生きていくことに敏感になる
今年に入ってからエッセイ本をよく読むようになった。
これは自らエッセイを書いていることもひとつの要因(参考にならないかなという視点)だけど、いまでは普通に読み物として面白くて、よく読んでいる。
この人が書くエッセイは面白いなと思う作家は何人かいて、例えば須賀敦子さん、内田洋子さん、向田邦子さん、若松英輔さん、岸本佐知子さん、村上春樹さんなどなど。
この6人の方が書かれているものは間違いないと、確信を持って言える。
顔ぶれを見てみると、なぜか翻訳者が多い。2つ以上の言葉を扱っていると、その作品の面白さは増すのだろうか・・・。
エッセイの良さとしてあげられるのが、その人の人間性がより見えるという点だと思う。
身近な出来事を扱いながら、その人の思考がうかがえる。
どういう視点で物事を見るのか。日常の些細な出来事から何を思うのか。
何が好きで、何が嫌いか。自分の人生や周りの人たちとの関係性・・・。
とにかくエッセイには人生がつまっているといっても過言ではない。
話は急に変わるけど、昔、知人の女性が彼氏への不満を漏らすのを耳にしたことがあった。
彼女は、彼氏にもっと今日あったことを、つまり何でもない日常をしゃべってほしいと。
彼氏はわりと無口で、話は聞いてくれるが、自分のことはあまり話さないらしい。その点が彼女の不満だった。
ぼくはその話を聞いて、自分のことを言われているような気がして、言葉もなかった。
ぼくも自分のことを積極的にしゃべらない人間なので、むしろ彼氏の気持ちのほうがよく理解できた。
原因を考えてみると、もともと無口なのもそうだが、一番は、今日、なにがあったかを特に覚えていないということ(その彼氏がどういう理由かは知らないが)。
いや、正確にはなにかはあったけど、頭に残ってない。あと、話すほどではないと判断している。
ただ、人は、変わるものである。
それは書くようになってから。
エッセイを書くようになってから、日常って結構いろんなことが起こるんだなと新鮮な思いで、生活するようになったのだ。
いままで、見過ごしてきたものが、見えるようになったというか、気付くようになった。
別にアンテナをビンビンに張って、血眼で探しているというわけではなくて、「なにか気になるな」と引っかかる感じだ。
その日常で起こった些細なことをしゃべるように書いていたら、このnoteは結構長続きしている。
日常を生きていくうえで必要ないと、そぎ落とされたある部分を覚えているということ。
それがエッセイを書くことのひとつの効能なのかもしれない。
もちろん感度が鈍って、なにもないなとだれてしまう日もあるが、おおむね生きていくことに敏感になった効果は実感している。
なので、今、もし、彼氏がしゃべらないと相談されたら、エッセイを書いてみればとすすめる。もしくは日記。
たぶん、その女性はとんちんかんな答えに、ぽかんとした顔をして、なにそれって笑うかもしれないが、この方法は遠回りのようで「なんでもないことを話す」近道なのだ。
Twitter:@hijikatakata21
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