書くことに迷ったら
書くことに迷ったら立ち返る場所、がある。
現在、週2回ほどエッセイというかほぼ日記を書いて、アップしているのだけど、ときたま迷うことがある。
こんなこと書いて意味あるだろうかとか、読んでいる人の時間を無駄にはしてないだろうかとか。
もちろん相手の身になって考えることは大事なのだけど、その意識が強すぎると、自分の書いたものに自信が持てなくなる。
そんなとき
誰かの目に触れる場所で公開することに躊躇してしまう。
『若き詩人への手紙(リルケ)』という本がある。
詩人であるリルケが、詩人を目指す、悩み深き青年に送った手紙でこの本は構成されている。
ぼくは書くことに迷ったとき、その本のなかの一節を折に触れて思い出す。
青年は、自分の詩の評価をリルケに聞きたい。しかし、彼は、ほかの人にも同じことを尋ねているようで
あなたは雑誌に詩をお送りになる。ほかの詩と比べてごらんになる、そしてどこかの編集部があなたの御試作を返してきたからといって、自信をぐらつかせる。
なにかを創作する者にとって、まったく身に覚えがないという人はいないだろう。
比較しても意味がないことを知っているのに比べてしまう。
ある場所で評価されなくても、ほかの場所では評価される可能性があるのに、コンテストなどに落選すると落ち込む。
リルケは、そんな悩み深き青年にこんな言葉を贈る。
そんなことは一切おやめなさい。あなたは外へ眼を向けていらっしゃる。だが何よりも今、あなたのなさってはいけないことがそれなのです。誰もあなたに助言したり手助けしたりすることはできません。誰も。ただ一つの手段があるきりです。自らの内へおはいりなさい。
書くという行為は、自分と向き合う孤独のなかで生まれてくるものだ。誰も助けてくれない。
書きたいという欲求は自分のなかにしかない。
答えは自分のなかにしかない。
この文章を読むと、自分の迷いが、霧が晴れるようにクリアになっていく。
気を取り直して、自分が面白いと思う、その一次的評価を大事にしようと思える。
たとえ評価されても、評価されなくても、自分が書きたいことを書く。
その軸を誰にも譲らなければ、本質的に書くことは自由なはずだ。
ぼくは、書くことに迷ったら、いつだって、またここに立ち返る。
Twitter:@hijikatakata21
最後まで、読んでくださってありがとうございます!