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僕は奈良をなめていた

 4連休の初日に奈良へ出掛けた。

 遠方に住んでいる友人と夏に会うことになり、候補地を挙げた結果「奈良が良さそう」ということになった。その話をして以来、どうも奈良に行きたくなっていたのである。

 昼過ぎに奈良に到着し、商店街の中にあるお好み焼き屋で昼食を摂ると、猿沢池から奈良ホテルの方をぐるっと回って、奈良公園の中に入った。それから東大寺の方へ足を進めると、何度か行っている大仏殿には寄らず、三月堂や二月堂がある方へ上がっていった。手向山八幡宮・三月堂・二月堂の順に寺社を巡り、二月堂の裏参道を歩いて大仏殿の裏手に出る。そして元来た方へ引き返すと、芝生広場を横切って春日大社へ向かった。

 ここで17時を迎えたので、森の中を回るようにして公園の方へ戻り、鹿の集まる飛火野を抜け、浮見堂へ出て休憩した。そして、暮れていく街を歩きながらスマホで調べて気になったバーに向かい、少しお酒を飲んでから帰路に着いた。

 その気になって書き出せば色々言いたいことは出てくると思うが、一番言いたいのは、とにかく気持ちの良い1日だったということだ。

 絶好の外出日和だった。公園の中を歩いていると、新緑の緑と、晴れ渡った空の青とがどこに行っても目に留まる。その色が鮮やかで、瑞々しくて、見ているだけで心がスッキリしていくようだった。

 おまけに、緑と青の世界といっても、その様相は様々なのである。芝生広場のようにとにかく空が広くて開放的なところもあれば、青紅葉が頭上に折り重なり濃淡のグラデーションを描いているところもある。或いは森の中のように、周りを木々にすっぽり囲まれながら、木漏れ陽を感じて温かい気持ちになる場所もある。それらの織りなす世界に、時には水が入り、時には寺社が入り、時には他の建物が入る。或いは鹿がやって来る。とにかく飽きるということがなく、心が始終踊っていた。最後にはクタクタになってしまったけれど。

 言葉だけでは到底伝えきれないので、ここからは写真に主役を譲ろう。

【猿沢池】

 奈良に行くと猿沢池に寄りたくなる。京都に行くと鴨川が見たくなるのと同じようなものだと思う。猿沢池のほとりから見る興福寺の五重塔は、奈良を代表する風景の1つだと勝手に思っている。

 昼下がりの猿沢池には、多くの人の姿があった。木陰には特に多くの人が集まり、まったりと過ごしていた。

【奈良ホテル】

 「西の迎賓館」の異名を持つ有名なホテル。本館を設計したのは、東京駅と同じ辰野金吾氏だそうだ。

 名前はかねがね聞いていたが、近くへ寄ったのは初めてだった。和洋折衷を絵にしたような外観は、気取ってはいないものの上品だと感じた。エントランスの前から見下ろす木々越しの奈良も綺麗だった。なかなか手が出ない高級ホテルだけれど、確かにこれは一度泊まってみたくなる。

【奈良国立博物館前~東大寺南大門】

 奈良国立博物館前の芝生広場は、今回の散策で特に印象に残った風景の1つだった。まず、芝生広場なだけあって、周りの空間が広々としていて気持ちがいい。その真ん中に、西洋の宮殿風の白い建物がどっしりと構えている姿は美しかった。

 奈良公園を奥に進み、東大寺南大門前の交差点を過ぎたところにも芝生広場がある。こちらは一面芝生で、その向こうに若草山が見える。これもまた開放感溢れる風景である。

 南大門へ向かう途中には小川があり、ここには青紅葉が覆いかぶさっていた。一面の芝生と見せかけて意外に変化に富んでいるのが、奈良公園のニクいところである。

【猫段】

 大仏殿の外壁に沿って山の手へ進むと、三月堂や二月堂の方へ向かう石段が現れる。グーグルマップでは、この石段に「猫段」というピンが付いている。猫がたくさんいるわけではなく、昔々この辺りに化け猫が出たという伝説が名前の由来だそうだ。ちなみに、この石段で転ぶと来世では猫になるという言い伝えもあるらしい。

 南大門から大仏殿にかけては観光客で混み合っていたが、その奥に位置する猫段の辺りはかなり空いていた。新緑に包まれた石段は、猫こそいなくても見応え十分だった。

【手向山八幡宮】

 大仏創建時に、全国の八幡神社の総本宮である宇佐八幡宮より東大寺守護の神を迎えて建てられた神社。手向山は古来紅葉の名所だったようで、百人一首の菅家(菅原道真)の和歌「このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」はここで詠まれたという。

 確かに、青紅葉がとても美しい神社だった。

【三月堂】

 現在の東大寺の中では最も古い建物を含む法堂。奈良時代から伝わる貴重な仏像が安置されている。堂内は非常に涼しく、仏像の向かいで休憩している人の姿も多く見かけた。

【二月堂】

 三月堂の隣に位置する法堂。秘仏の観音像が祀られている。西に面した舞台からの眺望が有名で、今回特に訪れたかった場所だった。

 ただ町が見えるというだけでなく、東大寺を前景にその奥に奈良盆地が連なる風景全体に、落ち着いた美しさがあった。上からの景色も良かったが、手向山八幡宮や三月堂より一段高い所にあるお堂の姿も立派で、色んな角度から見上げてしまった。

【二月堂裏参道】

 二月堂には大仏殿の正面側から伸びている参道の他に、大仏殿の裏手に通じる参道がある。この裏参道が良いとネットで見たので、試しに歩いてみることにした。

 本当に良い道だった。道の両側に古風な塀が連なり、その奥から新緑が伸びていた。穏やかな気持ちになったところでふと振り返ると、細かく蛇行する坂の先に二月堂の舞台が見えた。それはどこか垣間見るといった風で、何とも言えない特別感が心の中に広がった。

 こういう思いがけない発見は、気持ちの良いものである。

【春日大社参道】

 二月堂から戻ったところで、当初の散策の目的は果たせた。が、折角なら夕方を待って飲みに行きたいという気持ちが湧いてきた。そこで急遽、春日大社へ向かうことにした。

 思えば春日大社を訪れるのは7年ぶりだった。参道に途中から入ると、閉門1時間前だというのに、東大寺に負けないくらいの人出だった。

 参道は森にすっぽりと覆われていて、公園内の眩しい新緑とは打って変わった厳かな雰囲気があった。奈良で会う約束をした友人が春日大社を気に入っていたが、その気持ちがよく分かった。

【春日大社】

 春日大社は、奈良時代に平城京の守護と国民の繁栄を祈願して創建された神社で、世界遺産にも登録されている。朱塗りの社殿に新緑が良く映えたほか、境内には藤棚があり、撮影スポットになっていた。

 行く時間が遅かったせいで、本殿の特別拝観はできなかった。次の楽しみに取っておこう。

【飛火野】

 春日大社から奈良駅の方へ戻る途中にある芝生広場。鹿が集まることで知られている。実際、大勢の鹿が集まって草を食んでいた。

 奈良に行くまで、鹿を追いかけるつもりはなかったのだが、実物を目にすると不思議と見ていたくなってしまった。時折群れの中から聞こえる「キュウ」という鳴き声が、また可愛らしかった。

【浮見堂】

 池の中に浮かんでいる六角形のお堂。由緒は分からないが、現在は休憩所である。どこから見ても絵になるので、奈良に行くと必ず訪れたい場所の1つになっている。

 着いたのはちょうど空が夕方の色に染まっていく時間だった。低い陽を浴び色を変えていく浮見堂も、周りの木々も美しく、暫くその場に留まった。もとより、散策の疲れもあったことだろう。

◇     ◇     ◇

 お酒の写真は撮っていないので、奈良散策の記録はここまでとしよう。

 結局長い記録になってしまったが、最後にもう1つだけ、どうしても書いておきたいことがある。この日を通じて強く感じたことだ。

 僕は奈良をなめていた。

 休日にふらりと出掛けたくなった時、僕の足はこれまで京都の方を向いていた。好きな作家・森見登美彦氏の作品の舞台が京都だったこともあり、東山から出町柳の界隈を歩いて回ることが多かった。加えて、僕の住んでいる場所からだと、時間的にも金銭的にも、京都の方が奈良より近いという事情もあった。

 奈良に足を運んだこともあるが、京都に比べるとずっと少なかった。観光地が点在していて回りづらかったし、よりいっそう古都なだけあって、京都に比べると地味な印象があった。

 そうやって奈良を遠ざけたのは、実に勿体無いことだったのではないか。

 主要駅から歩いてすぐのところに、これだけ自然豊かな場所が広がり、バリエーションに富んだ風景が展開している。確かに街中の賑やかさは足りないかもしれない。けれどもここには、その分落ち着いた、爽やかな時間が流れている。

 加えて、京都ほどの混雑もない。大仏殿の近くや春日大社には大勢の人がいたが、清水寺や八坂神社の界隈に比べればずっとましだ。

 これからは奈良の時代だ! というのは大袈裟かもしれないけれど、僕はこれからもっと、奈良に足を運んでみようと思った。

(第220回 2024.05.05)

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