ジョニーの話

アメリカ人男性のファーストネームといえばと聞かれたら、マイケルやウィリアム、ジャクソン、リアムなど思いつくが、ぼくが真っ先に思いつくのは、ジョニー(ジョンの愛称)である。

ジョニーには、忘れられない思い出がある。ただジョニーは、実在の人物ではない。ペットの名前でもない。

ぼくが、幼きころにつくった架空の人物である。といっても、見えるとかそういう類のものではなく、頭の中で作りだしたキャラクターといったらいいだろうか。

ジョニーの話をしたのは、夏休みに母の実家に帰って、いとこたちと遊ぶときだけだった。地元の友達とはしない。

母の実家に行くと、ぼくはなぜだか開放的になって、地元で振る舞っている自分とまったく違う自分が出ることがあった。

どっちが本当の自分なんだろうと、迷うこともあったが、母の実家にいたときのほうが自分というものがよりあらわれている感じがした。

いとこたちとは、よくトランプやゲームをして遊んだ。それに飽きると、ぼくは、なぜだか即興で話をつくり始めた。普段から話をつくっていたとか、本を熱心に読んでいた記憶もない。

ほんと、唐突に。あまりにやることがなくなったのだろうか。

ジョニーの話と銘打って、ぼくはその場の即興で、結末も決めずに、話を始めた。

「ジョニーはね・・・・」という滑り出し。

ジョニーという頭の中でつくったキャラクターの行動や言動を、ぼくが見聞きした体で、話を進める。

基本的にはコメディーだったと思う。歌あり、笑いありのストーリー。細かいところは残念ながらまったく覚えていないけど、そのつたない話に、いとこたちが笑ってくれたことは、いまだに記憶にしっかりと焼き付いている。

自分がつくったものに反応があって、それがポジティブなものだとうれしいものだ。いまでも未練がましく覚えているということは、よっぽどうれしかったのだろう。

しかし、ジョニーの話をしたのは、その一回きりだった。ある年の夏の数日だけ。

再び、日常に戻ると、次第に記憶は薄れ、ジョニーは夏と共にすっかり消え去ってしまった。

いとこたちには、また来年話すねと言っておきながら、結局話していない。なにより、ぼくがもう忘れてしまっていたのだから、話しようがない。

ジョニーとはどういう人物で、どうやって話を組み立てていたのか。さっぱり忘れてしまった。

いま思い返すと、思い出補正がバリバリにかかっているけど、面白い話だった・・・ような気もする。いや、気のせいか。

いとこたちも、もう覚えていないだろうし、面白かったことを保証するものはなにもない。

いまあるのは、ジョニーという名前と喜んでくれたというかすかな記憶だけである。

#エッセイ #コラム #日記

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