映画 「わたしの可愛い人 - シェリ」(2010年公開)
個人的所感によるあらすじ
1906年パリ、名うてのココット(高級娼婦)のレアは恋に落ちる危機を何度も切り抜け、今は事業にも成功し優雅な生活を送っていた。
一方、彼女の元同業の友人はある打算を秘めて、問題児の一人息子シェリをレアに託す。数週間で別れるつもりが6年も二人は共に暮らすが、年ごろになったシェリに結婚話が持ち上がり、レアは動揺するのだが・・・。
ちょっとネタバレな感想
年下の異性と対等に恋をする、というのは女性の永遠の夢なのかもしれない。古今東西その手の作品には枚挙にいとまがないし、男性の側から見ても、いわゆる年上の女性に手ほどきを受ける、ということに憧れるものもあるらしい。
そう考えるとふわりと甘いおとぎ話のようだが、実はそこまで甘くはない。
高級娼婦(ココット)として成功し、酸いも甘いもかみ分けたレア。そんな彼女でさえ、わがまま美少年シェリに振り回され、シェリの母親はまだ現役(?)のレアへどこか対抗心を持っているように見える。
嫌いなのに、仲間であり、頭ではわかっていてもそれに感情がついてこない。離れたいのに離れられない。
そんな微妙な人間関係を彩るテーマは「老い」だ。
「老い」は、簡単にいえば、人生のゴールに近づくにつれ”生物”としての価値が減っていく、という現象だと思う。
もちろん豊かな人生経験などでカバーできるものも多いだろうが、シンプルに”生物”と考えれば、それは価値の喪失への道筋でしかないことは誰もが知っている。だからこそ自信を失い、なにかをうそぶきあがきもがく。
老いることはけして悪いことではない。
そんな教科書的なものは誰もが知っている。
そのうえで、どこかでやはりあきらめと恐怖に襲われるのが人なのだ。
レアも、深い愛情を持っているにも関わらず、美貌の衰えの自覚や、25歳の年の差による恐怖、でもまだ自分に価値があると思う自負、それによって素直になれないプライドに苦しめられる。
それをおろかと言える人はいないだろう。
それなりの人生を生きてきた人なら、誰もが胸がちくりとするような、思い当たることを持っているはずだから。
彼女の深い愛情は、まだ受け取るしか知らない若い愛人(アマン)にはたぶん通じていなかったし、彼がそれを実感するのは、今度は彼が老いに恐怖を感じる頃になるだろう。
その繰り返しがたぶん、人の愚かさであり、若さのきらめきでもあり、そして人としてのせつなさでもあるのかもしれない。
それでも私たちは、いくつになっても”本当の自分”を評価されたいと、あきらめながらどこかで感じている。
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