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映画「ママの遺したラヴソング」(2007年公開

個人的所感によるあらすじ

フロリダで怠惰な生活を送るパーシーに、長年会っていなかった母の訃報が届く。ニューオーリンズの生家に帰ったパーシーを待っていたのは、見知らぬ二人の男。元文学部教授のボビー・ロングと彼を慕う作家志望の青年ローソン。古ぼけた一軒家で、嫌々ながらの同居生活が始まる。

新しい生活、文学との出会い、初恋、そして初めて聞く亡き母の横顔。ささくれだっていたパーシーの心は、いつか少しづつ癒されていく。

そしてある日、母が自分に宛てた一通の手紙を発見する・・・・。

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ちょっとネタバレな感想

ちぐはぐな三人の不思議な同居と、少しずつ寄り添っていく心と心。
生きることに挫折した人間の再生の物語として見れば、見応えのある映画。

彼らが果たして全て知っていたのか、街の人々の思わせぶりな態度はなぜだったのか、色々な部分が語られないままなので見終わった後にすっきりしないものは確かに残る。たぶん彼らの心の中のベーシックとして存在する”ママ”がくっきりした輪郭を持っていないことも、消化不良感に一役買っているのも否めないだろう。
生活感がない(どうやって生活費を稼いでいるのか?)ところにしても、ご都合主義という風に見えなくもない。
ボビーのセクハラすれすれの態度と言動は、はっきり言って見ているのも苦痛だし、以心伝心が基本の日本人文化では理解の範疇を越えているのではないだろうか。

それでも生きることに不器用な彼らがだんだんに寄り添い、穏やかな生活を紡いでいく姿は、見ているこちらも幸せな気分にさせてくれる。

一人ぼっちと思っていても、周りを見渡してみれば実はそうでないことは多い。
パーシーにしてもボビーにしても、自分を”孤独”にしていたのはその自分自身の頑なさなのだ。

不器用な少女パーシーを演じたスカーレット・ヨハンソンも好演しているが、なんといってもだらしない落伍者ボビーを演じたジョン・トラボルタの演技が素晴らしい。ぶよぶよの体にいつも酔っぱらっているような下品な言動の中に感じられる知性と優しさ、そしてずるさ。
なかなか贅沢な役者陣である。
それにしても、サタデーナイトフィーバーしていた若者がこんな渋いおやじになるなんて(笑)

「a Love Song for Bobby Long」 ・・・ボビーへのラヴソング。
原題で語られているように、ボビーという自堕落で魅力的なオトコの存在が、きっと全てを変えていったのだろう。きっと”ママ”にしてもそうだったに違いないし、だからこそ娘に遺した一番の贈り物だったにちがいない。

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