かならず、つながっている
朝、起きると決まって行うことがある。といってもたいしたことではない。
布団からガバッと起き上がると、カーテンを開け、キッチンに向かい、一杯の水をのどに流し込む。そして、ベッドに戻り、目の運動をする。
目玉をギョロギョロと上下左右に動かしながら、目の筋肉をほぐす。この運動をすると、目が軽くなる気がする。
それが終わると、朝食を食べ、ベランダに行き、ただ遠くを眺める。
そこから見える景色は、高速道路と車、電柱柱と電線、一軒家とアパート。たまに工事しているおじさんや、洗濯物を干している人、あとは鳥が通り過ぎるくらいだ。
この癒しのない光景をもう数年眺め続けている。この数年間の変化といったら、ほとんどなくて、ここまで変わらない景色も珍しいと思う。
本当なら、遠くに海が見えたり、雄大な山が見えたりしたら最高なんだけど、いまのところ引っ越す予定はないので、この退屈な景色を見続けている。
そもそもこの習慣を始めたきっかけは、「現代人は近くを見過ぎて遠くを見ない」というのをなんかの本で見たからだ。
スマホやパソコンの普及で、現代人は近くを見る時間が多くなったのはうなずけるが、果たしてスマホ・携帯がない時代は、人はもっと遠くを見ていたのだろうか。
しかし、一日を振り返ってみると、たしかに遠くを見る機会ってほとんどない。試しに、朝の数分間だけ遠くを見てみることにした。
遠くを見ることは、目にも良いと聞いたことがあったし、朝に遠くを見るとなんだか心が落ち着く気がした。
目が良くなったとか直接的な効果はほとんど感じなかったのだけど、なんやかんや惰性でつづけた。すっかり習慣になってしまったのだ。
ただ遠くを見るという、ほとんどメリットがないことをだらっと続けていたある日。いつものごとく変わり映えのない景色を見ていたら、ある本に書かれていた文章がふと頭に浮かんだ。
唐突に、別々の出来事がつながる瞬間がたまにある。その本には、こんなことが書いてあった。
なにか書く対象は、それひとつだけ世の中にポコッと存在しているわけではない。いろんな人やほかのモノとの関係をもっている。ものすごく単純に言えば、その関係をひとつずつ書けばいい。(「広告コピーってこう書くんだ!」)
これは、コピーを一晩で100本書く方法について述べたものだけど、こういう見方でベランダから景色を見ればおもしろいかもと思って、翌日から早速実践してみた。
つまらない景色でも、考え方次第では面白い景色になりうる。
あの高速道路は、何年も前に誰かが計画を立て、それを汗水たらして建設する人たちがいて、出来上がった道路は日本各地を結んでいる。毎日、交通量は違うし、あの車には、家族が乗っていて、これからディズニーランドに行くのかもしれない。
あの電線は、ずっとつながっていて、各家庭や会社、学校などに電気を配給している。あの家には、もちろん人が住んでいて、そこには生活がある。ベランダに干している洗濯物だって、そこに住んでいる誰かの所有物であり、その洗濯物の揺れの大きさで、その日の風の強さもわかる。
単体で存在しているものはなにひとつないのだ。かならず、何かしらつながっている。
変わり映えのないありふれた景色でも、関係性に目を向けたら、豊かな物語が透けて見えてくる。
ずっと見ていたけど、見てなかった。パッと見はわからないけど、すこし想像を膨らませれば、人の目は、目に見えないものだって見ることができるのだ。
ぼくはそのことを忘れないように、毎朝、遠くを見る。後付けだけど。
Twitter:@hijikatakata21
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