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話すことと書くこと
話すのと書くのは、つくづく違う。
と思ったのも、ぼくは話すのが苦手だからである。
友達や家族に面白かった本や映画の話をするときに、話しながらも全然まとまってないなと思うことがある。
自分が伝えたいことの半分も相手に伝わっていない。
そんなとき、どうにかしようともがくのだけど、余計に話がまとまらなくて、「思ってたのと違う」という状態に陥ることが多々ある。
リカバリーしようにも、もう時すでに遅し。
要領を得ないまま、話がふわっと終わり、次の話題に移ってしまう。
たぶん感動したとか面白いみたいな大雑把な気持ちは伝わっていると思うのだけど、もうちょっと要点を抑えた話し方をしてみたい気持ちもある。
話すことには、即興性が求められる。あと、間が大事だ。
相手が言ったことに対して、自分の意見を言ったり、相づちを打ったり、その場の流れを敏感に読み取らなくてはならない。
そんなわけで、ぼくは会話が苦手というのが長年のコンプレックスなのだけど、ある人の言葉で救われたことがある。
大学のある授業で、「どういう大学生活を送りたいか」というレポートが出されたことがあった。
そこで、ぼくは、「恐れないで、いろんなことに挑戦して、話下手を克服できたら」という旨のレポートを書いて、提出した。
次の週ぐらいにそのレポートが返ってきて、赤いペンで先生の寸評が書かれていた。
あなたは話下手というけど、文章のなかでは雄弁ですねといったような内容。
思ってもみない評価に、ぼくは、照れくさかったけど、ほんとうにうれしかったことを覚えている。
文章の中では雄弁になれるらしい。
たぶん、ぼくのことは、数ある生徒の中の一人という認識で、先生はまったく覚えていないと思うけど、この言葉がどれだけ力になってくれたことか。
なにも持っていないぼくに、ちいさな武器をくれた。そんな気分だった。
話すのは苦手だけど、書くことなら自分の思いを伝えられるかもしれない。そんな希望がかすかに胸に宿った瞬間だった。
文章を書くことの利点として、「時間を置いて考えられる」というのがあると思う。
題材や、構成などをしっかり考えてから言葉にするという作業が落ち着いてできる。あまりスピードが必要とされていない。そんな文章の特性が自分には合っていた。
相手に何かを伝えるとき、手段はいくつもある。話すことや書くことはもちろん。ある人にとってはそれが絵だったり、歌だったりするのかもしれない。
ぼくは書くことで、自分の思いを伝えたい。
トーク力が上がれば、なお良しだけど、それは贅沢というものか。
最後に、『本日は、お日柄もよく(原田マハ)』という小説から、好きな箇所を。ちょっと長いけど、引用。
「わかってないのねえ。言葉は、メッセージカードのようなものよ」
一枚一枚に、自分の思いを書きつける。とっておくもよし。日々眺めるのもよし。必要なくなれば、破っても燃やしてもいい。死ぬまでずっと、心にしまっておいてもいい。
でも誰かの目に、耳に触れれば、なおいいだろう。誰かに伝えられれば、なおすばらしいだろう。思いを共有できることがあるかもしれない。心と心を響き合わせることもできるかもしれない。
言葉の力をあなたも信じてみたらどう?
いい。
Twitter:@hijikatakata21
最後まで、読んでくださってありがとうございます!