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映画「私の愛、私のそばに」(2011年公開)

個人的所感によるあらすじ

原因も有効な治療法も見つかっていない難病・筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患うジョンウ。唯一の肉親である母親が亡くなった日、ジョンウは幼なじみの葬祭ディレクターのジスと再会し、恋に落ちる。一年後、結婚式を挙げた二人の新居は病院。ジョンウはスプーンを握ることも精一杯だが、いつもそばで見守ってくれるジスのお陰で、誰よりも闘病意志は強い。しかし、ジョンウの状態は悪化の一途を辿り、日々、変貌していく自分の身体を受け入れ難く、ジスの優しさにさえ冷たくしてしまう。そして絶対避けたかった言語障害が始まり・・・

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ちょっとネタバレな感想

愛する人や家族が重病に侵されたとき、治療法だけでなく、すべての手を尽くして未来の希望が望めなくなったとき。
どこまでそばにいるべきなのかはとても難しい問題だ。

葬儀社の同僚にヒロイン、ジスが言われる台詞がある。

「それは愛じゃない。お前の自己満足だ。」

韓国では究極の夫婦愛の物語として大ヒットを記録したらしいが、考え方の違いなのか、私もこの台詞と同じことを感じた。

不治の病気に冒されていることを承知で、そばにいて欲しいといえる感覚は
直るという強い意思があったとしても、相手の人生を深く侵しはしないだろうか。
経済的にも、精神的にも。
相手の幸せを本当に考えたら口に出せない愛情もあるのではないだろうか。

故人を清めるという、韓国版”おくりびと”を生業とするジスは、自分が汚れているという思い込みとコンプレックスのさいなまれている。
その思いを「世界一綺麗な手」と救ってくれたジョンウをささえたいと思う気持ちはとてもよくわかる。
しかし、自分の救いのためだとしたら、結果的にその行為が自分のためだとしたら(実際にそんな台詞もいくつか出てくる)、それはやはり愛情よりも執着でしかないのではないだろうか。

とはいえ、そういう情というか思いやり、広い意味の愛情は確かに存在するのだろう。
誰かがいてくることで強く生きていけるということも、確かにある。これが究極の夫婦愛かどうかはわからないし、いろいろな考え方はあるとは思うが、深い人間愛の物語のひとつの形と思えば、また違う考えもあるのかもしれない。

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