映画「東京タワー」(2005年公開)
個人的所感によるあらすじ
売れっ子CMプランナーの夫を持つ浅野詩史。自身が経営するセレクトショップを訪れた友人の息子である小島透と出会い、2人は恋に落ちる。一方、透の話を聞き年上の女性との恋愛に興味を持った友人の大原耕二は、アルバイト先で出会った人妻、川野喜美子と関係を持ち始める。当初は甘く順調かと思われた2つの恋愛は、少しずつ歯車が狂っていき...
ちょっとネタバレな感想
東京タワーと名がつく映画は、よ知られているものでは2つあるが、こちらはオカンの方ではなくて、歳の差恋愛の方である。こういう関係は、男女どちらの年齢が上だとしても、特に年上の方に自分を重ねながら、一度くらいは妄想したことがある人もいるのではないだろうか。
実際には生々しいはずの、そんな関係。
しかしスクリーンの上では、さらりとまるでおとぎ話のようだ。
作中に出てくる、2つの恋愛劇の中心人物である2人の女性が魅力的だ。静の代表である詩文さんは、年下の美少年を振り回そうが悩まそうが、それがかわいそうだと思っても、罪悪だとは思っていないように見える。自分が望むのだからそれは仕方ないことなのだ、と思っているような女性だ。そこがとてもいい。
財力と名声にあふれた夫と地位、お金、キャリア、全てを持っていても中身はどこか空虚。けれど彼女はその空間をあえて満たそうとはしていない。だからどれだけ身勝手でも潔くて美しいのだろう。
動の代表である喜美子さんも、悩んだりヒステリーを起こしたりと表現方法は激しくどこか危ないが、そんな自分を冷静にも観察し、自分が溺れきるその一歩手前で見事に全てを切り捨てることができる女性だ。どれだけ孤独にさいなまれても苦しんでも、一度切り捨てた想いを拾い上げるなんて考えもしない骨太さがいい。
あくまでこの物語の中では振り回されているのは未熟な美しい少年達であり、だからこそファンタジーとして成立する。成熟した女性は彼らを包み込み導きながら、主導権は渡さない。彼女たちは社会的ななにもかも、ひとかけらでさえ熱情と引き替えにしたりしない。
片目を閉じて恋に夢見ながら、密かに片目を開けて現実の足下を見ている。その上で欲しいものをただ欲しがっているだけなのだ。
ある程度人生を生きたら、リスクは欲しいとは思わない。誰も傷つけたくないし、でも全てをあきらめるには少しばかりまだ欲が勝ってしまう。そんな中で恋に落ちることは簡単だ。けれど何ものとも引き替えにしない、なにも失わないというのは夢物語でしかない。
彼女たちの身勝手さと軽やかさ。そんなものは実際に不可能だ。
だからこれはおとぎ話になる。
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