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物事を忘れていく性質

「となりのトトロばっかり繰り返し見てたよ」

ジブリ作品を見たときやぼくの子どもの話になったとき、母は決まってそう言う。

自分のことなのに、ぼくは「へぇー」と答える。こんな他人事みたいな反応をしてしまうのにはわけがある。なにを隠そう熱心にトトロを見ていた記憶がまったくないのだ。

もちろん『となりのトトロ』は好きだし、中学生のころは通学鞄に「まっくろくろすけ」のキーホルダーをつけていたくらい、作品に思い入れはある。ただ、どこが好きなのと聞かれると、途端に言葉に詰まってしまう。一度見終わると、時間を置かずに、また最初から見だしていたほど、はまっていたのに。

そんだけリピートして見ていたのなら『となりのトトロ』のことならなんでも答えられますと、胸を張れてもいいのに、そうならないのが口惜しい。何度も見たはずなのに、作品の細かなところはなぜか覚えていないのだ。

子どものころの記憶だから薄れてもしょうがないともいえるが、どうやら大人になったいまもその節はある。

映画や本もドラマも好きでよく見ていたのに、記憶がすっぽりと抜けていることが多い。見た直後や興奮冷めやらない期間に、アウトプットしないと忘れてしまう。面白かったとか、イマイチだったなという感覚だけが取り残されて、あとは忘却の彼方に飛んで行ってしまう。

友だちと昔のことを話していても、「そんなことあったんだ」と思うことが多い。自分の子ども時代を友だちに補完してもらっているとわけのわからない状態になっている。

記憶力が悪いのかとも思ったが、どちらかというと、積極的に物事を忘れていく性質らしい。そうすることで、自分を身軽にしている。なので、向田邦子みたいに昔のことを、些細な一場面を、鮮明に覚えている人がうらやましい。

そういう意味では、なにかを書き残しておくというのは、自分にとってはいいことなのかもしれない。外部に保存していれば、たとえ忘れても、見返すことができるから。

ちなみに、セサミストリートもよく見ていたらしいのだが、キャラクターの名前をぼんやりと思い出せるくらいである。内容はまったく覚えていない。ただ、主要キャラクターと一緒におさまった写真に映る自分の笑顔が、「好きだったんだな」と思い起こさせてくれる。記憶は外部にも宿るのだ。



先週くらいから本格的にクーラーと扇風機を稼働し始めた。寝具も羽毛布団をしまい、冷感タイプのタオルケットにした。東京の梅雨入りもそろそろだ。

この前、久しぶりに本屋に行ったので、気分は向上。あまり長居はしないほうがいいかなと思ったが、結局2時間くらいいた。ある程度、チェックする本の目星はつけていったけど、こればかりはしょうがない。読みたい本のリストがまた増えてしまった。

最後まで、読んでくださってありがとうございます!