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映画 「親切なクムジャさん」(2005年公開)

個人的所感によるあらすじ

天使のような美貌と残忍な手口で世間を騒然とさせた幼児誘拐事件の犯人クムジャは、服役中、誰に対しても優しい微笑を絶やさなかったことから「親切なクムジャさん」と呼ばれていた。13年間の服役を終えて出所した彼女は、無実の罪の自分を陥れた男に復讐するために動き出す。引き離された娘と再会を果たし、ついに男をも罠にはめ手中に収めたクムジャだったが・・・。

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ちょっとネタバレな感想

とにかくクムジャさんが美しい。彼女の美しさ、刑務所内での清純な微笑みとうらはらな行動力・・・罪を犯し居場所を失い、自分という存在意義があやふやになった受刑者達には、手をさしのべてくれる彼女がまるで天使か神に見えたのも無理はない。

それが彼女にとって復讐のためのコマでしかないことはわかっていても、彼女たちは(一部彼も)クムジャさんに進んで服従することで生きる意義を取り戻す。人とはこうやって思考を停止していくのかと思うと、簡単すぎてちょっと驚く。

まさに宗教。そして彼女はその教祖。
ひたすら美しく、ひたすら怖く、そして救いの存在。

そのクムジャさんにしたって、たぶん救われたい、その一心で復讐に全力を注ぐ。娘を取り戻したいという思いは本物だろうが、自分が今更娘と一緒に暮らせはしないということもたぶん気がついている。本当の意味では取り戻せはしないことも。
結局、彼女にできることは自分を陥れた男に復讐するだけ、それ以外、自分は何も持っていないことを彼女自身がよく知っている。復讐によってさらに自分が救われない存在に落ちていくだろうことも。

だから、本当に淡々と復讐を進めていくのだ。恐ろしいくらいに冷静に。まるで台本をそのまま演じていくように。
教祖と信奉者、どちらもどんどん考えることを放棄していく。物語はコメディのごとく進んでいくのに、これをホラーといわずしてなんというのだろう。

そして、ある事実に気づいて一転、それはまた簡単に狂気になる。
思考を止めた集団の狂気ほど恐ろしいものはない。

ネタバレになってしまうが、子供を殺された親全員で復讐を実行するという展開にははっきり言って目をむいた。
確かに子供を誘拐され殺された人間達にとって、そんな機会を提示されたらその誘惑には勝てないに違いない。けれど、実行したことによって彼らは新たな十字架を背負ってしまったことに、ゆっくり気がついていくのだろう。怒りの対象と同じ位置に自分を貶めてしまったら、そこからはい上がることはもうできないのだから。

復讐とは、贖罪とは。
優しさとは、そして狂気とは。

ツッコミポイントも多々あるが、笑いという演出でデコレーションされているだけに、救いがないという意味でも色々考えさせられる。

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