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映画「イン・ハー・シューズ」(2005年公開)

個人的所感によるあらすじ

ゴージャスなルックスだけど、オトコにだらしなくて手癖も悪く、無職、無資格、無収入の妹マギー。成功した弁護士で堅物、自分の容姿に自信がなくて奥手の姉ローズ。うまくいっていない義理の母親に家を追い出されたマギーを仕方なく自宅に居候させたローズだったが、当のマギーは、勝手にクローゼットを漁ってローズの靴を履いたりと勝手し放題。挙げ句、やっとできたローズの恋人とベッドインした所を目撃され、家を追い出されてしまう。行き場を失ったマギーは、亡くなったと聞かされていた祖母エマを尋ねてフロリダへ向かう。孫娘の突然の訪問に喜ぶもつかの間、マギーの奔放さに辟易したエマは、彼女を老人たちの施設で働かせることに。
一方、ローズも職場に愛想を尽かして長期休暇を取り、犬の散歩業を始めたりと自分の気持ちを模索し始める。

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ちょっとネタバレな感想

マギーほどのセックスアピールや美貌、ローズほどの成功した仕事まではいかなくても、女性ならまずどちらかには感情移入してしまうのではないだろうか。それくらい彼女たちは世の女性の大多数を具現化したステレオタイプである。

どちらもコンプレックスの固まりで愛情に飢えきっていて、誰かに認めて欲しくて、自分の唯一自信があるモノにひたすらしがみついて・・・かなり極端ではあるけど、多かれ少なかれこういう部分は誰しも持っているはずだ。だから二人が新しい自分を模索してそれぞれ成長していく姿には素直に共感できる。

子供の頃に不幸な事故で母親を亡くし、父親の誤解と継母の冷たい仕打ちでお互いの存在だけが心の(潜在的に)支え。それは確かに絆は強くなるだろう。だから彼女たちは自分たちを『親友』だと言えてしまう。
しかし依存しあうゆがんだ愛情は、まずよい結果を生まない。これもまた誰もが知っていることだ。

マギーに対しての保護者的な思い、つまり義務感が自分自身の支えだったローズ。ローズに頼りきり、そのくせ屈折しつつ周囲をマウントするしかできない甘ったれマギー。どちらも中身は子供のまま体や頭脳だけが大人なのだ。だから見ていて、やたらちぐはぐに見えてしまう。

私を見て!愛して!
だって私の方が努力してるもの!!

他人の評価や価値観を物差しして生きている限り、苦しみは終わらない。
依存しあう二人がバラバラになり、それぞれ自分の価値観を持って初めて本当の「イン・ハー・シューズ」の世界が、彼女たちの人生がはじまるのだろう。

タイトルのin one's shoesとは、その人の気持ちになる、という意味だ。
”in her shoes”- 彼女の気持ちになること。感じること。

人の気持ちを汲み取るには、自分を知らなければお話にならない。それがお互いできるようになって、初めて彼女たちは自分にあった靴を、そして関係を見つけることができるはずだ。やっと大人として、対等な存在として。



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