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映画 「J・エドガー」(2012年公開)

個人的所感によるあらすじ

弱冠29歳で捜査局長官となったフーバーは、組織内を改革し、連邦捜査局を米国内における最高の諜報機関へと成長させる。やがて、フーバーは自らの権力と組織の諜報能力を利用し大統領や政治家らを裏から操るようになる。

ちょっとネタバレな感想

アメリカンペーパーバックやテレビ番組で育った世代ににとって、フーパー長官というのは、現実はどうあれアイコンでもありヒーローだ。
それなのにスクリーンの中の恐ろしいほどのコンプレックスの固まりで、平均以下の自分を持てあますコミュニケーション能力不足なマザコン男でしかない。
その個人の狂信がアメリカの巨大な組織を作り上げていって”しまう”、その怖さはもしかしたらホラーと言ってしまってもよいのではないかとも、正直思ったりする。

本当に、エドガーの「正義」は、「100%正義」だったのか?

どこの世界に自分の生活を盗聴されたり記録されたりしたい人間がいるだろうか。人間というものは、最低の尊厳は絶対的に保障されるべきものだと思うが、それをまったく無視した人物がJ・エドガーことフーパー長官であり、母親もクライドもミス・ギャンティもそれをとめるどころかむしろ幇助してしまっている。
確かにいきなり家を爆破される状況は好ましいとは言わないけれど、それを防ぐために「人を管理する」ことは、正しいことはやはり思えない。

そしてその「人を管理する」ために作られた組織がFBIなら、どれだけ高尚な目標とその恩恵にあずかる後世があったとしても、ゆがんだ意識が作り上げたゆがんだものに見えてしまうのだ。

こういう背景で作られたというのが真実なら、むしろFBIこそ恐ろしいテロ的組織じゃないのか?!

私はけしてエドガーが、芯からの悪人とは思わない。
むしろ悲しく、強く、信念の人であると思う。
しかし、人は簡単に狂気に自分の冷静さを明け渡す。
彼のように、そして、彼を愛した人々のように。

そして、男性同士、それも老人の域の愛情表現が、これだけエロチズムにあふれたものは見たことがない。

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