プロセスが見える
ちょっと前のことになるが、新橋に行ってきた。
目的は、豚丼を食べるため。食欲は、人をいとも簡単に動かす。
新橋駅のすぐそばにあるニュー新橋ビルに入っている「豚大学」が、今回の目当てだ。かの有名なSL広場では、テレビクルーが一般の人にインタビューを敢行していた。時期的にコロナのことだろうか。
新橋に来るのは約一年ぶりで、前回来たときは、別のビルに入っているお店でお好み焼き食べた。
店内は、カウンター席のみで、スーツ姿の男性が目立つ。みな、どんぶりと対峙して黙々と豚丼をかき込んでいる。
席に付き、食券を渡してから、すぐに豚丼は到着。てらてらと光っている。なんとも食欲をそそる匂いと見た目。
お肉は豚バラが使われていたが、脂っぽさはそこまで感じられない。白米が進む甘めのタレと炭火で焼かれたお肉の風味。菜の花のトッピングもにくい。そしてご飯の量も結構多い。
部活帰りの高校生ならさぞ喜ぶ、その組み合わせをまえに、一気に食べきる。お腹はぱんぱん。
人が少ない銀座の表通りを歩き、あるギャラリーに入る。
そこで、思ったことがあって、「心が動く絵」と「心が動かない絵」の違いとは、いったいなんだろうと。
とりあえずの結論としては、プロセスが見えるかどうかが、ぼくにとっては大事らしい。心が動くときは、瞬間的にその作品に込められた想いが伝わってきて、思わず立ち止まってしまう。「わかる」というと偉そうだが、そんな感覚がある。
なにに感動するかは、もちろんひとそれぞれで、ある人にとっては技法だったり、ある人にとっては描かれているモチーフだったりする。同じ絵画を見ても、「素晴らしい」と思う人もいれば、「うーん」と思う人もいる。
全員が全員「いい」と思う絵がないように、全員が全員「よくない」と思う絵もない。
たぶんに相対的だ。個人が「いい」と思ったら、そのぶんだけ「いい」のだ。自分の価値判断を持ちたい。
とはいえ、絵を鑑賞する素養がまだまだ備わっていないので、絵画の下に説明があると助かるし、理解を補ってくれるのでありがたい。
小林秀雄は「見ることも聴くことも、考えることと同じように、難しい、努力を要する仕事」と、言っている。芸術を楽しむためには、ある程度の訓練が必要だ。表現されたものから、もっと多くを受け取れるようになりたい。
なんてことを思った1週間だった。
外部とのコミュニケーションで、自分を知るみたいなことは多々あるので、外部との接触はなるべく閉ざさずにいよう。本を読んで、人の話を聞いて、映画やドラマを見て、自然に触れて、たまにループの外に出て、刺激をいれつつ。
最後まで、読んでくださってありがとうございます!