代クニトコタチ様からの「トの教え(調和と秩序)」が一層広まることとなりました。
葦を引いて(抜いて)拓いた千五百もの田には瑞穂が実り、人々は真のトの教え(マト)に感謝して、アワ州は「ヤマト」と讃えられました。


ホツマツタエでは、

まくらことはは うたのたね

ホツマツタエ 五アヤ

と書かれています。
歌の種(胤)。
これは、歌を詠む際の起点となるような、そこから思いが編まれていくような予感がありますね。

亡くなったイサナミ様の変わり果てたお姿に驚愕した「足退き」。
葦を引いて田を拓き国を整えた「葦引き」。
二神の思いや情景を歌の種として、後世にも繋いでいってほしいという枕詞なのかもしれません。
『あしひき』は『やま』にかかる言葉となっていますから、「葦引きのヤマト(国)」の、国を拓いた明るいイメージの方を強く引き継いでいると思います。



さて、冒頭の歌を今一度見てみましょう!

あしひきの やまどりのをの しだりをの 
ながながしよを ひとりかもねん

柿本人麻呂

最初に読んだ時とはまた違う趣が感じられるのではないでしょうか。

たった五音。
この深みにただただ、言霊の凄みを感じます。



ちなみに、先日ちらっと書いた方々も枕詞に関係しています!

造船の一族、シマツヒコ様とオキツヒコ様です。

シマツヒコ様・・・鵜を見て筏と竿を造り、舟の始まりとされる
オキツヒコ様・・・鴨を見て櫂を作り『カモ船』を造る

枕詞「しまつとり」は「」。
おきつとり」は「」「」にかかります。

いや〜〜〜面白いですよねえ。
知れば知るほど楽しくなる。


こころおあかす うたのみち
みそきのみちは みおあかす
やまとのみちの おおいなるかな

ホツマツタエ 五アヤ

心を清めるのは、歌の道。
身を清めるのは、禊の道。
ヤマトの国の教えは、なんと素晴らしいものでありましょうか。

ヤマトに「大和」の字をあてた方に心からの敬意を。



今日もおやっとさあです。
また次回。


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