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映画 「ミルコのひかり」(2007年公開)

個人的所感によるあらすじ

映画を愛してやまない少年ミルコは1971年、不運にも事故で両目の視力を失い全寮制の盲学校に通うことになる。自分の身体に起こった変化を受け入れられないミルコ。希望の光を失いかけたある日、一台のテープレコーダーと出会い、“音”が作り出すイメージの世界を知る。

規律でしばろうとする学校で異端視されながらも、やがてミルコは音による物語の創作を思いつき、管理人の娘フランチェスカやクラスメートたちと共”音による物語”を作ろうとするのだが・・・。

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ちょっとネタバレな感想

私はカンペキに視覚型の人間である。音楽や音は必需品ではあるが、あくまで映像の脇役、というのが私にとっての「音」の存在だ。
しかし、この映画を観て、逆の価値観もあるのだと今更ながら思い至った。

目を閉じて聞けば(映画館で「聞く」もないものだが)、目の裏にはっきり浮かぶ映像。
塔にとらわれた姫君、竜の吠声、カモメの羽ばたき、ヒマワリ畑のミツバチの羽音。

ミルコが紡ぐ音は、完全に映像を再現して”見せて”くれる。

以前「パヒューム」という”香りを映像化した”作品があったが、これは”音を映像化した”作品と言い切ってしまっていいと思う。

現在イタリア映画界の第一線で活躍する音響編集者(サウンド・デザイナー)となったミルコ・メンカッチ。6時間という長時間に恐れをなして未だに観ていないが、あの名作『輝ける青春』の音響デザイナーの少年時代を描いた実話であるこの作品は、なんとイタリア全土から盲人の素人の子供を実際に集めて撮影したそうである。

しかし演技の素人とはとても思えない、少年達の生き生きとした表情。どこかメルヘンティックな作品をただのおとぎ話だけにしないだけの事実の重みを伝えてくれる。

盲人は法律で一般の学校に通うこともできず、未来の可能性も閉ざされていた時代。その中で、結果的には法律を変えるきっかけになった、ミルコの個性と才能には素直に拍手を送りたくなる。


映画ではぼかされているが、現実にはもっと悲惨だったと言われる盲人学校。今では過去のものかもしれないが、紛れもなく「現実」であり、ミルコも彼らの友人達も、実在の人物であり、それの体現者達なのである。

友情、初恋、言葉にすると陳腐だけれど、そんなつつましい喜びも確かに存在したのだと思うと、うっかりうれし涙を流してしまいそうになるのだ。

大人になって才能を開花したミルコのそばには、未だにフランチェスカが寄り添っている。観終わった後にそんな夢を見てしまうのは、あまりに理想的に過ぎるだろうか。

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