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建物が語りかけるもの

「あれ、ここに何建ってたっけ?」

更地になってしまった場所を見ながら、ぼくは立ち止まった。思い出すには自分の記憶を辿るしかない。

1ヶ月前には、その何かはここに建っていたはずだ。けど、なんども通った道でありながら、そのあったはずの建物の姿は一切思い出せない。一軒家だったのか、それとも何かの店だったのか。

一軒家だったとしても、どんな一軒家だったのか。外壁の色は。屋根の形は。扉はどんな風だったろう。

そんな思いに駆られることがたまにある。

これは、その建物を認識する必要のないものとして、脳内で処理しているために起こる現象らしい。



去年の9月ごろ、母の実家が解体された。

母の実家は、田舎の山奥のほうにあって、築80年も経とうかという立派な日本家屋だ。戦後のごたごたのなか、ぼくの曽祖父がお金もほとんどないのにその家を買い求めたらしい。

この家にはたくさんの思い出がある。

未だにクーラーを入れてないその家は、風通しがよくて、真夏でも自然の風で過ごせた。ぼくが住んでいるところでは考えられない。夜と早朝は寒いくらいだ。

毎年、母に連れられ、帰ってきた日は、「ただいま」と玄関を開けると、カレーの匂いが鼻をくすぐった。リビングにある大きな机の上で食べるソーメンは毎年の恒例だった。

仏間には大きくて立派な仏壇があり、そこは空気が一段とひんやりとしていて、なんだかぼくはその空間にいるのが好きだった。

床が抜けた、開かずの間があって、そこは子どもの目にはとても魅力的な場所に思えた。いとこたちとホコリまみれになって、宝探しをするようにタンスの引き出しを開けたり、下手したら床下に落ちるというスリルを味わったりしながら、ちいさな探検をした。

縁側で食べるスイカは、最高だった。スイカの種は、皿の上ではなくて、庭に吹いて飛ばした。黒い種が点々と、何かの暗号みたいに散らばった。

おおきな庭の土を掘って、巨大な迷路をつくった。その溝に水を豪快に流し込み、服が泥まみれになるのも気にせずに遊んだ。

居間に流れるカープのラジオ中継。屋根にあたる雨の音。夜になると、屋根のちょうど真上に見えた北斗七星。ひどくのんびりとした時間。



思い出を語るときりがないけど、その家はもうない。

数年前から、ひとりでおばあちゃんはそこに暮らしていた。

去年、床下を調査してもらったら、家を支える木材の腐敗がかなり進んでいた。災害が起こったときに、持ちこたえるだけの力は、もうその家には残っていなかった。

修理する案も出たが、立て直したほうがお金もかからないし、おばあちゃんのためにもバリアフリーの家にしたほうがいいだろうということで、取り壊しが決まった。

新しい家はもう完成したらしい。

ぼくは、その完成した家の写真も、実物もまだ見ていない。

今年の盆には、また帰る。

そのとき、ぼくはどんなことを思うだろう。

悲しいと思うのだろうか。心にぽっかり穴が開いたようになるのだろうか。

たとえそう思ったとしても、ぼくの心の中には、在りし日のままの母の実家がしっかりと刻まれている。新しい家が建っても、そこに何が建っていたかを忘れることはないだろう。

あの更地になってしまった場所に建っていた建物も誰かにとって、たくさんの思い出がつまった家だったんだろうな。



#エッセイ #コラム #日記

Twitter:@hijikatakata21

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