読書ノート『聞く技術 聞いてもらう技術』(要約編)
1月に、臨床心理士の東畑開人さんという方の『聞く技術 聞いてもらう技術』という本を読んだ。読み終えてから早1ヶ月近く経っているが、今でも折に触れて内容を思い出すことがある。それに、この本がきっかけで、僕の行動は少しずつ変わり始めているような気がする。というわけで、一月前に書き損ねた本書の読書ノートを書いていこうと思う。
◆1.「聞く」から「聞いてもらう」へ
既に書いた通り、この本のタイトルは『聞く技術 聞いてもらう技術』である。しかし決して、聞き方や話し方のハウツーを羅列した本ではない。この本に書かれている最も重要なことは、聞くこと、あるいはコミュニケーションに関する、とてもシンプルな極意である。その極意を僕なりにまとめると、次のようになる。
人の話が聞けなくなるのは、余裕がなくなった時である。そんな時に大切なのは、あなたの話を誰かに聞いてもらうことだ。だから、余裕のない人は「聞いてもらう」から始めよう。そして、心に余裕ができたら、誰かの話を聞いてあげよう。
この本の要約をサッと終わらせようと思ったらこれに尽きる。だが、いくらなんでもアッサリまとめ過ぎた気がするので、もう少し本の中身を丁寧に見てみよう。
タイトルに違わず「聞く技術」を紹介するところから、この本は始まる。「聞く技術 小手先編」である。正直でいよう・沈黙に強くなろう・気持ちと事実がセットになるように聞こう・また会おう、といった12の技術がそこでは紹介されている。
「小手先のいいところは元気が出るところです」と東畑さんはいう。いきなり本質だけ示されると、シンプルなだけにどうしていいかわからず絶望するけれど、小手先は「ちょっとやってみよう」と思えるからイイ、と(p.24-25)。だから、まず小手先の話から始まる。
しかし、聞く技術を一通り紹介したところで、東畑さんは話をガラリと変える。ここはとても大切なところだと思うので、長くなるがガッツリ引用しておきたい。
そしてここから、聞くことの本質に迫る話が始まる。東畑さんが新聞に寄稿した社会時評や、東畑さんの臨床経験などを挟みつつ、端的でありながらボリューム感のある話が展開していく。ただ、東畑さんが言おうとしていることは、一貫してシンプルである。
◆2.「余裕のなさ」の正体
ここまで、「話を聞く余裕がない時は、誰かに話を聞いてもらおう」ということがこの本には書いてある、という話をしてきた。しかし、本の内容を振り返る時、この要約はちょっと言い足りないという気がする。「余裕がある/余裕がない」という言い方をすると、それは個人の心の問題のような印象を受ける。それは東畑さんの書いていることとはズレているように思うのだ。
聞くことを巡って、東畑さんが注目しているのは、人と人との関係のありようである。もとより、聞くという営みは聞く人と聞いてもらう人がいて初めて成り立つものだから、それは本来的に関係の問題なのである。そしてこの時、「余裕がない」は別の言葉に置き換えられる。「孤独」である。
話を聞く余裕がなくなるのは「相手との関係が難しくなっているとき」であると、東畑さんはいう(p.45)。同僚や上司に腹が立っている。パートナーとの関係がギクシャクしている。そういう時、僕らは相手の話を聞けなくなる。
人間関係が難しくなっている時には「欠乏」が生じている(p.66)。ここでいう「欠乏」とは、自分が満足感を得るために必要なものが足りない、という意味であろう。改善してほしいところがあるのに気付いてくれない、聞き入れてくれない。望んでいることが叶えられない。人はそこで「痛み」を覚える(p.68)。
この「痛み」の極致にあるのが「孤独」である。東畑さんはいう。「心にとって真の痛みは、世界に誰も自分のことをわかってくれる人がいないことです」(p.70)。
そんな時、聞いてもらうことが大切になる。「目の前に動かしがたい欠乏があっても、それでも誰かがその苦しさを聞いてくれ、わかってくれているならば、人はしばしその痛みに耐えることができます」(p.70)。
◆3.第三者に聞いてもらうことと、聞くの連鎖
ところで、相手との関係がこじれている時、当事者同士で話を聞くのは難しい。「そこには孤独がひとつではなく、ふたつ」ある、すなわち、「聞く側も聞かれる側も孤独」だからである(p.72)。互いが互いに不満を覚え、相手のうちに足りないものを感じている。2人とも「痛み」を抱えており、その痛みが相手にわかってもらえないという「孤独」もまた抱えている。どちらの「痛み」も聞いてもらう必要がある。しかし、両者の間に聞くは成り立たない。
そういう場合に大切なのは、第三者に話を聞いてもらうことである。聞くことが一番問題になるのは、誰かの痛みを聞く時である。そこで聞く側が痛みを一人で引き受けていると、そのこと自体が誰にも共有されない痛みや苦しさのもとになる。だから今度はその痛みを、誰か別の人に聞いてもらわなければならない。聞いてもらうことで、元の相手の話を聞くだけの余裕をもつことが大切になるのだ。東畑さんはいう。
ここから、この本が伝えようとしている重要なポイントが1つ浮かび上がる。それは、「聞くは連鎖する」ということである。関係がこじれている人同士では、お互いが欠乏や孤独を抱えているので、聞くが成り立たない。だから、第三者に話を聞いてもらうことになる。その第三者は、話を聞くことで引き受けた痛みを、また別の誰かに聞いてもらうことが必要になる。そして、そのまた別の誰かは——という具合である。
ただし、聞くの連鎖はひとりでに起こるものではない。連鎖を起こすためには、誰かとの間で関係を築くことが必要になる。だから、聞く技術・聞いてもらう技術の話は、関係を作る技術の話でもある。実際、東畑さんは「聞いてもらう技術」を紹介するところで、次のように述べている。
◆4.「聞いてもらう技術」とは
ここで、「聞いてもらう技術」について、この本に書いてあることを見ておこう。
聞いてもらう技術の話を始めるにあたり、東畑さんは、それは「うまくしゃべる技術」ではないと断っている。
強みを伝える技術ではなく、弱みをわかってもらうための技術。賢くロジカルに話す技術ではなく、戸惑いを滲ませながらポツリポツリと語り出すことを拾ってもらうための技術。それが「聞いてもらう技術」だと、東畑さんはいう。
本の中で実際に紹介されている技術は、実に些細なものである。「隣の席に座ろう」「一緒に帰ろう」「単純作業を一緒にしよう」「ワケありげな顔をしよう」「薬を飲み、健康診断の話をしよう」「遅刻して、締切を破ろう」などなど。
とりあえず誰かの傍に行き、行動を共にすること。普段と違う表情や行動を取り、非常事態を体で伝えること。そういったことである。しかし、確かに、傍でじっとしていたり、いつもと様子が違ったりしている人がいると、つい聞きたくなるものだ。「なにかあった?」と。「聞いてもらう技術」とは、誰かからこの一言を掛けてもらうための技術なのである。
そうやって、誰かに弱みや情けない部分を聞いてもらうと、人は余裕をもてるようになる。そうすると、今度は誰かの弱みや困りごとを聞けるようになる。余裕がない時は聞いてもらい、余裕がある時には聞く側に回る。その時々の状況に応じて立場を変えながら、聞く-聞いてもらうの連鎖を築いていく。それが、この本の目指すところなのであろうと思う。
◇
『聞く技術 聞いてもらう技術』の読書ノートを書くつもりが、要約だけで長大なものになってしまいました。なんでしょうこれ。もはや要約とは呼べないかもしれません。
実を言うと、これを書き始める前は、最初に書いた本書のポイントだけを載せて、すぐに自分の感想へと話を移そうと思っていました。ですが、いざポイントを書いてみると、あまりに素っ気なくて物足りなさを覚えてしまいました。それで本文の引用などを始めたわけですが、そうこうするうちに、自分の書き方とこの本の内容にズレがあるような気がして、このままではマズいと思うようになりました。そこから内容を丁寧に辿るうちに、とんでもない長さになってしまったというわけです。
ただ、個人的な感想を言えば、やってみて良かったと思います。内容をまとめようとする過程で、改めてこの本とじっくり向き合うことができましたし、同時に、僕がこの本から受け取ったメッセージは何だったのかを反芻することもできたからです。
思えば、学生時代の頃は、こうやって文章と向き合い、考えながら書くということをしょっちゅうやっていたのでした。自分がわかっていることを伝えるために書くのではなく、書きながら考え、自分の言いたいことに辿り着く。主張のための文章ではなく、探求のための文章を書く。その感覚は、懐かしくもあり、新鮮でもありました。もしかしたら、僕はこういうものを書きたかったのかもしれません。
もっとも、この文章は読書ノートとしては未完成です。これは単なる要約であって、感想や考察を差し挟んだものにはなっていないのですから。とはいえ、このまま完成まで漕ぎ付けようとすると大変な長さになってしまいますから、ひとまず一旦文章を区切ることにしたいと思います。よければ感想編も覘きに来てください。それでは。
(第127回 2月9日)
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