映画 「ウェイバック - 脱出6500km -」(2012年公開)
個人的所感によるあらすじ
第二次世界大戦真っ只中の1940年、ポーランド人兵士のヤヌシュ・ヴィスチェックは無実にかかわらずスターリン批判とスパイ活動の 容疑で逮捕され、ソ連・シベリアにある矯正労働収容所へ連行される。収容所は夏には厳しい暑 さ、冬には身を切るような寒さが襲うという過酷な環境で、さらに食事も到底人が食べるような代物ではないという有様。
しかし地図も確かな情報もないものの、ヤヌシュは拷問を受け彼が不利になる証言をした妻を罪悪感から救うため、自由を求 めて脱出することを決意する。猛吹雪の夜、事情も背景もバラバラなメンバー7人は収容所を脱出。
しかしそこからの行程は過酷を極め・・・・。
ちょっとネタバレな感想
政治犯の嫌疑を受け、シベリア・グラグ流刑地に送られたポーランド軍士官、ヤヌス。
過酷な労働と人を人とも思わない扱い、そして極寒の自然の中で、彼はひそかに仲間を集め激しいブリザードの夜に脱走する。山のサバイバルに長けたヤヌスのおかげで無事に逃げおおせた一行は、乏しい食糧と厳しい自然の中ひたすら国境へ向かう。
そこからの行程がまた過酷だ。
ナショナル・ジェオグラフィック協賛という、雄大で過酷な自然の景色。
深く暗いシベリアの森と目を開けていられないほどのブリザード、山の上から見下ろすバイカル湖の大きさ。見渡す限り黄土の広がるタクラマカン砂漠、むき出しの岩肌が人間を拒むかのようなヒマラヤの山稜、インドの緑豊かな段々畑。
そんな中で、最初はお互いがお互いを探り合い、挙句の果てには「共食い」などと口に出していた男たちが、だんだんと笑いあうようになり乏しい水を分けあい、生き残る仲間として進んでいく姿はどこか童話的で感動的だ。
そんな彼らをさらに変えるイレーナという一人の少女。
一見可憐だがたぶん生き残るために何でもしてきただろうしたたかさを垣間見せつつも、少女らしい無邪気さでスミスをはじめ彼らを人間として蘇生する。彼女がグループに紛れ込んだ翌日、異性の目を意識して、湖で手作りの石鹸を使っていそいそと髭をそり体を清め、身づくろいする男たちのなんと愛おしいことか。
彼女が足手まといになることもわかっていても見捨てられない、そしてその小さな存在によって人間らしい心を取り戻していく男たち。
極悪犯罪者バルカでさえ、その心の変化には逆らえない。どんな極限状態であっても、自分よりも弱い者を見れば自然と守る心が芽生えるのが本能であり、それが人間の姿だと改めて語っているようだ。
昔なにかで読んだことがあるのだが、ぎゅう詰めのラッシュ等では自分のパーソナルスペースにまで他人が入り込むため、同じ人であるという認識を薄くしないと精神が持たないのだそうだ。
いわゆる物体として相手を認識することで、心の平安を保つ。
人をまるで虫ケラのように扱う収容所の生活は、まさにそれではないか。
簡単に暴力を働き、嘘をつき、搾取できるのは、たぶん相手を同じ人間と思っていないからだ。
そんなことを感じていたら自分が生き残れないと誰もが知っているから。
けれども、協力してブリザードをやり過ごし、食料を分け合い、名前を呼び合い、相手を同じ人間として尊敬しあえば、どうしたってそんなことはできなくなる。
相手が小さな少女であればなおさらだ。
彼らは過酷な旅の中で、そんな心の再生の道も確かに辿っていて、それが余計にどこかやさしいほっとするような感動をも呼び起こしたのかもしれない。
ヤヌスはどんなことがあっても、妻の待つ家に帰らなければならなかった。
妻の証言によって政治犯としてシベリアに送られた彼は、恐らく拷問されて自分を裏切っただろう妻のために、大丈夫だと、お前は許されていると言うためだけに6500kmの道のりを歩き貫く。
自分を裏切った妻の自責の念を救いたいと思う彼の信念の強さ。ラストシーンはもしかしたら幻想だったのかもしれないけれど、それでもその愛の深さと相手を思う強さには素直に憧れる。
過酷な脱出劇でありながら、この作品がどこか童話的な空気に満ちているのは、二つの大きな愛の物語だからなのかもしれない。
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